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■ Essay ■
「働くということ」 2000.03.08
最近、また一人会社を去り、自分の道を歩んで行こうとしている友人がいる。
既に、3人の友人が会社を辞めた。
一人は、八ヶ岳の自然の中でペンションを営みながら、スピリチュアルな人生を歩んでいる。
一人は、竹炭に魅せられ、竹炭職人の道を歩き始めた。
一人は、地元に帰って、自然と向き合いながら生きていく道を選んだ。
そして、今回の一人は、自分の好きなことを学ぶために、再び大学へ行こうとしている。
みんな、それぞれ、人生のある時点で会社勤めのサラリーマンになり、そしてまた、サラリーマンをやめるという選択をした。
最近、会社の HP の採用のコーナーに載ることになり、インタビューを受けた。
私が大学生の頃、就職活動というと、どこかの会社に勤める以外の選択肢は自分の中では想像もできなかったが、今、学生に一言と
言われて、企業に勤めるだけが就職の選択ではないと書いてしまった。
世の中では、失業率が 何%を越えたとか、大学生の新卒の採用率が何%を切ったとか、話題になっている。
何故、人は生きていくために働かなくてはいけないのだろう。
例えば、自分が生きていくために必要な、衣食住を考えてみる。
もし、各自が自分一人分のものしか生産力がないとすると、全員が一人分働けばよい。
もちろん、体の事情で働くことができない人がいれば、誰かが二人分働くことになる。 赤ちゃんの面倒は誰かが見なければいけないし、病気になれば世話をしてくれる人が必要だ。
しかし、細かいことを無視しておおざっぱに考えてみると、機械化や生産性の向上によって、一人で何人分もの仕事ができるようになったはずである。ということは、仮に一人平均で
10人分の面倒を見られるようになったとすると、一人あたり、10分の1の労働で良いはず。
一人が一生に必要な物資はそうそう昔と変わってないと思うのだが、みんなで均等に労働が減って楽になるのではなく、忙しい人は相変わらず忙しく、逆に世の中では失業者があふれている。
何故、楽にならないのだろうか。
道具や機械を駆使して、効率よくものを作れるようになったというのに、何故、人は忙しく働くのだろうか。
現在の資本主義社会の経済では、働かないとお金がない → 生きていくのに必要なものを買えない、という単純な図式が成り立つ。
しかし、よく考えてみると、仕事がないということは、その人が働かなくてもみんなが生きていくのに必要なモノは揃っているということなんじゃないのかと思う。
今の世の中の根底には、「働かざる者、食うべからず。」という思想がある。昔はこの言葉に何の疑問も抱かず、「そらそうやろ。当たり前や」と思っていたが、最近は、ちょっと(かなり?)逆の見方をしている。
生きるために仕方なく働くのではなく、働きたいから働く、これをしたいからこれをする、そうありたいと思う。 |
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