非常に忙しい。テロのことも忘れるほどだ。こういうせわしい世の中がテロをおこさせたのだろう。
といってもせわしいのは人類の中のほんの一部かもしれない。
こうした世界観の違いをダイレクトに実感できる表現を我々の多くは持っていない。行間の欠落から感じ取るだけだ。饒舌になることで欠落をしぼりこんだり、寡黙になることで漠然と暗示したり…そして本来重視されるべき「行間」より、「行」に書かれたことに手軽に影響されてしまう。あるいは他人とは「行」によってしかコミュニケーションできない。
報復世論もはやまっているわけではないかもしれない。単に「お手軽」なだけかも…
昨日LAダウンタウンに行ったが、ニューオータニホテル内のみやげ物屋・レストランは悲惨な状況だった。オレンジ郡でも同様に低調なのだろうがあまり実感できない。気のせいかもしれないがフリーウエイの交通量が増えたような気がする。なぜなのだろう?
あと2ヵ月もすれば失業者など経済環境に影響が現われてくるのかもしれない。でも新聞等から分析する暇もない。先手を打つ気も起きない。なぜか楽観的なのだ。
商売に関して言えば6年前の超円高($1=¥80)のほうが大変だった。打つ手はいくらでもあったが、俺が来たときはもう末期症状だった。間に合わなければ最悪撤退という可能性もありえた。幸運なことにそのときが底でその後急に円安に振れたので救われた(日本経済はその後「失われた」のだが)。今後不景気が加速しても多分大丈夫だろう。当時にくらべれば実に伸縮自在な態勢になっている。大仰に対策を打ち出さなくても日々の微調整で対応できそうだ。ただ従業員の雇用調整はしなければならなくなるかもしれない(つらいことだが)。
俺だけよければいいのか、とも思うが俺の境遇がいいのか悪いのかもよくわからない。