LET THE MOVIE DO THE TALKIN'!
かつて、今まで「20世紀フォックスのテーマ」だけで、これほどまでに胸が期待に膨らんだ作品があっただろうか?? そして、黒バックに青い文字で浮かび上がる「A long time ago in the Garaxy,far far away」、間髪入れずにジョン・ウィリアムスのテーマと共にやって来る「STAR WARS」の文字。 この瞬間、観客は現実を忘れ、約2時間30分の間、遥か彼方の銀河への冒険の旅へと旅立つ事を許されるのだ。 これこそ、真っ当すぎるくらいに真っ当な「エンターテイメント」ではなかろうか。
1977年に制作された第一作「STAR WARS EP-4:A NEW HOPE(新たなる希望)」から始まった「STAR WARS」サガ。 1980年「EP-5:THE EMPIRE STRIKES BACK(帝国の逆襲)」、1983年「EP-6:RETURN OF JEDI(ジェダイの帰還)」で一旦は3部作として終了した本作だが、「実は9つエピソードがあって、映像化されたのは真ん中の3作」というのは、かなり初期の段階からジョージ・ルーカスが発言したりしていた。
EP-4〜6までのいわゆる『旧3部作』は、タトゥーインという砂だらけのド田舎惑星で宇宙に夢を馳せていた青年ルーク・スカイウォーカーが、ふとしたきっかけから銀河を独裁支配する帝国と反乱軍の戦いへと身を投じる事となり、やがてかつて銀河の平和のシンボルであったジェダイの騎士へと成長、己の数奇な運命と戦いながら仲間と共に帝国に立ち向かって行く・・・という、SFであり、冒険物であり、青年の成長憚といって良い。
その根幹となるストーリーは、数年前から映画界を席巻していた殺伐としたアメリカン・ニューシネマの作品群からすれば、わかりやすすぎる位にシンプルな勧善懲悪であり、しかしそれ故に世界中で多くの人々を夢中にさせたとも言える。
そして1999年「EP-1 THE PHANTOM MENACE(ファントム・メナス)」から始まった新3部作。 ここでは、ルークの父親であるアナキン・スカイウォーカーがジェダイの騎士として成長し、やがては銀河にその名を轟かせる『ダース・ヴェイダー』へ至るまでの物語が描かれる。 EP-1では「フォースのバランスをもたらす者」という予言の子として奴隷の身分から解放され、ジェダイの騎士の訓練を受けるに至るまで、EP-2ではオビ=ワンの優秀な弟子として成長、活躍するも、母親の死、禁じられたパドメとの愛と、その先に待つ暗雲を感じさせる展開になっていた。
EP-3では、全てを裏から操っていたシスの暗黒卿が、ついに表舞台にその姿を現す。ダース・シディアスの野望が叶うときが来たのだ。 アナキンは自分にとってかけがえのない者を守ろうとする余りに、ダーク・サイドの誘惑に負け、ついには敵対していた勢力の群門に下る事となる。アナキンはもはや後戻りの出来ない泥沼に足を踏み入れ、闇に閉ざされた目は、事の発端となった手段と目的がすり替わってしまった事さえも気付かない。
銀河の平和の守護神であったジェダイ騎士団は、パルパディーンの用意周到な計画『オーダ−66』によって、次々と倒れていく。
かくして正義は敗北し、ヒーローは闇に墜ち、悪がその勢力を拡大していく事になる・・・しかし、ほんのわずかな光もまた、この世に生を受けていた・・・。
かくして、最終作のラストシーンは、これ以上ない完璧さで、第一作目でありこのEP-3に続くストーリーとなる「EP-4:A NEW HOPE(新たなる希望)」へと、バトンを渡す事になる。
新3部作の最終作にして、今の所1977年から始まったSTAR WARSシリーズ最後の劇場作品である今作。 EP-1、EP-2と、公開されるたびに「新作のSTAR WARSを劇場で見る事の出来る喜び」を目一杯味わいながらも、どこか心の片隅で「いや、でも、う〜〜〜ん?????」と歯痒い思いをしていたし、最終作となる今作も「本当に大丈夫なんだろうな〜〜〜!!???」と懐疑的な気分を抱かざるを得なかったのだけれども、EP-3はそうした感情を完全に吹き飛ばしてくれた。
傑作である。
今回一番驚いたのは、アナキン役のヘイデン・クリステンセン。 前回では、パドメとの草原で抱き合ったままくるくる転がる・・・なんていう、頭を抱えたくなる様なシーンがあるわ、単に短気で青二才なだけのアナキンだったのが、今回は佇まいからして「ヴェイダーとなる男」というオーラを出していた。
今回アナキンは、後に大きく影響を及ぼすであろう「ある場面」で、選択を迫られる。 実はそれは後に息子であるルークにも、ほぼ同じシチュエーションで起こるのだ。
アナキンは「それ」を行ってしまい、ダークサイドに墜ちる一つのきっかけとなる。
ルークは「それ」を拒絶する事で、ダークサイドの誘惑に打ち勝つ。
親子のたどった道は、要所要所で合わせ鏡となっているのだ。
以前から指摘されていた「ルーカスに人間ドラマは描けない」という批判も、今回ばかりは当てはまらない。見事だな、と思ったのは「オーダ−66(これが何なのかは、あえて触れずにおこう)」によって次々と倒れていくジェダイの騎士達のカットバック。
友人であるフランシス・コッポラの「ゴッドファーザー」の1シーンを思わせる、凄惨さと悲劇性と、(誤解を恐れずにいうならば)美しさ。
そして、死の淵から機械化された身体で甦るアナキン=ダース・ヴェイダーと、別の場所で生まれくる2つの命と、消えゆく1つの命とを対比させつつ巧みに繋いだシーン。この時この世に生を受けるルークとレイアが、最終的に帝国を倒し、ヴェイダーに善の心を呼び戻し、ジェダイの騎士・アナキンへと戻す役目をになう事を考えると、感慨深いシーンと言える。
個人的には、ユアン・マクレガーが元々好きな俳優なせいか、オビ=ワンに感情移入しながら観てしまった。 自分のマスター、クワイ=ガン・ジンが見出した「フォースにバランスをもたらす」と予言された子アナキンに、はじめは嫉妬まじりの感情を抱きつつも、マスターの遺志を継ぎアナキンをジェダイに育て上げ、数々の修羅場をくぐり抜けていく中で実の親子もしくは兄弟同然の愛情を抱いたオビ=ワン。
EP-1の頃は、ジェダイ・マスターとしてはやや型破りな師匠クワイ=ガンに意見する事もあったくらいに慎重かつ冷静沈着なオビ=ワンが、EP-3では自ら敵のド真ん中に単身殴り込んでいったりと弟子であるアナキンに影響を受けた(あるいは元々無鉄砲だったのを自制していたのが、アナキンと行動するにつれヤンチャな地が出てしまった?)かの様の描写が出て来る。
グリーヴァス将軍とのバトルでも、まるでセイバー戦を楽しむかの様に、キメのポーズ(これがまた痺れる程カッチョ良い!)なんてしてしまう。 ある意味、オビ=ワンとアナキンは弟子と師匠という関係を超えて、親子であり兄弟であり、ベスト・パートナーであったのだろう。 しかし、その感情は最悪の結果で裏切られる。
自分の弟子アナキンがダークサイドに墜ちたことを知り、戦わなければならない相手となったのだ。
青いライトセイバー同士での戦い(シスのセイバーは基本的に赤いのだ)を制した決闘の後、変わり果てた姿となってしまったアナキンに「You were chosen one! 〜You were my brother,Anakin! I loved you!(お前は選ばれし者だったのに!(中略)お前は弟同然だったんだ、アナキン!愛してたのに!」と叫ぶオビ=ワンの姿に、胸が張り裂けそうになる。
アナキンがジェダイであった証であるセイバーを拾い上げ、去っていくオビ=ワン。 このセイバーが後にアナキンの息子であるルークの手に渡ることになるのだ・・・。
最後に残された希望であるルークとレイア。
レイアをオルデラーンのオーガナ議員に託し、ルークを抱えてタトゥーインに降り立つオビ=ワン。 オーウェン夫妻に託されたルークと、それを見守るオビ=ワンを、沈みゆく2重太陽が赤く照らす。
約20年の後、宇宙に夢を馳せるルークが見つめる同じ夕陽である・・・。
ここに至るまでのシーン、一切セリフは出て来ない。 その代わりに叙情的な旋律がシーンを盛り上げていく。
元々、STAR WARSシリーズは、全作ともラストシークエンスではほぼセリフなしで進行して、エンド・クレジットへとなだれ込んでいくのが定番だった。
でも今回の、終盤に至る暗い展開に「エンド・クレジットはどうなるんだ??」と思いつつ観ていたが、実に見事にエンド・クレジットへと結びついていく。
さすがジョン・ウィリアムス。
特にタトゥーインのシーン。2回劇場で観て、2回ともここで泣いてしまった。 それほどまでに見事なラストシーンなのだ。
思わず観終わった後に、EP-4から始まる旧三部作を観たくなる・・・そういう衝動にとらわれるのは、俺だけではないハズだ。
ラスト・シーンだけではない。
そもそも旧3部作では、当時ではやや時代遅れとなってしまったオーケストラによるサウンドトラックによって、見事にSTAR WARSワールドを構築していた。 主旋となるメロディをトランペットに加えてチューバ等の低音域を担当する楽器を使用する事で、圧倒的な迫力を出している。
ワーグナーが「ワルキューレ」等で用いた方法だ。
新3部作では、それに加えてコーラスを使用している。
EP-1ではダース・モールとクワイ=ガン、オビ=ワンとのバトルで、EP-2ではタスケンに拉致された母親を救出すべくタトゥーインの大地をスピーダーで疾走するアナキンのバックで使用された「Duel of Fate」がそうだ。
EP-3では、アナキンとオビ=ワンのバトルでそれをさらに発展させた楽曲が使用されている。
ライトセイバーが交錯し、アナキンの感情が高ぶるたびにそれに呼応するかの様に吹き上げる溶岩。シスとジェダイの決闘を鼓舞するようでもあり、その後に控えている運命をも示唆するかの様な響きだ。
今回で1977年以来続いていたSTAR WARSも、一応その幕を閉じる事となる。 思えば9歳の頃に観た「帝国の逆襲」以来、STAR WARSの世界にハマってしまった自分としては、ようやく物語が完結する喜びと共に、もう新作をスクリーンで観る事のない寂しさにとらわれていたりする。 映画そのものだけではなく、様々なメディアをも巻き込んだ形で作品が熱狂的に祭り上げられる、いわゆる「イベント・ムービー」のはしりがこのSTAR WARSだったりするのだけれども、賛否両論あれどそうした「約3年ごとにやって来る素晴らしきバカ騒ぎ」は、今回でおしまいなのだ。
しかし、やはりリアルタイムでSTAR WARSを追いかけて、最終作で無事その物語の輪が閉じる場面に立ち会う事が出来た喜びは大きい。 なんと言っても、我々が望めばDVDやビデオで、いつでも「遠い昔、はるかかなたの銀河系」へと飛び出す事が出来るのだから。