-1999  8月までの日記はこちら

2000/2/14

受験シーズンが始まって、オレもまずT大学とR大学を受けてきた。T大学はうまくいったが、R大学はちょっと微妙。その後またW大学が控えているのだが、もう受験のために遠出するのは疲れていや。

東京はやはり人が多すぎる。渋谷なんかごりごりで、こんなところにいたら絶対に体力の浪費になると思う。

で、東京を歩いたのがちょうどこの前の建国記念の日で、自分はそんなこと露知らず状態だったので、街に異様に過激派結社の黒い車とかが出てて、たとえば車のメガフォンから「このままでは日本は必ず滅びる」を、何回もほざく「股間メイク」という名の結社がいらっしゃったのだが、何でこんなにそういう車が多いのかがわからなかった。渋田駅の北側では、機動隊が出動し、何かの集会を取り締まっていた。今でもやっぱりそういう学生もいるんだな。付き合いたくねぇ。キモイ。

あと、2/9にJR東海道本線の神奈川県真鶴駅で殺傷事件が起こったが、自分はJR小田原で新幹線を降りて東海道線に乗ろうとしたらちょうどその事件が起こった直後で、刺された人が小田原まで電車で搬送されたのと入れ違い状態で、オレがホームに入ったのだった。殺傷事件のステージとなった電車は、もしその事件がなかったら、オレが乗っていくはずであった電車だったのだ。試験よりもそっちのほうがよっぽど怖かった。

ちなみに、その事件を起こした3人組はいまだ逃走中である。


2000/2/2

今年は雪が少ない。ここ数年は暖冬傾向だったとは思うが、それでも1センチくらい積もる日が2回は最低でもあった。しかし今年はいまだほとんど積もってない。この冬一番の寒気が流れてきたときも、朝方起きたらチリのようなパウダースノーが少しあったくらいである。よって、つまらない。

西日本のほうでは平野部でも結構降っているようなのだが、東海地方は今年はついてないということか?

今日友人とゲーセンに行ったら、中坊らしき者がDDRをやっていたのだが、妙にカッコつけ(ようとし)て体をくねくね不自然に動かしてステップを踏んでいた(友人Mは顔を赤らめて大爆笑していた)。そして1ステージ踊り終わると、腰を倒し両手を膝に支え、相当息を切らしていた。じゃあ妙にカッコつけるなよ。おまえは邪道だ。

また別に女の子がやっていたが、その子はステップするというよりも殆ど足をパネルから離さずに、タッピングさせるような風に舞っていました。あなたも邪道です、オレからすれば。

名鉄がもしかすると130kmを行うかもしれないという噂がある。でもその力を発揮するところはたくさんはない気がする。三河地方なら直線が多いから、豊橋〜新安城は相当速くなるだろうが、知立以西はカーブが多く、最高速120kmでの走行もままならないほどである。

まあ、どちらにしろそれが実現されれば、豊橋〜名古屋の最速競争は名鉄の一人勝ちだろうが。名鉄にはがんばってほしいものだ。

ちなみに、現行の最速運転速度は現在120kmとなっているが、運転席のスピードメーターを見るとそれよりもやや多く出しているのがわかる。123kmくらいは出ていたと思う(客席に移る電光掲示板は、どんなに速くスピードが出ていようが120km以上は表示しないので、信用してはいけない)。ただ、その日は風が強く、しかもモロ向かい風の方向に向いて走行していた(伊奈⇒名電赤坂)ので惰性にしてからの減速率が大きく、よってそうしたのかもしれないが。

その辺の熾烈なレースとは裏腹に、地元のJRは最高速度が110km。惰性走行時の平均スピードは100kmを下回るだろう。さらに1時間3本のみ。天下の東海道線がこんな貧相な運行状況とは、ふざけるのも限度がある。たぶん付近にライバル路線がなくて寡占状態なため、奢っているのだろうよ。


2000/1/30

今日は日曜日だということはわかっているが、何日なのかがはっきりしない。よってこの上に書いた日付けも、正確かどうかはワケワカメ(よくわからない、の意)である。

入試は確かに近づいてはいるけど、去年ほど緊張してないのです。

昨日は名古屋のほうまで電車の旅をしてきた(家から大して遠くないので、旅というと語弊がありそうだが、いい言葉が見つからないのでそうしておく)

で、何のためにというと、目的地で何かをやらかすわけでもなく、ただ電車にたくさん乗りたかったから(名鉄の)。駅構外に出ることは目的ではないので、最初の駅で往復切符を買って、その間をフリーパス状態にして何遍もウロウロ行ったり来たりして乗っていた。

そしてびっくりしたのは、(うわさには聞いていたが)新名古屋駅のダイヤの過密さ。2分に1本間隔で電車が来る。しかも駅は上り下りの線路が1本づつそれぞれしかれているだけ。しかもこれはラッシュアワーではなく、午後2時ぐらいのこと。これだけの小規模な駅で1日40万人をやりくりするらしいから、大したものだ。

ただし、一応新名古屋駅は名古屋鉄道本線であるけれど、多くの支線が合流して新名古屋駅に入ってきて、神宮前駅以降で、また各支線に分かれていくので、本線全部がこんなにみっちりダイヤであることはない。

ちなみに、金山の駅で降りたらたまたま、電車でGO名古屋鉄道編の発売を契機に、タイトーが電車でGOの催し物をやっていて、人がもりもり集まっていた。かたやその逆サイで、ゆずのようなフォークバンド二人組がなかなかうまい歌を披露していて、そっちももりもりの人々だった。で、電車のほうにはオタッキー君が、ゆずのほうには中高生の女の子が、見事なまでに棲み分けをしているのが面白かった。


2000/1/4

本日も服を買ってしまった。あちらこちらでバーゲンで、あんまりお年玉は使わずにとっておきたいのだけれど、今買わなければ結局後で買っても損をしてしまうということで、とりあえず自分も乗せられてしまった。

自分は鮮やかな赤のハイネックセーターを持っていて、それに合うような黒のカーディガンがほしくて、それを買いにいったつもりだったけど、やはりバーゲンであれもこれもかなり安めになっているので目移りしてしまう。いろいろ見ていく中で、結構しっかりした作りのチャコールっぽい色のブルゾンが、定価¥12800を¥5000にしてやっていた。しばらく買おうかどうか迷った。なぜかというと、カーディガンはそんなに値引きはされておらず(¥4900⇒¥3900)ブルゾンとあんまり値段も変わらないし、編み方がソフトに作られていたので、毛玉ができそうで嫌だったから。

そして、ブルゾンを買うのを決定付けたのは、自分はすでに紺のカーディガンを持っていて、なおかつブルゾンは1着も持っていなかったということだった。

結局最後には、カーディガンに何の未練を残すこともなくブルゾンに浮気してしまった。そういう意味では後味のよい買い物だった。ただし、お年玉の半分がもうなくなってしまったことだけが少し心残り・・・・。

ちなみに、オレの友人Mが行った○I○I(マルイのことね)の初売りでは、店に入るのに30分も並び、レジでも20分待ったらしい。その代わりPPFMでシャツが半額とかで買えたので相当嬉しかったようだ。


2000/1/3

ミレニアムという言葉の使い方が今日やっと解けた。

あれは日本語に訳すと「千年紀」らしいのだが、なんだかんだ言って問題になるのが、「じゃあ2000年が新しい千年紀の始まりというのなら、西暦0年というわけのわからない年(つまりキリストがまだ生まれてない年)は、どう説明がつくのか、ということである。

で、その回答だが、千年紀とは「ただ単に、千のケタの数字を基準にしているもの」である。西暦が千のくらいが3だったら「3千年紀」というし、8だったら「8千年紀」というだけのことである。ちなみに西暦0年が千年紀の始まりだかどうかだというのは、一回冷静になって考えてみればナンセンスなことがよくわかる。

だって、西暦1000年から1999年までを「1千年紀」というのだから、その前の千年紀なんていうのは「0千年紀」。こんなものあるはずがない。ふつう、西暦が1000のくらいに到達するまでに千年紀という考え方を浮かべていたら、世紀と同じように、1年から999年までを「1千年紀」とするはずだ。しかし、この言葉は千の位の年まで到達していない時期に、その期間を自ら「1千年紀」としているので、またわけがわからなくなる。

結局、ミレニアムという言葉は、西暦が1000になったとき、ゴロもいいし、せっかくだから千年紀というのを作ってみたらどうかな、と、当時の人の安直な考えの上に成り立ったものという感じが強い。

そして、オレたちは西暦2000年から21世紀だと思い込んでいたけど、そうじゃないことがここ数年来のうちにみんな気づき始めてきて、たぶん拍子抜けしたんだろうか、いやしかし、それじゃせっかくの2000年といういい節目なのに、なんか自分たちの気持ちを盛り上げてくれるものが無い、と、ごそごそガラクタ箱を開けて、とうの千年前以来一度も使っていなかった「ミレニアム」という言葉を取り出して、ここぞと頻発している。

むかしのひとも、いまのひとも、かんがえることはにてるもんだね。

今年こそは新世紀か??それとも、世紀末?いや、聖鬼魔Uか???(漢字自信がありません)

きょうは、名古屋へ行った。TMのすごく古いビデオが2個も売ってたので、迷わず掴んでレジに直行。しかし、あんな有名なCDショップに、なんであんなレアなものが売っていたんだ??・・・・あと、ブラックのベルボトムを買った。思ったよりもこの手の形のパンツは小さくて、一番大きいサイズがウエスト32で、ちょうどそれがぴったりだったので買って帰った。

それにしても、JRの人の多いのと、名古屋空港直通バスの料金の高さには参った。


2000/1/2

12/31は千年代最後の日だというのに、たしか11時ごろには寝てしまった。次の日は親に起こされて、朝7:30には家を出て はつまうで。そのままバイトに直行。コーラを飲んで仕事に打ち込む。家に帰れば ほけぇー としている、なんともよくわからない一日だった。

そんなたわいのない年越しではあったが、頭の中では何かが変わってきている感じがする。

ずっとガキのころから、2000という年をひとつの時代の区切りとして考えてきていただけに、2000に実際なったというのが、自分の頭の中のイメージとして、これまで1900年代は水面下で、今年(2000年)になったことは、その中から浮き上がってきたというような感じがした。

しかし、ミレニアムというのは、いったいどういう使い方をするのが好ましいのだろうか。

年末にNHKで、映像の20世紀というのをやっていた。途中の章から見始めたのだが、あれには相当の衝撃を受けた。それは、確かに、殺人のシーンとかが出てくる生々しさからでもある。日本はww2の後、国家規模の戦争にほとんど直接関与していないし、内紛もないので、人が殺される瞬間というシーンは、滅多にお目にかかることはない。だから、ベトナム戦争中の映像で、ベトナムの捕虜が米軍によって路上で連行されていて、米軍は突然捕虜を止め、捕虜は銃でこめかみをぶち抜かれて、そのまま崩れて頭から血が、ホースの口から出る水のごとく、ドクドクと溢れていくカラー映像のシーンを見たとき、その後一分くらい、テレビの内容に集中できなかった。ありきたりな表現だが、自分の頭に、重く鈍い響きがつたわった。

オレらは、今現在、人間の体を、あたかも魂と一体化しているかのようなものと錯覚している。いつも食べている牛肉などとは違う、神聖で、汚してはならないものだと錯覚している(本来なら「錯覚している」と書くより、「信じることができる」と書くほうが、俺らの世界の中では適当かもしれないが)。しかし、この平和な国にいることによって、「人間も牛肉のように心のない「物」として扱われうる」なんていうようなことはない、という考えに、オレらは生まれながら浸りきっている。

もちろん、人間の心は尊重されるのが最もよいことであるが、世界には自分たちの想像を絶する、非情で過酷な現実が無数にあるという事実をも知らなければならない。一方の考えにのみ偏るのはどちらでも危険で、両方をバランスよく理解しなければならない。そうすれば、自分たちはもう少しいろんな物に、やさしさと感謝をもてるのではないだろうか。


10/15 雨後曇り

二ヶ月以上更新していなかった。なぜかというと、オレのキーを打つのがトロくさいのと、ソフトの使い勝手が最悪で時間がかかってしまうのと、お受験モードに突入で時間が取れない など。あとネタ切れもあったかも。

一個まえの日記を見ると、シンセが欲しいと言いまくっていたのだが、現在それは、オレの足元に居座っている。かなりいい性能なのだが、付属のシーケンサーは、このシンセの表現力を最大限に引出せる、バッチリのシーケンサーではないので、ちょっと悔しい。といっても、他にこのシンセのポテンシャルを最大に引出せるシーケンサーがあるといっているのではない。パソコンのシーケンサーでは、そういう制約がやはりでてしまうということを考えると、シーケンサー内蔵のシンセも侮りがたし、と思う。

8/9以来買ったCD・・・クリスティーナ アギレラ/クラムボン・・・JPSMLE・・・FOR YOUR SMILEなど

この中で一番いいのはクリスティーナだった。リズムがカッコイイ。

 

最近、特番みたいなので、JPOP90年代ベストヒットだとか、20世紀ベストヒットだとかがたくさんやっている。自分の好きなアーティストは売れ線上にいる人の中にはあんまりいないので、見る気はしないのだが、それでも見てしまった。しかし、こういう歴代の音楽セールス振り返り番組(今週のトップチャートとかは別物ね)を見ると、いつも同じ気持ちになる。

だいたいアルバムとかではB'zだとか、ドリカムだとかがモリモリ入っていて、そして上の方に来るとグローブ、グレイ、宇多田ヒカルなどと来るのだけれど、見終わったあとで感じるのは、ナンセンス、という感覚。

だいたい、チャートの歴代3位に来るようなのは、だれでも知っているような曲。街に入ればあちこちから流れてきて、いやというほど耳に焼き付けられた。そんな曲をわざわざ振りかえることの意義が分からない。

それに、ある新聞の特集で「現代のCDの購入層は二極分化している。現代の音楽はいろんなジャンルが増えてきているため、その中から自分ごのみのものを見出し、その世界を突き詰めて行こうとすることができるわけであるが、逆にいろいろジャンルがありすぎて、音楽にそんなに大きな関心を寄せていないような人たちは、何を選んだらいいか分からず、とりあえず売れ線のものを買っておき、世の中の流れに乗っておこうとしているわけだ」という、某H大学の教授の説があった。自分もこの見方は確かに的を得ていると思う。

だから、この事を前提にして考えれば、好セールスをマークした楽曲も、このように「売れ線をとりあえず買っておこう」という、ある意味安直な考えを持った購入層によって記録が打ち立てられたので、数字的には脅威ではあっても、その楽曲的な評価も必ず売り上げに比例しているとは絶対に言えない。

トップチャート回顧番組を企画する時点での、企画者の意図しているものが非常に浅薄、そうでなければ相当な視聴率優先主義。

日本でも、なんかそういう、人気やセールス以外での、質的なランクをつけてくれるようなのが会ったらまたこれは面白いのにな。ただ、質というのは基準が??だから、作るとしても相当な論議が巻き上がるだろうが。