A〜G
| Adult よく、色んな人から大人になりなさいってことを言われる。特に20歳になってからは そういう風に言われる機会が多くなった。大抵は、大人になりきれてない子供みたいな 母親から言われるんだけど。小さい頃から、自分が20歳になったら、大人になったら とかそういうことを全くといっていいほど想像しなかった子だったけど、今でも自分に 関しては大人、とか年齢に対するビジョンっていうものは浮かんでこない。けど、 間違いなく言えるのは、あたしは子供だってこと。定義とか言われちゃうと、わからないけど、 大人ではないなって思う。でも、あたしの中で大人っていうものを敢えて定義するとしたら ちゃんと自分の感情をコントロールできたり、自分をちゃんとわかってするべきことをできる とか、そんな感じなんだけど、、、憧れないな、そんな大人。感情のコントロールがうまく できなくても、するべきことを完璧にできなくても、もっと大切なものを持ってる人間になりたい。 ただ、どこか隔離された世界で生きているわけではないから、社会的な最低限のルールぐらいは 守れる人間でいたいけど。大人ってそういうことなんじゃないのかな。対社会の中で確認される 自分像によって、人は大人だとか、子供っぽいとかいうことを評価するんだと思う。
Birthday いつからかどうでもいい日になってしまった。おめでとうとか言ってもらえればそれなりにうれしいし、 誕生日なんだって自覚するけど、だから?っていう気もすごくしてしまう。あたしが自分ですごく 思うのは、時間の感覚がないってこと。ないわけじゃないんだけど、すごく無駄につかう人だと 自分で思う。生きてる本人は、それなりに一生懸命なんだけど、どうも人より何にしても遅い。 何かに気付いたり、何かを獲得したり、そういうことに、人と同じ境遇や立場を与えられて、同じ 時間を費やしても、何十倍という時間がかかる。性格的なことなのか、単に自分の努力が足りない のか、きっとどちらもなんだろうけど、性格とか努力以前の、もっとたなぼた的な部分においても もらえるおこぼれが一歩遅かったためにもらえなかったり、おこぼれに気付くことができなかったり する。これはなんとなく宿命めいたものをすごく感じるんだけどな。誕生日っていうのはそういう 自分の時間感覚を再認識させられる日でもあるから、だから嫌なんだと思う。自分が人一倍 色々時間がかかるってことに気付いた時ぐらいから、誕生日がくるたびに一年を振返って、 ため息をつくことが多くなったから。誕生日自体が嫌いなわけでは多分ない。その日によって 思い出されることが、あたしを憂鬱にさせるんだと思う。一つ一つ年を重ねていくたびに、ステキに なっていたいのに、現実の時間はあたしにとっては早すぎてついていけてないんだもん。遅いことを 許してくれないんだもん。自分時間でいいやって思うこともあるし、<こんな>だから人の生きる スピードじゃ早くて見落としてるような些細な、ステキなものに気付くこともできるけど、損することも すごく多いから、やっぱりちょっと嫌。誕生日は、そんなことを感じてしまうのと、誕生月の5月って いうのが、ある時からすごく切ない月になってしまったから。花粉症もね、、。
Celebration この曲で、あたしはXというバンドが好きになった。あたしがhideさんの<ファン>になったのは、 かなり最近のことだけど、Xというバンド自体は昔から好きだった。ただ、ライブに行きたいとか、 誰かのファンだってことはなくて、純粋に彼ら5人から生み出される楽曲に魅かれてた。ほとんどが YOSHIKIが作ってるってことは、割と早い時期に知ったし、あの超絶ドラミングを展開する人が まさか音大に行けるぐらいのピアノの実力をも持ちあわせている人だなんて、はじめて彼らを見た時には ミジンも思わなかったから、余計にYOSHIKIのクラシック的なメロディラインをバンドで表現してる彼らを ある意味すごいと思った。その印象は今でも変わらないけれども。はじめて「BLUE BLOOD」を 聞いた時、「この曲もYOSHIKIが作ってるの?だとしたら、ものすごく意外だな」という曲に出会った。 それが、「CELEBRATION」。HIDEちゃんの曲だった。まあ今ファンだから、何でもhideにこじつけたく なるんだけど、今思えば私は最初から、言ってみればhideちゃんのファンに後々なる可能性があった んだななんて勝手に感じる。魅かれて、好きだと思って、彼らのアルバムなりシングルなりを聞くように なった、きっかけを作ってくれたのは、YOSHIKI。でも、生み出された楽曲に対して、本当に単純に 「かっこいい!」って思って、ロックを好きだと思えたのは、HIDEちゃんの「CELEBRATION」だった 気がする。この年になって改めて聞き直してみると、色々言葉を覚えて、論評ぶるようになった自分に 淋しさを感じるけど、はじめて聞いた時に、「ロックってなんてかっこいいんだろう!」ってただ単純に 思った12歳の私の気持ちは、いまだに忘れることはないし、決して色褪せない気持ちとして新鮮に 思い出せることがすごくうれしい。ロックがあったから、わたしは10代を過ごせた。もしロックを知らなかったら、 自分の中に生まれた沢山の矛盾をただただ抱え込むばかりで、吐き出す術や間接的に依存するすべを 知らないで、きっと辛いことになっていたと思うから。「CELEBRATION」は私にとって大切な曲なのです。
Dice hideさんの1stソロアルバムの中にも収録されている曲でもあるんだけど、あたしはこの曲をはじめて聞いた 時、目から鱗だった。目から鱗だった曲は、他にも「ピンクスパイダー」とか、何曲かあるんだけど、これだけの ことを、ロックにのせることのできる、ギタリストofボーカリストはいないと思った。ミュージシャンって究極の バクチだと思うって前にhideさんが何かで発言していたけど、そのバクチに命かけて取り組んでいるからこそ あんな歌詞が書けるんだと思う。「君の思い通りの花を咲かせよう むしりとられ枯れる前に」っていうフレーズ。 これは名フレーズでしょう。バクチの世界に入らなくても、人生そのものが私はサイコロみたいなもんだと 思ってる。転がりかた次第で、花が咲くか枯れてしまうか、ある程度は決まるだろうし。私は宿命ってものは 絶対に存在していてそれは変えられないけど、運命は自分の力で変える、というか方向を変化させることは できると思っているから、転がり方をコントロールするのは、自分の責任だと思う。ただ、コントロールを左右 するのは往々にして、環境ってものがすごく重要だと思ってて、その環境によっては花が咲くか、咲かないか 決まってしまうこともあるって考えてる。環境って結構宿命だから。「揺るぎない時間の重さと過去の亡霊に 追われる」−すっごくよくわかるだけに、この曲ってほんとに切なくて、たまに聞けない時もある。あたしが 中学生の時に、言葉で表現できなかったもどかしい、切ない、どうしようもない感情が思い出されて。はじめて 聞いた時、苦しくなって、布団かぶって聞いたぐらい、あたしに色々な感情を呼び起こしてくれた素晴らしい 曲。人生はdice。すごく無情で儚いのね。
Elephantman この映画を幼稚園の頃に見なければ、今もっと違っていたかもしれない。そんなことを思うぐらい、ものすごい 衝撃的だった作品。有名なデヴィッド・リンチ監督の作品なんだけど。幼稚園の時、居間で家族と一緒に この映画がTVで放映されているのを、なんとはなしに見ていたの。内容を知っている人なら、わかると 思うんだけど、とにかく壮絶なのね。皮膚が象の皮みたいになってる人間がさ、広場みたいなとこでみんなに 見世物にされて、そりゃもうひどい仕打ちを受けるのね。あたしはさあ、小さいながらにほんとに驚いて。 なんでこんなことするんだ、ほんとにこんなことがあるのか、って。でもね、その時にあたしの母親が、 エレファントマンを見て、「気持ち悪い」って連発したの。それ聞いた時、なんか子供心に無性に悲しくて。 こうやって年をとるのは嫌だけど、こう思う人は世の中にいっぱいいるんだろうなっていうことを、幼稚園レベルで 感じたんだよね。人間っていう人種に対して、残酷さとか腹黒さを感じたのは、多分この映画をTVで見た時が 一番はじめだと思う。残酷だし、腹黒いし、儚いし、切ない生き物だなあってすごい思うようになった。ほんとに すごい壮絶で、でも言ってみれば大好きかもしれない映画。知らない人は機会があったら、絶対一度は 見て、ってすすめる。生とか人間に対してあんなに生々しくリアリティを感じることはないと思う。あっぱれ、 デヴィッド・リンチ。
Fan 何かの「ファン」をしていると、たまにファンとはなんぞや、とか考えることがある。私は基本的にオンリーという 考え方がよくわからない。そうやって1人の人だけを真剣に好きって思ってファンをやることを、馬鹿にしたり、 軽蔑したりするわけでもないし、むしろそういう風にできる人がうらやましいと思うこともあるぐらいなんだけど。 これをいうと、偏見とか言われそうだけど、あたしはXやhideちゃんのファンには、そういったhideちゃんしか 好きじゃない、とかXしか好きじゃないっていう、オンリーファンが多いような気がしてならない。現にファンじゃない 周りの人から、Xファンやhideファンってそういう印象があるってなことをよく言われるし、それで腹をたてる 両ファンもいるみたいだけど、ファンとして渦中にいる自分も、周りを見てそう感じることは実はよくある。オンリー だ、どうだってことはともかく、なんだかわからないけど、、、自慰行為の集団という気がしてならない時があるのだ。 お互いに好きなものが共通してる同士が集まれば、自然に特定の集団みたいな雰囲気にはなると思うし、そうやって 好きなものに対する会話ではずむことはあたしにだってあるし、そういう<仲間>との瞬間はすごく楽しい。でも なんか必要以上に依存しているというか、依存しなきゃいられないんです、なんてへーこら言う前に、そうやって 言えるんだったら、、、、とかあたしはすぐに思ってしまう心の狭いファンだったりする。よく、「あたしは何かに 依存していないと、いられないのね。すっごくマイナス志向でなんでも悪い方に考えちゃって、すごい弱い人間だと 思うんだよね」みたいなことをあたしに対して言ってくる子とかいるんだけど、どうなんでしょ、って正直思う。大体 そうやって言ってくる子を見てあたしがホントにこの人って弱いんだなあって思えた人って、いるかいないかって ぐらいいない。つながることができるのならば、弱いとは言えないと思う。つながった集団=個みたいになるわけ だから、そりゃもう強力でしょ。本当に弱いのは、つながることもできず、なす術なくうろうろして、なんも自分の 感情を確認できなかったり、っていうそういう人達なんじゃないだろうか。で、つながった集団=ファンがものすごく うざったい時がある。なんか勘違いしてるというか。こう言うと誤解されそうだけど、たかがファン、なのに。ファンに よって世間が、そのアーティストに対する印象を決めがちだっていう現実を見ることもしないで、わからない人には わからなくてもいいとか言ってみたりしてさ。何様?とかあなたは、そのアーティストの何ナノ?って思う人が結構 いるような気がしてならない。ファンの質みたいなものって、ライブとかで顕著になるような気がする。いいアーティストに いいファンがつくわけじゃないんだなっていうか。私は、大好きな人が、好きっていう枠から出た世間においても、 誤解されるようなことがあったりするのは、すごく嫌だ。もちろん、全員に理解してもらおうなんてそりゃ無茶だけど、 少なくても、そのアーティストのイメージを汚すような、勘違いしたイメージを持たれるようなファンにだけは絶対に なりたくないっていつも思ってる。
Group 基本的に苦手な分野。集団で何かするっていうことは極力避けたいと思ってる。今はもう、必要以上に集団でいる 必要はなくなったけど、高校生までは言ってみれば毎日が集団生活だった。これでまた社会人になったらそういう 生活になる可能性もあるんだろうけど、それと学生とはまた違うだろう。とにかく合う合わないというのがはっきりしていて 合わないなと思った人だと、何をするわけでもなく一緒にいたり、目の前にいるだけでもう嫌なのだ。嫌いなのとは 違う。人を嫌いだと思うことはめったになくて、合わない人に対しても「この人のこういう所はすごいな、いいな」とか そういうのはある。でも、合わないもんは合わない。それでココロの中でそういう感情を処理したりとか、しまっておいて 表面的には普通に付き合うなんてことができないもんだから、何かとトラブルになる。ただ、基本的には争いごとが 大嫌いだし、めんどくさがりだから、トラブルにならないように様子を見るの。あんまりこう、率先してトラブルの原因になる 陰口とか噂とかをいうのは本望じゃないから。自分からトラブルになるようなことを直接的にふっかけることはない 代わりに、売られたけんか、トラブルは絶対に買う。そうなるまでは、集団の和を必要以上に乱すこともしたくないから 主張を押し出すことは極力避けるけど、そうなるともう、後ははっきり自分の意見を言う。そうなったらもう、言った方が いい場合もあるから。絶対的に合わないって人とは、そういうこともないんだけど。もう、「合わない」から、必要最低限の 会話しかしない。気にさわることを言われても、適当にかわすか黙りこむ。目も合わせない。でも、態度は穏やかに する。集団で何かする時で、中に合わない人がいる場合は大体昔も今もこんな感じ。ずーっと女子校だから、女同士の くだらないいざこざには、慣れてるんだけど、いい加減なんとかならないかなって自分も含めて思う時は何度となくある。 傍目から見て、女の集団ってうざったい、かも。(^^;)だからっていって、男同士の集団っていうのもいいとは 思えんけど。基本的に、あたしは集団行動っていうのがやっぱり駄目らしい。でもそれってきっと、この文章とか読んで くれてる人は感づけることだよね、きっと。(笑)一人が好きっていうスタンスは、大事にしたいけど、やっぱり少しは 協調性も身につけなきゃなって痛感する今日このごろ、、、、、。 |