LET THE MOVIE DO THE TALKIN'!
原作はスティーヴン・キングの小説。
脚本もキング自身が行っており、本編にチョイ役で出ていたりもする。
舞台は、キング作品には毎度おなじみのメイン州。
この土地に引っ越してきた医者のルイスとその家族。
隣人から、近くに有るペット・セメタリー(動物墓地)に死んだものを埋葬すると生き返る、という話を聞いたルイスは、ある日、車に轢かれて死んだペットの猫を埋める。
すると猫は、見かけは生前と同じ姿で甦ってきたではないか!
この事を知ったルイスは、交通事故で死んだ幼い息子をペット・セメタリーに埋めてしまう・・・。
この映画を劇場で観たのは、確か18歳くらいの時。
キング作品にハマっていた事も有って、新宿のコマ劇場にある映画館で観ました。
ホラーの根幹にある要素のひとつに「浸食される日常生活」というものがあります。
ごく当たり前に過ごしていた日常が、フとしたきっかけで、非日常へと変化する、そのシフト加減がホラー映画のダイナミクスに大きく関わって来るのではないでしょうか。
この作品では、「愛する人を突然失ってしまう」という非日常に叩き込まれた主人公が、もう一度家族に会いたい一心でその死体を禁断の土地(インディアンにゆかりのある土地)に埋葬してしまいます。
この「埋葬した死体が甦る」というのは、土葬があたりまえのアメリカであるから成り立つ要素ですな。
「ゾンビ」にしろ、土葬文化がなければ話自体が成り立ちません。
昔、「ゾンビ」モノがはやっていた頃、子供心に「でも日本は火葬してるから、ゾンビは出てこないハズだ!!」と無理矢理自分を納得させてビビリな自分をごまかしていたものです。
閑話休題。
しかし、甦ったかつての愛する人は見かけは一見同じでも、邪悪な存在として甦ってしまいます。
結局、一度死んでしまった人間を甦らそう、というのは生き残った人間のエゴであり、生き物の摂理に反する事なのでしょう。
結局、再び息子を「死体」へと戻す主人公に、息子は今際の際に「ずるいよ・・・」と言い残して(この時だけ、表情が生前の無垢なものに変わる!)動かなくなります。
自分の都合で、死んだものを無理矢理に生き返らせ、それが駄目だと判るともう一度殺そうとする・・・そんな主人公への断罪の言葉です。
でも、もし自分が愛する人を失ってしまったとき、主人公と同じ感情にとらわれてしまったとしても、それをばっさり「それはエゴだよ!」と割り切れるか・・・と言うと、実に微妙な所です。
しかも原作では、主人公と奥さんは奥さん方の両親が反対するのを押し切って結婚していたために、常に「家族を守らねば」という思いに駆られていた、という伏線が有ったりします。
作品前半の主人公家族の幸せな描写が、よけいに後半の主人公の行動に説得力を持たせています。
監督が女性である、というのを後で知って、納得してしまいました。
この作品は、当時はやっていたスプラッター映画とは違い、残酷描写や「ドキィッ!」とビックリさせるようなシーンなどはかなり抑えめになっているのですが、主人公の行動を考えれば考えるほど、実に悲しく、恐ろしいお話だと思います。
実際、劇場で観た時には思わずジ〜ンとしてしまいました。
ホラー映画観て泣いてしまったのは、「エクソシスト」とこの作品だけです。
18そこそこの時点でそうなのですから、もし自分に子供が出来た時にでも観たら、どうなってしまうんでしょうか。
ちなみに主題歌をThe Ramonesが担当。 キングはロック・ファンでもあり(自信のバンドでツアーもした)、「悪魔のデビル・トラック」ではAC/DCが音楽を担当していたり、他の小説のなかにもThin Lizzyの名前が出てきたりします。
ホラー作品としては1級品、という訳ではありませんが、不思議と心に残る作品です。