日本のメディアって何だ? (2000/4/18)

 

石原東京都知事の三国人発言がメディアで問題視されている。今回の石原東京都知事の全発言集を見て判断するに、今回の件は、個人的な理解だと、石原知事の発言を正確に伝えなかった共同通信の○○氏に非がある。

 確かに「不法入国した三国人がかならず騒擾を起こす」という発言は言い過ぎの感がある。しかし、そもそもメディアの力は強く大きい、なのに、その力を自覚せずに記事にしてしまう新聞記者の存在は明らかに問題がある(大体何で○○氏なんだ、名前を表示してもいいのではないか?、かたや都知事は公表されているのに)。新聞記者ならば正しく、正確な言葉と情報を私たち大衆に伝えて欲しい。そして、間違えたならば、潔く間違えを認めた方が好ましい。

 

 

日本の新聞は公正さを欠いていると言う意見がある。欧米の新聞よりも情報の正確さに欠けるというのがその理由らしい。それにはいろいろ理由があるらしいが、いずれにしても私たち大衆が正確な情報を求める力が薄っぺらいことがその一つの理由に挙げられるだろう。

ではなぜ、正確な情報が欲しくないのか?、私の考えられる範囲で思うに、日本の社会は母系社会であり、村社会であり、カルト的であり、議論を好まない、曖昧を好む、論理的でない人々の集まりであるような気がする。つまり、母系社会とは良い悪いに関係なく「ありとあらゆるものを認めてしまう」社会のことを指していて、多少間違った情報でもそれを鵜呑みにしてしまう包容力あふれる社会であり、それは得てして、情報に対する甘えやごり押しを通用させてしまう力を持っている。つまり、だからこそ、カルト的な存在が認められ、通用する社会になりうるわけで、少々の非現実的なものでも、受けいられてしまう。だからだろうか・・・?

 

 

情報の正確さを求める人の声があれば、メディアは正しく機能する方向に向かうだろう。

しかし、それを進めるにはまず、日本人の情報に対する理解が変わってゆく必要がある。また、組織体としての、社会としての議論できる環境が必要だ。それは甘えを許す母系社会ではなくて、言葉の攻撃性を許しうる父系社会であり、その中で明確な論理と言葉に裏付けられた、その時点での正しい情報を見つけることのできる社会であろう。

やっぱり私は正しい情報がほしいし、見つけられたら嬉しい。あなたはそう思いませんか?