我が心のベーシスト様

by Kodai Yamase

john tayler

JOHN TAYLER(DURAN DURAN)

さて、時代はとうとうというか、ようやく21世紀になりました。
私自身もベースを手にしてから、はや10以上の歳月が経ってしまった事になります。
その割にやぁ全然理論の事なんか分かってなかったり、振り返ってみると、まだまだいたらない所がたくさんあるな、というのが正直な所です。
そこで、今回は10回目にして初心に戻るつもりで、私がベースを弾く切っ掛けにもなったベーシストを取り上げてみたいと思います。

彼の名はジョン・テイラー。DURAN DURANの創始者にして、オリジナルメンバーとしてDURAN DURANの黄金期を支えてきた人です。

思えば私が中学生の頃。色気ヅいた私は当時の深夜の代表的お色気番組を観ようと夜更かしをしていました。
親の寝入ったのを確認してテレビのスイッチを入れた時、ブラウン管に映ったのはオネーチャンの裸ではなく、DURAN DURANと名乗るバンドのプロモビデオでした。

それ以来、私は彼等の虜となり、音楽雑誌を読みあさったり、FMをマメにチェックしたり、なけなしの小遣いでシングルやアルバムを買うようになったのでした。いわば、洋楽への目覚め、というやつです。

さらには近所のお兄さんからもらったアコギで、ギターに早々と挫折した私は、ギターの5〜6弦の辺りをベースに見立てて、コピーの真似事なんぞを始めたりしたものです。

それが何かの間違いでほんとにベースを弾く事になるのですが、そんな事もあり、今から考えると自分でも意外ですが、ベースの弾き始めは2フィンガーで、ストラップも短かめでした。
そのベース・スタイルは数年後GUNS N' ROSESと出会うまで続くのです。

そもそもDURAN DURANは80年代初頭にイギリスで起こったニューロマンティック・ブームの筆頭としてデビューしました。
ニューロマンティックとは、中世ヨーロピアンな貴族趣味丸出しな衣装と、グラムロックな出で立ちでダンサンブルなサウンド繰り広げるというのが、大雑把ではありますが特徴と言えるでしょう。

DURAN DURANは結成時のコンセプトが「シック+グラムロック+セックスピストルズ」だったそうです。

当時数あったニューロマンティック勢のなかでDURAN DURANが際立っていたのはそのルックスの良さもさながら、リズム体、特にベースの「黒っぽさ」にあるのではないのでしょうか。
そもそもDURAN DURAN結成時、ジョンはギタリストでした。しかし当時はシド・ヴィシャスに影響を受けたベーシストばかりで、ファンキーなベースプレイを求めいたジョンが結局ベーシストにスイッチしたのがベースとの出合いだそうです。

その後「ラム・ランナー」というディスコを拠点に活動を始め、「DURAN DURAN」でデビュー。「PLANET EARTH」「GIRLS ON FILM」で注目を集めます。2ndアルバム「RIO」は、MTVの放送開始に伴うビデオクリップのヘヴィ・ローテーションと相まって全米でも人気バンドの仲間入りを果たし、3rd「SEVEN AND THE RAGGED TIGER」から「The Reflex」が、憧れのナイル・ロジャースの手によるリミックスを経てシングルカットされ、全米シングルチャート1位を獲得しました。

この辺りがDURAN DURANとジョンにとって黄金期とも言える時期で、特に日本における彼の人気は凄まじく、『ミュージックライフ』や『ロックショウ』といったティーン向け洋楽雑誌の人気投票では永年トップの座をキープしていました。
その後ライヴアルバム「AREANA」リリース後にプロジェクト、THE POWER STATIONをギタリストのアンディと共に、永年のアイドルでもあるシックのベーシスト、バーナード・エドワースのプロデュースの元、始動させます。

この活動後、DURAN DURANは解散説が囁かれる中しばしの充電期間に入ります。
この時、ジョンはNYのアパートにガールフレンドと引きこもった挙げ句に、イタリア料理を食べ過ぎて見事に太ってしまい、女性ファンの涙を誘ったものです。
この後、ギタリストのアンディとドラマーのロジャーが相次いで脱退してしまいヴォーカルのサイモン、キーボードのニック、そしてジョンの3人での活動を再開させ、ボトムを支え続けてきました。

その後一度はDURAN DURANを脱退し、ソロ・アルバムをリリースしたり、元ピストルズのスティーヴ・ジョーンズや元ガンズのダフ(!!) と共にNEURITIC OUTSIDERSを結成したりと精力的に活動していましたが、2001年についにオリジナルメンバーでDURAN DURANが再結成、2004年には再来日を果たしアルバム「ASTRONAUT」をリリース、再びDURAN DURANとして精力的に活動をしています。

さて、そんなジョンのプレイ・スタイルについて。
これはDURAN DURAN初期から現在まで言える事なのですが、16ビートを基本としたドラム・パターン(特にバスドラにキッチリと合わせて)に、8小節単位のフレーズを乗せていくのが特徴です。
フレーズは曲にもよりますが、主にルート音と7thを折りまぜ、それにルートとオクターブのチョッパー的フレーズをアクセント的に入れた、典型的なファンク・スタイルを基本にしています。

元JAPANのミック・カーンなど、同時期のイギリスのベーシスト達がメロディックな所謂ヨーロピアン・スタイルなのとは対照的です。
かといって、彼がメロディックなプレイをしないか、というとそうではなく、「Save A Prayer」「Seventh Stranger」では実にベースで「歌って」います。
また、1stに収録の「Anyone Out There」ではピッキング・ハーモニクスを多用するなどしています。
ライヴ・アルバム「AREANA」ではフレットレスを使用している曲もあるなど、アイドル的偏見の目で見られてきた彼ではありますが、実はテクニック的にもちゃんとしたプレイヤーなのです。

ジョンの使用ベースですが、デビュー曲「Planet Earth」のプロモでは黒いリッケンバッカーを使用している以外は、しばらくアリアのSBシリーズをメインに使用していました。メインはシースルーブラックに1PUで、ライヴフォトによってはホワイトボディで2PUのものも使用していたりします。
また、THE POWER STATIONの辺りからフィリップ・クビキのファクターを使用し始めます。
これは、基本的にスタインバーガーの様なヘッドレスなのですが、4弦のみEからDにドロップできるカポタストみたいなものがついているものです。
その後、アルバム「NOTORIOUS」ツアーで来日した時(高校生だった私は、後楽園球場まで見に行った!) にも、このベースを使用していました。
最近ではワーウィックや、ヤマハのフレットレッスのエレアコも使用していましたが、NEUROTIC OUTSIDERSではバンドメイトのダフ・マッケイガンの勧めもあって、ギブソンのレスポールベースを弾いています。

オリジナルメンバーでの再結成ツアーではアリアのSBシリーズ「ジョン・テイラー・モデル」とミュージックマン・スティングレイを使用しています。
エフェクターは、曲中にコラースまたはフランジャーをちょいと使う程度で、基本的にはヌケのいい、太くてストレートな音色と言えるでしょう。

個人的にはジョン・テイラーといえばやっぱりアリアで、あのモデルが欲しくてたまりませんでした。
しかし、当時はあのモデルは生産されておらず泣く泣く同じシェイプの2PUモデルを2本所有してたりしました。しかし、最近生産が再び始まり、またも「ベース欲しい病」が発病の兆しを見せています。
いかんなぁ、サンダーバードも欲しいし、プレベも出来ればもう1本・・・。

さて、それはさておきオススメはやはり黄金期のアルバム。
ベース的にも、2ndの「RIO」がいいのでは。
後、ベスト盤も、シングル向けのリミックス違いがあったりして、手っ取り早いのはこちらでしょう。
また「STRANGE BEHAVIOR」という12インチシングル集だと、インスト部分がよりフューチャーされているので、ベースプレイを聴くのに向いてます。

そんな所で今回はこの辺で!!

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