The map of a treasure island

エピソード集


ここではエピソード集として、色々な雑誌に掲載されたインタビュー記事を拾い読みをするコーナーです。

アーチー・ウッドとロン・ウッド

−あなたはお父さんの影響で競馬に興味を持つようになったんですよね?−
そうなんだ。彼は小さい頃からプリンス・モノルル(有名な競馬の予想屋)と親しくしていて、24人編成のハーモニカ・バンドを連れてイギリス中の競馬場をツアーして回った。面白いことに、親父の仲間のほとんどは日雇い労働者とか怠け者たちだった。お袋は連中がやってきて酒のキャビネットを空っぽにしてしまうたびに癇癪を起こしてたけど、親父はそんな連中を愛していたんだ。

−競馬場で女王陛下をみたことはありますか。−
ああ。ロイヤル・アスコット(毎年6月に4日間行われるレースで、女王も臨席する華やかな行事)で、全ての騒音が静まりかえったと思ったら、目の前を二人の小さな人物−女王陛下と皇太后が歩いていったんだ。えらい尊敬を集めていたよ。

−あなたにとって、ゴールド・ディスクを取ること1998年の年間最優秀個人ブリーダー賞を獲得したこと、どちらが大きいですか。−
音楽的成功が簡単に手にはいると思ったことは後にも先にも一度もないから、年間個人ブリーダーを獲得したのはすごく特別な瞬間だった。ここに8〜12頭の小さな厩舎があるだけなんだけど、その中に2、3頭スターがいるんだ。今年もすごくいい調子だけど、俺が見ていないときばかりでね!いちばん最近レースに行ったときも、俺の馬はスタートするのを嫌がるんだからな!リチャード・ハノンっていうトレーナーを知ってるかい?以前トロッグスのドラマーだったんだよ。それで思い出すのは俺とボブ・ディランがブリストルの映画のセットにいたときのことだ。俺はボブが作ってるひどい映画のある役のオーディションを受けていたんだ。そう、ありがたいことに彼は俳優じゃなかった(笑)。で、突然誰かがものすごい西部訛りで叫び声を上げ始めたのさ。見回してみると、なんとそこに立っていたのはレッグ・プレスリー(トロッグスのシンガー)、っていうか、当時はパースリーって呼んでたんだけど。ボブは俺を脇に引っぱっていって、「あの薄気味悪い小男は誰だ?」って言うから、「Wild Thing(恋はワイルドシング)」や口論のテープ(「トロッグス・テープス」。スタジオでの12分に及ぶ口論が収められたもの)のことを説明してやったんだ。ボブはそれを聞いたことがなかったけど、とにかく「わかった。でも、あいつを俺に近づけないでくれよ」って言ってたよ。レッグってのは、家が火事になっちゃったよとか平気で言うような男なんだけど、とにかくすごいアクセントだからこっちはもうちびるくらい笑っちゃうわけ。

−イギリスのメディアはあなたが税金対策のためにアイルランドにいるとしか思っていないようですが、あなたとアイルランドとのつながりはそれ以上に強いという気がします。−
ここは俺の避難所なんだよ。俺のロンドンの家に来てみたらよく理解できるはずさ!掃除婦はいるわ、秘書たちはいるわ、庭師はいるわ、子供たちはいるわ、子供のガールフレンドやボーイフレンドはいるわ、建設業者はいるわ、配管工はいるわ、もう完全にどうかしちゃってるんだ。アイルランドの好きなところは静けさ、安らぎ、目の前でカメラのシャッターを切られたりすることなく街を歩き回れることだね。俺は追っかけや野次馬たちとはほんとにうまくやってるけど、ときにはただのロニー・ウッドになりたくなるのさ。ロックスターのロニー・ウッドじゃない、普通の男にね。

−いま、「うわー、俺が若かったらこんなことをやってたろうな」と思うようなバンドはいますか。−
U2にはすごく尊敬を抱いているよ。彼らは昔の旗を振り続けながらも、自分たちの中でぶつかり合うことなく過去の歴史を切り捨てようとしている。思い出すのは昔キンクスのギグに行ったときなんだけど、幕が下りたとたんにレイとデイヴ・デイヴィスがギターでお互いに殴り合いを始めたんだ。そこらじゅうにドラムが転がってさ。俺がバーズやフェイセズにいたとき、争いの最大の原因はガールフレンドだったね。誰が自分の彼女に対してぞんざいだったとかさ。なにしろ彼女はずーっとつきまとってるわけだから。突然後ろ盾ができたようなもんで。ほんとだよ、どんなグループにもヨーコ・オノがそれなりにいたわけさ。今だってそうだと思うよ。俺の好きなトラヴィスやステレオ・フォニックスがそういう問題をうまく解決して長い間に発展していけるかどうかは、時が経たないとわからないだろうね。

−80代になっても悪魔の音楽をプレイしていたいといまだに思っていますか。−
80代なんかクソ食らえだ。
俺はロックの皇太子になってやるよ。
100歳になったって、ずっとイカシたものを支持し続けるのさ。


ザ・ローリング・ストーンズ

−ストーンズを最初に見たのはいつでしたか?−
リッチモンド・ジャズ&ブルース・フェスティバルの大テントで。彼らは自分たちのセットをやって、アンコールに「バイ・バイ・ジョニー」をプレイしたんだけど、それを合図に観客が一斉に狂ったようになって。みんなが一緒に歌ったり、お互いに肩をぶっつけ合ったりするのを見て、「こりゃいい仕事みたいだな!」って思ったよ。帰り際に脚をテントの鉄杭にぶっつけちゃったんだけど、アドレナリンでものすごく盛り上がってたからなんにもかんじなかった。次に彼らに会ったのは、ハイド・パークの前夜だった。ミック(・ジャガー)とチャーリー(・ワッツ)が別れ際に「またな」って言ったから、「ああ、あんたたちが思ってるよりも早いうちにね!」って答えたんだ。

−ストーンズ加入へのいきさつ−
ロックンロールの神様が俺に微笑みかけてくれていたに違いないよ。だって、ミック・テイラーがストーンズを辞めるって言ったとき、俺はミック・ジャガーとテイラーの間に座っていたんだから。ミックはすぐさま俺に彼の代わりをやりたくないかって聞いてきたんだけど、あの当時俺はとにかくフェイセズを解散させたくなかった。だから、どうしようもなくなったら彼が俺に電話するってことにしておいたんだ。それが実際にあったのは一年後だったよ。俺がミュンヘンでのオーディションに行ってみると、そこにはエリック・クラプトン、ハーヴェイ・マンデル、スティーヴ・マリオット、ウェイン・パーキンス、ジェフ・ベックなどなど、信じられないようなギタリストがずらりと集まっていた。けど、俺に決まるってことは薄々わかってたんだ。俺が自分のやる曲の説明をしたら、チャーリーが「こいつ、もう俺たちに指図する気だぜ!」って言ったからね。だいたい、その前にリッチモンドにある俺のスタジオで一緒に「イッツ・オンリー・ロックンロール」をやってたんだ。だから他の候補者よりちょっとだけ先を行ってたってわけだよ。


バーズ

−バーズが注目を集めるためにバーズに対して訴訟!?−
俺の最初のバンドはバーズ (Birds) といって、俺達のマネージャーはバーズ (Byrds) がヒースロー空港に到着した直後に訴訟を起こして注目を集めようとしたんだ。彼らは「ミスター・タンブリン・マン」で当時チャートに入っていて、メロディ・メイカー紙は彼らが俺たちの名前を盗んだっていうでっかい記事を載せていた。その後日談なんだけど、2、3年前ジム・マッギンに会ったときに「初めてイギリスに来たとき、ちょっと面倒なことがなかったかい?」って尋ねたら、彼はしばらく俺の顔を見つめていて、そのあと「くそっ!おまえだったのか!」ってわめいたよ。

−初めて「ロックンロール・スター」を聴いたときのことを覚えていますか?−
俺たちバーズのマネージャーは週7回ギグをやらせたんだ。だから、シェフィールドだかどこかだから戻ると、俺たちはイーディス・グローヴにある彼のフラットに行って、すごい量のヤクをやった。あるハイになった夜、「ロックンロール・スター」を聴いて「なんてこった、どうしてこの曲がヒットしない?」って思ったよ。答えは、もちろん時代の先端を行きすぎていたからさ。
もうひとつ偶然があってね、バーズ (Birds) はカーリング・ミュージックと出版契約を結んでいたんだけど、彼らが俺たちに聴くようにって勧めてくれたモータウンの輸入盤の中にエディ・ホランドの「リーヴィング・ヒア」が入ってたんだ。俺たちはこの曲をカバーして、それがチャートの49位に入ったおかげでNME紙の人気投票入賞者コンサートにかろうじて参加することができたのさ。あれはいまだに生涯最高の夜のひとつだね。ミスター・ナンバーワンであるクリフ・リチャードと楽屋が一緒だっただけじゃなく、ビートルズやストーンズ、ダイアナ・ロスなんかにも会って一緒に過ごすことができたんだから。ダイアナ・ロスっていうのは、今までに出会った中でもっとも風変わりな生き物だったね。


キース・ムーン

−R&R界の悪名高き人物たちと付き合ってきたあなたにっとて、いちばんすごいと思う人は?−
キース・ムーン。論議の余地なしだね。彼はまったく小さな奇人そのもの−自分じゃ鋼鉄でできていると思ってた−で、なんに対しても、誰に対しても「ノー」と言うことができないんだ。よく彼に「キース、一錠飲むんだぜ、瓶ごとじゃなくて!」って言ったもんだよ。ある夜一緒にスピークイージーにいたとき、彼が「これやってみなよ」ってマンドラックス(沈静催眠剤)をくれたんだ。最初、俺はちょっと「ああ、こういうのはなんかなあー」って感じだったんだけど、そのうち酔っぱらってそいつを飲み下しちまったんだ。当時の効果ってのはてきめんで、キースと、彼の運転手のケロッグスと、マネージャーと前妻と一緒に俺のジャガー XK に乗り込んだときには、すっかり気が大きくなっててさ。ハイドパーク・コーナーを曲がらずにまっすぐ突き抜けて、いつも車を入れてるガレージに突っ込んだのさ。他の連中は「そんなのできっこない!」ってハンドルをつかもうとしたけど、俺を止めることはできなかった。俺は一ヶ月に一度ぐらいはそういう浮かれ騒ぎから目を覚ますんだけど、キースはもう毎日ずっとその調子なんだ。どうやって60年代を生き延びたのかなんて想像もつかないよ。


ロッド・スチュワート

−あなたがまたロッドと仕事をしているっていう噂は本当なんですね?−
全部真実だよ。レコーディングした「You Strum And I'll Sing」(「おまえがギターを弾けば俺は歌う」という意味)は俺たちが2002年1月に作るアルバムに入ることになってる。新曲もあるし、「ジュディの農場」や「アラウンド・ザ・プリンス」といった古いフェイセズのミックスもあるし、発売される段になってみないとわからないビックリ企画もひとつふたつあるんだ。ロッドにはそれが必要なのさ−バラードを減らして、また元気にガンガンやることがね。俺たちの関係が疎遠になっちまったことなんて一度もないよ。彼はたいていの場合とても捕まえにくいヤツではあるけどね。俺たちはフェイセズの再結成もやったし、「アンプラグド」も一緒にやって、うまくいったしね。

−最初に髪をツンツンにしたのはどちらですか?−
俺たちが最初に出会ったのは、ウォーダー街にあるインターピッド・フォックスっていうパブだった。彼は「グッド・モーニング・リトル・スクールボーイ」(「グッド・モーニング・リトル・スクールガール」のもじりか)って曲を作ったばかりで、片方の目のまわりにあざを作っててさ。「よお、おまえ、同じ髪型してるじゃんか!」って言ったよ。あいつのはもうちょい逆毛を立てて全体的に膨らんだスタイルだったけどね。だけど、そうだね、あれは接戦同着って感じだったな。


ジョン・リー・フッカー

−彼に初めて出会ったのはいつですか?−
もう何年も何年も前、ハウリン・ウルフやバディ・ガイ、ジュニア・ウェルズ、それと彼の驚くべき奇人集団と一緒にだよ。最後にストーンズとプレイしたとき、彼はふたつのショーに連続で出たんだ。最初は、なにしろおかしなキーなんで俺たち全員神経衰弱みたいになっちゃった。だから次の晩は俺がジョン・リーの面倒を見ることになって。ステージに上がる段になって、俺が「ちゃんと手がかりをくれよな」って言うと、彼が「Eィィィー」って怒鳴るわけよ。そうすると残りの連中は「ありがとよ!」。

−少なくとも、ジョン・リーは彼の恋人たちに囲まれ、栄光に包まれてこの世を去っていきましたけどね。−
ああ、最期にあの好色じいさんに会った時は、ふたりの綺麗どころと一緒だったよ。もう80何歳だっていうのに、女たちは未だに彼に憧れてたもんな。


エリック・クラプトン

−エリックとは昔からの友だちなんですか?−
そう。奴がヤードバーズでやってた頃はよくブルースハープでステージに上がってジャマしたもんだよ(笑)。昔、俺が最初につきあってた女を奴が横取りしやぁがって、それからまた俺が取り戻して、最初の女房にした(笑)!ま、あの頃はいろんなことがあっておかしかったぜ。


ボブ・ディラン

−ディランはいつも、あなたがそばにいるとご機嫌のようですね。どうしてなんでしょう?−
(笑)俺がいつもワインを分けてやるからだよ!キルケニーで彼に会うために待っていたら、彼の楽屋からマリアンヌ・フェイスフルが出てきて、俺にウインクして「今、ご主人様との面会を終えたところよ」って言うのさ。そしたら、大きな口笛が聞こえて、ボブが廊下の向こうで叫んでるんだ「よおウッディ、何飲む?」って。前に会ったとき、彼は酒もタバコも全然やってなかったから、4本目のタバコに5杯目のワインって段になって尋ねたら「あれは別のボブさ!」ときた。それから「セットリスト作るのを手伝ってくれ」。ステージに上がる3時間前だっていうのに、何で始めて何で終わるかまったく考えてないんだよ。「俺にどの曲でプレイしてほしい?」って聞いたら「全部だよ。アコースティック・セットがあって、これは俺のバンドでさえビックリなんだけど、それ以外はずーっとおまえにそこにいてほしいんだ」って言うんだ。で、一緒にステージに上がったら、5分ごとに「ロニー・ウッドに拍手を!」って観客に言うしさ。誰かがステージに黒いカウボーイハットを投げてよこしたら、そいつを俺の頭に載っけて「なあウッディ、俺のバンドに入るか?」って言うから「何言ってんだよ、ボブ、もうあんたのバンドに入ってるだろ!」って答えてやったよ。あの日の彼は最高だったね。

−のんきで楽天的なときもあれば、頭のまわりに暗雲がたれこめているときもありますよね?−
たしかに。俺たちのウマが合う理由には、二人とも双子座だってのもあるんだろうな。だけど、彼は俺よりはるかに浮世離れしていて気まぐれな人間だよ。たとえば、俺のアルバムに参加してくれたときも、歌うのはイヤだって言うのさ。俺が「ボブ、こういう歌詞はどうだろう」とか言うと「俺からはひと言だって出てこないからな!」だとさ。キルケニーのときみたいに、大喜びで話しかけてくるときもあれば、防寒コートが必要なくらい冷淡なときもあって、それは運任せなんだ。長年のつき合いだけど、いまだに彼の気分を予測することは出来ないもんな。

−ライヴ・エイドのトリで彼と共演したときの緊張度を10段階で評価するなら?−
(笑)評価は勘弁してくれよ!ライヴ・エイドの前、俺たちはニューヨークの俺の家で2、3日かけて彼のそれまでの持ち歌をすべてリハーサルしたんだ。ほんと、俺とキース(・リチャーズ)とイアン(・マクレガン)が一生のうちであんなに必死に頑張ったことは一度だってなかったよ。ところが、こっちがそんなに頑張ってるのに、彼は俺たちの知らない曲で始めようかななんて言い出してさ!「じゃあこの曲はやるべきじゃないってことか?」って聞くから「そうだよ、そーゆーこと!」って答えたよ。
でだ、俺たちがステージに上がってやっとリラックスしてきたってとこで、プッツーン!ボブが弦を切っちゃった。その日はローディーがいなかったんで、彼に俺のギターを渡して、俺は誰かがバックステージから手渡してくれた安っぽいギターを使ったんだけど、これが完璧にチューニングがイカレてて。一本の弦でスライドさせながら弾くはめになっちゃったという。


ジェフ・ベック

−他に(ロニーの自宅に建設された新しい)スタジオに遊びに来た人はいますか?−
つい2、3週間前にジェフ・ベックに会ったよ。彼は俺のスタジオにやって来て、すごく気に入ったようだった。昔みたいな、俺がベースで彼がギターっていうセッティングでものすごくライブがやりたいって言ってたよ。俺のベース・プレイがすごく懐かしいって言うんだ。俺もいまだにベースを弾くのは大好きだから、一緒にやってみたいもんだね。


モハメッド・アリ

−何千人もの有名人に出会ってきたあなたですが、いちばん呆然とさせられたのは誰ですか?−
70年代にまだワールド・チャンピオンだったモハメッド・アリにニューヨークのローズ・ミッドタウン・ホテルでバッタリ出会ったんだ。彼に「俺がまさにその本人と握手したって、親父はすごく自慢するだろうな」って言ったのを覚えてる。親父はマジで近所中を集めてきたと言ってもいいほどで、俺はみんなにその話をしてやったよ。で、2、3ヶ月前にボクシングの試合に行って、エレベーターに乗ったらそこにアリがいてね。隣にいたプリンスやナズが比べるとまるでちっちゃなノミみたいに見えたよ。この頃では彼はもうそんなに話をしないんだけど、俺の胸を突っつくと、目で「おまえを覚えてるぞ、このワルめ!」って言ったんだ。間違いなく思い出が蘇ってきたみたいだったね。俺はアリのマネージメントと何度も連絡を取り合って、彼の大きな油絵を描いたことがあるんだ。それを彼は気に入ってくれて、俺たち限定版として一緒に署名することになってるのさ。


DJフォンタナとスコッティ・ムーア

−最新ソロ・アルバムの中の「インターフィアー」では、ディランとエルヴィス・プレスリー・バンドのDJフォンタナとスコッティ・ムーアという夢の共演が実現していますね。−
唯一残念なのは全員が同時にスタジオに入ったわけじゃないってこと。この曲の違うバージョンを4つぐらい録って、それをつなげて「ノット・フォー・ビギナーズ」で聞けるようなものにした。DJとスコッティが俺の家にやってきて、芝生の上に立って、開口一番「なあウッディ、俺たちもこんなに長く生きるって知っていたら、もっとちゃんと自分たちの面倒を見てきたんだがなあ」。彼らがしてくれたエルヴィスの話は素晴らしかったね。コロネル(・パーカー大佐)が現れて「おまえには用はない、カネもやらないよ」と言い渡すまでスコッティがプレスリーのマネージャーだったなんて知らなかったよ。もひとつ聞いたのは、トラックの運転手だったエルヴィスが初期の頃ギグに自分が運転して彼らを連れて行くと言い張ったって話。問題は、彼は方向感覚ってものが皆無で、いつも会場に着くのが2、3時間遅れちゃうことだった。それからDJは「エルヴィスが会場を離れるとほんとに素晴らしかった。俺たちにもそこにいる女の子たちに話しかけるチャンスができたわけだから」って言ってたっけな。過ぎ去りし無邪気な時代よ−この人たちが女遊びを発明したんだからね。





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