徒然山々Mk-2

(C)Kodai Yamase.

心に浮かんだミもフタもないことを書き綴るコーナー

1月28日

うーさんの妹さんからメールを頂く。

ふとした奇妙な縁でここの存在を知ったそうで、断片的にしか知らなかった病中のうーさんの事や、自分が書いた文についての感謝の気持ち等がしたためられていた。

正直、前述した通り、書いたは良いがアップするのをかなり躊躇していた身としては、御家族からこのような形でメ−ルが頂けて、正直、心のつかえが取れた気持ちであるとともに、こんな稚拙な文をプリントアウトして祭壇に置いて頂いて、感謝と恐縮の極みでもある。

この事については恐らく一生忘れようと思っても忘れる事が出来ないものである事は確かだ。

ただ、時間がどんなに掛かったとしても、御家族や友人関係者(俺も含めてね)の心の中から、少なくとも「悲しい」「辛い」という感情だけは早く消えていって欲しい、消し去る事は出来なくとも薄れていって欲しい、と切に願うばかりであるし、俺自身戦わなくてはならない、と思う。

1月27日

先日こんな夢を見た。

バッタリと道端でアントニオ猪木と遭遇。

お祭りで「アントンマテ茶」だの「ひまわりの種」だの売っていた。

何故か傍らには藤原組長とマサ斉藤。

興奮した俺は取りあえずビンタで闘魂注入して頂き、ついでにサインをもらう事に。

しかし、いくら夢とは言え、都合良く色紙とサインペンを持って祭りに出かける程酔狂では無い。

そこで、その店に売っていたグッズ「闘魂パンツ」にサインしてもらい、一件落着。

・・・今年32になる大人の見る夢か?

それはともかく、これをウチのバンドのギタリスト、ぢょん君に夢診断してもらったのだが・・・

アントニオ猪木・・・力の象徴。母。

アントンマテ茶、ひまわりナッツ・・・時代の先駆者。

ビンタ・・・躾。先輩。

闘魂パンツ・・・性機能の低下

解説(野村夢精): あなたは、他人とは違っていたいという願望が強いです。 しかし、年齢的なこともあり、少々現実を見つめるようにになっているでしょう。 数年前には叱ってくれる先輩、母親的な存在がいたのに現在はいません。 今のあなたが一番求めているのは、自分に影響を与えてくれる人生の先輩です。 でも、それを見つけるのは大変です。 あなたが、若者に影響を与える年齢に達したということを自覚する時が来ているのです。 今が成熟の時ですよ! ちゃっら〜ん♪

・・・う〜ん、マンダム!

ではなく、う〜ん、なかなか当たってる様な気が・・・する・・・・。

「闘魂パンツ」=性機能の低下、と言う所だけが、男おいどんとしては否定したい気持ちになるのだが、現実と言うものはえてして残酷であるからして・・・。

やはり、闘魂棒で体鍛え直すしか無いっすかねぇ。

1月26日

いかんともしがたい体調なのでバイトを休む。

食欲など無いのだが、気合いでガシガシ喰いまくる。

そしてひたすら寝る。

1月25日

カゼひいた様で。

大人しく寝てますか。

1月24日

まだまだ心の中はがらんどうの様で、時折気を抜くと何故か無性に悲しくなってくる。

こういう時に何故か大槻ケンヂの本を読むと心が安らぐ俺は変だろうか?

かつて彼が筋肉少女帯で歌っていた様な「人生とは残酷で悲しく、情けないもの=人生はオロロンとボヨヨンの連続である」というのには激しく同意してしまうのである。

であるからして、『戦え!何を?人生を!!』なのだ。

これに尽きる。

気がつきゃエッセイ集ばかり5冊も買ってしまった。

1月16日

とにもかくにも、ヘヴィな1週間だった。

本当は、こんな事を書くのは余りにもデリカシーを欠く行為なのかも知れない。

しかし、この1件に対して、あまりに情緒不安定になってしまった俺の、精神的なケリを付ける為にはどうしても必要な作業だった事であると言う事をお許し頂きたい。

もちろん、ウェブ上でこんな駄文を書いたところでどうにもならない事は有る。

おそらく、本当にケリが付くにはまだ時間が必要なのかも知れない。

でも、いつまでも悲しんでいる訳にもいかない、そんなある種残酷な現実もまた有るのだ。

昔おばあちゃんに「死んだ人の事を思っていつまでも悲しがっていると、その人が心配していつまでも天国に行けなくなるんだよ」と諭された事が有った。

だから、うーさん、先に行っててくれよ。

もし俺もそっちに行ける事が有ったら、また飲んだくれようぜ。

1月12日

今日はパ−ティ−当日。

昼から延べ4時間近く2つのバンドでスタジオに入る。

ひとつはCLAM、もうひとつは大学卒業後もやっていたバンドだ。

そのバンドのドラマーとキ−ボ−ドとはバンド解散後もROCKET69というバンドで一緒だった。

夕方から始まったパ−ティ−だが、出番は何とラスト2連発。

CLAMがトリだ。

ここで調子にのって飲んだくれてトチっては、何の意味も無い。

しかし懐かしい顔ぶれと接している内にどんどん盃が空いていくのだな、これが。

ああ、意志薄弱。

ヘタするとかれこれ5年は会っていないような顔もいる。

大学を出てから随分経つが、誰にでも平等に、確実に時は流れているのだ。

和やかな雰囲気の中いざ本番。

まずは最初のバンド。

まあ、色々言ったらキリが無いが、まあ上手くやれたんじゃなかろうか、と思う。

そして、いよいよCLAMだ。

まずはRAMONESの「PIN HEAD」。

あくまで今回のライヴはCLAMであって、俺のバンドではない。

だから、さっきやったのとは違い、大人しく後ろの方で弾いていようと思った矢先、ストラップがはずれた。

これは何とか事なきを得たのだが、なんだかうーさんに「らしくねぇ事してるんじゃないよ!」と言われたような気がして堪らなかった。

それまで、CLAMのメンバーはリハの時から既に感極まる場面も有ったのだが、俺は助っ人として彼女達を確実にサポ−トせんといかん!!と言い聞かせてきた。

でも、この瞬間に感情の糸が切れそうになって、どうにも前が見れなくなってしまったのだ。

アップ・テンポの曲はまだ良い。

リズムに体を預けていれば、まだ何とかなる。

でも、今日当日になって急遽やる事になった曲をラストにやった時、こんなにもベ−スを弾くのが辛い、と思った事はなかった。

その曲はヴォ−カルの子が高校時代に付き合っていた、亡くなってしまった彼氏の事を歌った詩で、曲はう−さんが作った、CLAM初のオリジナル・ナンバーにして、個人的に大好きだったバラ−ドだったのだ。

タイトルは「SEE YOU IN HEAVEN」。

ずっと演奏したかったバンドに参加して、 こんなにも大好きだった悲しくて美しい曲を、よりによってこんなシチュエ−ションで演奏する事になるとは。

取りあえず、演奏は終わった。

パ−ティーも終わり、2次会となった居酒屋で、突然、人目もはばからずに泣いてしまった。

緊張が解けたんだろう。

今までガマンしてきたものが、ドカン!とやって来たようだった。

その後、みんなはさらに3次会へとなだれ込んだが、俺は独りで歩いて家に帰った。

帰り道もずっと泣いていた。

今さらになって、う−さんとの思い出が色々と蘇って来やがったのだ。

大学に入って最初に付き合った女の子と別れた時に「よし!今日は飲むぞ!!」と言ってくれたうーさん。

「真っ赤なジャズベ−スが欲しいから、一緒に楽器屋に付き合ってくれ」と言われ、俺とお茶の水と池袋を何度も往復したう−さん。

1年生の夏合宿で、女湯で裸踊りをしていた(らしい)うーさん。

学科の製作実習でラジオ・ドラマのディレクターをやる事になり、ド素人の俺に声のキャストをやらせたう−さん。

どうやって帰ったか、それよりもライヴが終わってから何をしてどんな話をしていたのかも思い出せなかったが、翌朝起きたら目が異様に腫れていた。

こうして、ヘヴィな1週間が終わった。

1月10日

寝ていたらエっちゃんから電話が有った。

今度の日曜日に軽音の後輩が5組程結婚すると言うので、ライヴ・ハウスを借り切ってパ−ティーを企画しているのだが、そこで大学時代にやっていたエっちゃん達のバンドで出たいので、う−さんの代わりにベ−スを弾いてもらえないか、との事。

断る理由等有るはずも無いので、即OKした。

実は別のバンドでも出る事になっていて、当日まで掛け持ちで忙しくなりそうなのだがそんな事を言ってる場合では無い。

当時彼女達のやっていたバンドはCLAM(英語で『貝』の意味。スケベ−な奴等だ)と言って、RAMONESやHANOI ROCKSのコピ−なんかをやった後、オリジナルも数曲作っていた。

全員ほぼ初心者で、どちらかというとヘタッピだったのだが、オリジナルは今までメンバーが聴いて来た音楽性を上手く取り入れた、決してハイテクなものでは無かったがメロディーとセンスの良いものだった。

密かに「CLAMに加入したい男」NO.1と勝手に思っていたくらいだ。

当たり前だが、俺は男だし鉄壁の結束を誇る彼女達に割って入る訳にはいかんので、あくまで妄想なのだが。

実を言うと、うーさんのベースラインをこっそりコピーしてたりもしたし。

当然う−さんも初心者でベ−スを始めたのだが、昔からエレクト−ンをやっていた所為か、ベ−スラインと言うものに対するセンスとか、音感、リズム感はズバ抜けていて「やっぱテクだけじゃダメなんだよなぁ」と痛感させられたりした事がしばし有った。

だからうーさんに「ヤマセはベ−ス、上手いねぇ」なんて言われると、正直心底嬉しかったものだ。

そんな俺が、今回の依頼に答えない訳にはいかん!

男ヤマセ コーダイ、一世一代の大仕事だ。

1月09日

そして、今日は告別式の日。

本当は出席しようと思っていたのだが、意味も分からんお経を座って聴いてるのがなんだか腹立たしくなって来たので、今日一日ベ−スを弾こうと思った。

GUNS N' ROSESのEP「LIVE FROM THE JUNGLE」やHANOI ROCKSの「ALL THOSE WAYSTED YEARS」を始めとして、う−さんの好きだったバンドのCDを片っ端からかけてベ−スを弾き続けた。

俺には有り難いお経は読めんが、う−さんの為にベ−スを弾く事はできる。

でも、こんなにも弾いていてヘヴィな「KNOCKIN' ON HEAVENS' DOOR」と「DON'T YOU EVER LEAVE ME」は今までに無い・・・。

1月08日

今日はう−さんのお通夜。

三鷹の駅前で友人数人と待ち合わせて、会場に向かう。

途中、みんな普通の会話を続けている。

俺の様に未だ実感が沸かない、もしくは認めたく無い気持ちが、そうさせているようにも思えた。

でも、これは確かに現実なのだ、と言う事を会場で思い知らされる。

花が祭壇に飾られ、真ん中にはう−さんが眠っているひつぎ、そして白いドレスを着た、う−さんの写真。

今まで、見た事も無いくらいに美しい顔をしていた。

竹を割ったようなサッパリした性格で、ショ−トカットで活動的で、裏表なく言う事はズバズバ言うが、決してそれがイヤミでも何でもなく、ありきたりだが「実にイイやつ」だったうーさん。

逆に、年頃の女のフェロモンを感じさせる事が少なかったのだが、実は整った顔をした、美少女(つうと褒め過ぎか?)だったと思う。

焼香が済み、当時一緒にバンドをやっていた子たちは彼女を想って泣き始める。

そりゃそうだ、大学の軽音に入って、引退するまで一緒にやっていたメンバーなのだから。

しかも傍から見ても最強と思える結束ぶりだった、そのメンバーにしてみれば今回の事がどれ程ショックな事だったか・・・。

その後、やはり集まって来た大学時代の友人や先輩、後輩達と共に居酒屋へ行き、飲んだくれた。

だが、しんみりした、暗い空気には決してなら無かった。

ともすれば笑い声が聞こえるような、ハタから見れば「なんだ、コイツら」と思われかねないような集団だったかも知れない。

でも、う−さんの事を思うと、いつの間にか楽しかった事や大笑いした事ばかりが次々に思い出されてしまうのだ。

これはこれで、良いのだ。

結局、終電が無くなってタクシ−で帰るハメになった。

家に着いて喪服を脱いで、ベ−スを手にとった。

そしてベ−スを弾きながら、生まれてくる事とはなんなのだろう、死ぬ事とは一体なんなのだろう、俺が死んだ時、みんなはどう思うんだろう、とそんな事がぐるぐると頭を駆け回り続けた。

1月06日

バイト中に、大学時代からの女友達であるエっちゃんから電話が有った。

ハテ、ここの番号教えていたっヶ?と思いつつ、てっきり飲んだくれる計画でも有るのかと先走った俺は「久しぶりだねぇ」と挨拶をした。

受話器の向こうで、彼女が、か細い声で言った。

「あのね、タ−ちゃん(俺の事を彼女はそう呼ぶ)、驚かないでね、うーさんがね、死んじゃったの」

う−さんとは電話をくれたエっちゃんが大学時代に軽音楽部で組んでいたバンドのベーシストで、やはり大学時代は飲んだくれたりライヴやったりバカやったりした仲だった。

死因はガン。

結婚して3年くらい経つそうで、さすがに結婚してからは疎遠になりつつあったが、仲間内では一番健康そうなやつだった。

生まれた時にも健康優良児で、その時の体重は長い事その病院の記録になっていたそうだ。

そんな、う−さんが死んだ?

人間、余りにも突拍子も無い事に直面すると、頭が理解不能に陥る事が良く有ったりするのだが、まさにこの時の俺がそうで、さぞかし「ハトが豆鉄砲を喰らったような」顔をしていたことであろう。

エっちゃんが通夜や告別式の日程と場所を教えてくれている間、どうにもそれが自分とは関係の無い所で鳴っているラジオの音声に思えて仕方が無かった。

電話を切り、1人でポツンと残されてから、一生懸命う−さんの事を思い出そうとしても、頭がパニックになっているのか、ただただ真っ白になっていて、そのくせバイト中なものだから次から次へと客はやってくる。

言い様の無いいら立ちと虚無感が交互にやってくる。

悲しい、と言う感情が沸いてこないのは、実感が無いからなんだろう。

閉店間際だったから良かったものの、これが早い時間だったらどうなってたのか・・・。

バイトが終わり、取りあえず連絡先を知っている連中に片っ端から電話をした。

皆一様に絶句していた。

ほんの数時間前の、俺と同じだった。

一通り電話を掛け終えた頃には、既に朝になっていた。

RCサクセッションの「ヒッピーに捧ぐ」が頭の中で鳴りはじめる。

お別れは突然やって来て 

すぐに済んでしまうのさ

いつものような何気ない朝は 

知らん顔して僕を起こした 電車は走り出した 

ブタ共を乗せて 僕を乗せて・・・

1月05日

今(1月5日深夜2時現在)テレビでやってるチョっとしたファミリーもの映画で、ロリンズ・バンドのヘンリー・ロリンズ(ハ−ドコア界の重鎮。シュワルツェネッガ−並みの肉体を持つ、ロック界でもっともケンカが強い男ではなかろうか?)が少年ホッケ−チ−ムのコ−チ役で出てます。

ビートたけし&キアヌ・リーブスの「JM」でもチコっとでてるが、まさかこういうアット・ホ−ムなのに出ているとは・・・。

でも、ハードコア・バンドのボーカルだけあって、シャウトするシーンはサマになっています。

ところで、この映画、タイトルは「ジャック・フロスト」。

子持ちの中年ロッカ−がクリスマスに子供との約束を破ってまでレコ−ド契約の為に都会に向かうも、途中で思い直し、家族の元へ。

しかし、その帰路で事故にあい、帰らぬ人になってしまう。

死んでも死に切れないこの男、事も有ろうに雪だるま男となって息子の元にあらわれる・・・というひとつ間違えればギャグかZ級ホラーなストーリー。

父親を演じるのは、「バットマン」「ビートルジュース」等でお馴染みマイケル・キ−トン。

雪だるまと化しても、何故か違和感がない・・・。

ビデオ屋店員の悲しい性か、観てもいないのにタイトルを見ればこのくらいのあらすじはスラスラ出てきました。

さて、この映画、果たして泣けるんでしょうか・・・。

(以下、観ながらの実況中継) 父親の事故から1年。

皆が楽しいクリスマスでも、この子にとっては父親の一周忌。

やるせない思いで雪掻きをしつつ、雪だるまを作り、形見のハ−モニカを吹いています。

さて、この雪だるまに、何故か亡き父親の魂が乗り移り、息子の元へ。

いきなり窓を叩いて家に入ろうとし、息子にビックリされてます。

挙げ句の果てにはホッケ−スティックで迎撃される始末。

あたりまえだっつうの。

これじゃまるでロジャー・コーマンかエド・ウッドの映画です。

「火星からの雪だるま男の逆襲」か「原始雪だるま男来襲」とかじゃないんですから。

しかし、雪だるま男、自分が雪だるまの体なのに記憶は元のままだからタチが悪い。

街に出て友人(ヘンリー・ロリンズ。またシャウトしながら逃走)を訪ねようにも、かえってパニック引き起こしてます。

あたりまえだっつうの。

さて、この雪だるま、もとい父親は果たして息子の愛情を取り戻す事ができるのでしょうか?

・・・それより、俺は眠気に負けずに最後まで見れるんでしょうか?

さて、イジメっ子から助けてくれた事を切っ掛けにようやく息子はこの雪だるまが自分の父親だと認識します。

そして去年は出来なかった父親と息子のひとときを過ごします。

しかし、そんな彼等にも別れの時がやって来ます。

いくら雪国でも夏はやって来ますし、息子にも奥さんにもこれからの現実の生活が待ち受けているからです。

「嫌だ、行かないで、パパ!」 そんな息子に父親は言います。

「お前の心の中で、いつまでも見守っているよ」

お約束です。

ベタです。

今どきコメントしようが無いくらい、手垢にまみれた展開です。

でも・・・・ すんません、泣いてしまいました。

なんつうんすか、酒飲んで映画観ると、普段なら「ケッ!!」とか思うような内容でも、素直に感動してしまう様で。

どうも自分、寝起きやら避け飲んでボ〜っとしている時等だとどうも感情が「むき出し」になっている様です。

人間、歳とると涙もろくなる、なんて言いますが、さらにそれに拍車がかかってますな。

そういや、この間寝起きでTVCM「黄泉がえり」みて泣いてしまったっヶ・・・。

さて、感動のエンディングの後、引き続いてスティ−ブン・セガ−ルの、なんだか良く分からんがとにかくアクション物な映画が始まりましたが、眠いので、寝ます。

1月02日

また今年も年賀状が届きました。

年賀状。 日頃お世話になったあの方や、離れていて連絡もおぼつかない旧友から届く、今年最初の挨拶。

むかしはよく『オモチをたべすぎないように!』等のベタベタな文句が良く書かれていたりしましたが、さすがにこの年ともなるとひと味違います。

まあ、会社勤めでも無い上にこういう浮き草生活なもので、枚数はたかが知れています。

ですが、やはり元旦にポストを気にしてしまうのは幾つになっても変わり無いものですな。

・・・え〜、さて、今年ウチに届いた年賀状は・・・・

2通。

1通は昔なじみの、元バイト先で一緒だった方で、家族の写真とモンスタ−ズ・インクのキャラクタ−等か描かれた、非常に真っ当な、オーソドックスともいえるものです。

そんで、もう1通。

掲示板でお馴染み、『栃木のボンクラ』こと輸入雑貨ブロンソン店長から届いておりましたこの年賀状。

いきなり宛名が「新・XX XX(俺の名前ね)」となっております。

俺は加瀬大周か!

しかも、送り先が「生きていたエルヴィス・プレスリ−」。

返す言葉も有りません。

さすがと言おうか、筆ペンで書かれたこの字だけで、名前を告げずして自分を最大限にアピ−ルしてしまうこの力技。

言わば、通り一遍の社交儀礼では良しとしない、気のおけない者通しだけが通じ合う文字のやり取り。

これは手紙界(あんのか、そんなもん)における、かつての前田日朗VS藤原組長を思わせるセメント・マッチと言っても過言では無いのでしょうか。

やるな、お主。

私は、こういう友人を持って本当に幸せものだと痛感しております。

なお、裏に書かれた文は、あまりに頭の悪い内容なので割愛させて頂きます。

それよりも、始めに見事なストレ−トを喰らった為に、どんな返事を出そうか、非常に頭を悩ましております、正直。

1月01日

皆様、明けましておめでとうございます。

まあ、おめでたいのかどうかはともかく、今年も始まりまして、そんなわけでひとつ、よろしく。

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