我が心のベーシスト様

by Kodai Yamase

BILLY SHEEHAN

ビリー・シ−ンと言えば、今やジャコ・パストリアス等と並んでベーシストで知らない人はいない存在と言えるでしょう。Mr.BIGでの活動でその存在を知った方も多いと思いますが、実はこの人、「遅咲きの苦労人」であったりします。

ビリーは1953年3月19日にニュ−ヨ−クで生まれました。
小学生の頃に、ジミ・ヘンドリックスのステ−ジを観てショックを受けたのが切っ掛けでギタ−を手にし、その後ベースへとスイッチします。
ティム・ボガードやジョン・エントウィッスル等のベーシストに影響を受けつつ、1晩に4〜5回のステ−ジを21日間ブッ通しなどの過酷なライヴ・サ−キットを行い次第にその名を知られて行くようになります。

ビリ−がまずスポットを浴びる切っ掛けになったのはTALASというバンドでした。
私が初めてビリ−のプレイを聴いたのもそのバンド在籍時の頃で、確か高校生の頃に友人が「ここのベ−ス、『ベースのエディ・ヴァン・ヘイレン』って言われてんだぜ!」と興奮気味にレコ−ドを聴かせてくれ、その超絶プレイはともかく、ピックでは無く「指弾き」でやっている事にまずはブッ飛んだものです。

とは言っても、当時はまだ「ベースマガジン」も創刊前でベース専門誌など存在せず、ビリーはまだまだアンダ−グラウンドな存在で、名前もまだ日本では「ビリ−・シ−ハン」と表記されていました(GUNS N' ROSESのダフ・マッケイガンも、デビュ−時には『マッキャザン』等とフザけた表記がチラホラ見受けられていました)。
トニ−・マカパインのソロアルバム等色々なセッションなどで活躍するようになりましたがまだ「知る人ぞ知る」的な存在の域を出る事は無かったのです。

そんなビリーが一躍表舞台に出る切っ掛けとなったのが、1986年のVAN HALLENを脱退したデイヴ・リー・ロスのバンドへの参加です。ビリ−、この時点で33歳。
このバンド、何と言ってもギターはスティーヴ・ヴァイ。ヴォーカルはデイヴ。ドラムのグレッグ・ビソネットこそ無名の存在でしたが、まさに「スーパーグループ」と呼ぶに相応しいメンツだったのです。

思えばTALAS時代、「いつかビッグになるんだ」と夢見つつしがないロ−カル・バンド生活をしていたビリーに電話を掛けて来たのがエディ・ヴァン・ヘイレンでした。
ちょうどアルバム「1984」をレコ−ディングする前の事で、もちろんそれはVAN HALLENへの参加要請だったのです。まさに晴天の霹靂とも言いましょうか。
しかしこれで夢がかなう、と思ったのもつかの間、ビリーのルス電には「なかった事にしてくれ」のメッセ−ジが。しかもそれを知ったのは、TALASのステ−ジに上がる直前。その晩は自分でも「完璧」と思えるプレイをし、ライヴ終了後トイレに閉じこもって泣いていたそうです。ああ無情。

そんな因縁浅からぬVAN HALLENから脱退したデイヴと組む事となるとは、皮肉な物です。

さて、このバンドは海外のみならず日本の音楽誌もこぞって取り上げ、ビデオ・クリップなどで「動くビリ−・シ−ン」をようやく拝める事ができる事となりました。
この時にちょうどベースマガジンの表紙(5号目。この時はまだ季刊だった)を初めて飾る事となります。
その後デイヴが1stのハ−ドロック路線からポップ路線への変更を目指した事から、ビリーは不本意なプレイを強いられたり、差し換えられたりしたために2nd「SKY SCRAPER」発表直前に脱退。
誰かのバックでは無く、自分が思いきりプレイできるバンドを立ち上げる事になります。

それが、Mr.BIGでした。

Mr.BIGも当初はギタリストが元レ−サ−Xのポ−ル・ギルバ−トであった事から、ギターとベースのバトル・プレイが売り物のアメリカン・ハードロックなのでは、と思われていました。
しかし、フタを開けてみれば超絶プレイはもちろんあれど、エリック・マ−ティンのソウルフルなヴォ−カルを生かした、どちらかと言うと70年代のブリティッシュ・ロックの色を感じさせるものであり、「早弾きよりもまずは曲」という基本コンセプトを強く出していました。

ビリーのプレイも、早弾きがとんでもないのはともかく、音色がより太くなったのと相まってグル−ヴ溢れるプレイがさらに充実しています。
そもそもインタヴュー等でも「HUNBLE PIEやMOTT THE HOOPLEみたいな感じのバンドにしたい」と語っており、毎回恒例となったアンコ−ルでのカヴァーもTHE WHOの「BABA 'O RILEY」やHUNBLE PIEの「30DAYS IN THE HOLE」など、ブリティッシュ・バンドで占められていました。

2nd「LEAN INTO IT」からシングル・カットされた「TO BE WITH YOU」が全米チャ−トで1位を獲得し、ハ−ドロック界だけでなく、広く一般の層にもその名をアピ−ルする事となります。

またMr.BIGだけでなく、3ピースのよりインタ−プレイに重点を置いたNIACINEでの活動や、ソロアルバムの発表等、活発に活動します。
その後アルバムを順調にリリ−スするものの、ポ−ル・ギルバ−トの脱退、リッチ−コッツェンの加入を経てつい先日解散してしまった事は記憶に新しい事だと思います。

その後はスタジオ・ワークやスティーヴ・ヴァイのバック・バンドのメンバーとしてG3のツアーに参加したり、と精力的に活動しているようです。
これからの新しい活動に期待と注目、と言った所でしょうか。

さて、この人の基本プレイですが、ついつい目が行きがちな超絶プレイはともかく、シンプルなルート弾きやシャッフル・ビートでのランニング等のグル−ヴ感にまず注目して頂きたい。
これだけでも、とんでもないです。
D.L.Rバンドの「YANKEE ROSE」や「I'M EASY」「THAT'S LIFE」、Mr.BIGでの「TAKE COVER」等でそうしたプレイが聴けます。

早弾きに関しては、ペンタトニックを中心にフレ−ズを組み立てていますが、その早さとポジション移動がハンパなく(本人は相当手がデカイらしい)、相当の練習、それも基礎的な運指練習やスケ−ル練習が必要でしょう。
またアクセント的にハーモニクスも多用しています。

この人の偉大な所は、そうした有り余るテクニックを「俺って凄いだろ〜」的な面ではあまり使わず、もっぱらグルーヴや曲のダイナミクスやライヴ・パフォーマンスを最大限に生かす方向で、ベ−スのフレ−ジングをしている点です。
少なくとも、こ難しい顔で何やら難解なフレ−ズを弾く人よりも、彼のように「バカ」の1歩手前の所で弾き倒している方が、観ていて楽しいのではないでしょうか?しかも、曲が良ければ尚更の事です。

個人的にテクニカルなベーシストというのは余り好きではないのですが、ジャコとビリーが例外なのは、そうした要素が有るからだと思います。
ロック系でも超絶テクニカル・ベ−シストと言う人は多くなって来ましたが、彼程の域に達している人はなかなかおらず、もっぱら「オナニ−野郎」だらけ、と言うのが正直な感想です。

さて、彼の使用機材ですが、個人的に印象深いのがフェンダー・プレシジョンをカスタマイズしたベースです。これはスキャロップ加工したメイプル指板のテレキャス・ベースのネックにフロントにギブソンEB-3用のピックアップを増設、それぞれのピックアップを独立してアウトプットし、フロントはディスト−ション用、リアはクリーン用にセパレートして出力しています。また4弦がヒップショット付きで、ドロップしてDに落とせるようになっています。これがその後のビリ−のベースのひな形になっていると言っても過言ではないでしょう。またヤマハのピンク色のBBを同様に改造したものや、ケ−ラーのトレモロ・ア−ム付きの物等が初期の写真で確認出来ます。

その後はヤマハとエンド−ス契約し、ATTITUEDシリーズをメインに使用。
これもやはりフロントとリアの独立アウトプットに、スキャロップ指板のネック、ヒップショットを取り付けた物でボディが青い物がメインでサブとして赤い物や、淡いグリ−ンの物が存在します。
アンプやエフェクト等はこまめに変更されているので、その時によって違いが有り、説明は割愛させて頂きます(メンド臭い訳じゃないって!)。

オススメは、何を今さらな感が有りますがMr.BIGでは2nd「LEAN INTO IT」が個人的には曲的にもプレイ的にも好きです。
あとはデイヴ・リー・ロス・バンドの「EAT'EM AND SMILE」かな。
またはMr.BIGならライヴ・ビデオが数多くリリ−スされているので、パフォ−マンス込みで観た方が楽しいし、タメになるでしょう。

そんな所で今日はこの辺で。
SEE YA!!

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