どんな人だった?
〜Malvinさんから頂いたメッセージ〜

事情は下に書いてありますが元Steveのギターテクニシャン、現ツアーマネージャーのMalvinさんが2000年1月に寄せて下さったメッセージです。Kuma1人での解読は不可能で、お助けマンの日本語でも完全な再現不可能ということで、当日は頑張って書いた素人訳をとりあえず一部載せてみました。しかし心優しいゲストの方がなんと日本語翻訳完全版の原稿を下さいました!自分で読んだ時にはわからなかったことも多く、あまりの内容にKuma涙。ずっと眠ってた想いが揺さぶられるような気持ちになりました。まずは是非、ご覧下さい。

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原文

I would like to talk about Steve if you don't mind:

He was such a gentle soul, always ready to help friends, always ready with a smile. I liked him immediately during our first meeting at Battery studios London in September 1982. The band were just putting the finishing touches to "Pyromania"


Although they already had a guy for the job of Steve's guitar technician, Steve liked me better........my personality maybe.......... And I got the job.
 I was happy to be in the company of these five young guys, it was fun, they all had great senses of humour (which is essential in this business) and I soon settled into my position. I found that I had a very relaxed relationship with Steve. He would call me if we had a day off to see if I wanted to go for dinner and drinks... .....of course, "drinks" were always part of the plan. We always had fun, laughing and joking the whole time, his laughing was infectious, It was easy to like him. He would normally try to keep the conversation light, but occasionally, he would voice his opinion strongly. He was mostly fun though.

He was always very kind to my children, in fact my 16 year old daughter Lesley walked, for the first time in her life, from Phil, who was holding her, to Steve who caught her just before she was about to fall. Everyone cheered and I could see that Steve was proud of the moment too. What a great smile!

I visit his graveside in Wisewood Cemetery every time I go back to Sheffield, I make the area neat and tidy and look with interest at the gifts that have been left for him, many gifts are left by Japanese fans. I'm sure that Steve would appreciate this because he really liked visiting Japan. He liked to drink Sake sometimes, I have found a small jug of Sake there at the graveside, plus some Marlboro red cigarettes. Some people have left jewelry and soft toys. It is very encouraging to know that so many people have traveled so many miles to make the trip to Wisewood.

Towards the end of the 80s Steve started to drink more, we were in the studio recording Adrenalize in 1991 and Steve was having problems working. Steve just wanted to play his guitar....... playing LIVE was why he was in this business, he always reminded me of that fact. So it was harder for him to concentrate in the studio (which calls for outstanding patience) and consequently started to drink more and more.

The last twelve months of his life were very difficult, I tried to 'retrain' him. I tried to be a shoulder for him to rest upon. I tried lots of things to distract him and to occupy him. I used to fly kites and throw Frisbees, he liked to build model aeroplanes or cars, but we still had too much time on our hands. It was very difficult for him. I felt so sorry for him, but I was
helpless.

I often think of Steve running across the stage at the beginning of the show, The Kabuki style curtain would drop and everybody's eyes would be on Steve thrashing out the chords to 'Stagefright' his hair flowing behind his head and a white silk scarf trailing on top of a red bolero and white pants.That is the way I shall always remember him.

Red and white lightning!

I would like to say thank you to all great Japanese fans, it is always a pleasure for us to be able to play in Japan. (also........I love tempura Udon)

Hope to see you all again soon.
Malvin,
January18 2000

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ゲストの方が下さった日本語翻訳版

みんなさえ良ければ、今日は少しスティーヴの話しを聞いてほしい。

彼は本当に気だての良い男だった。いつも笑顔を絶やさず、友達のためならいつでも力を貸してくれようとした。そんな彼と初めて会ったのは、1982年9月、ロンドンはバッテリー・スタジオで。そう、ちょうど『Pyromania』完成間近の頃。僕は会った瞬間から彼を好きになっていた。

当時、スティーヴには別のギター・テクがついていたんだ。けれど、スティーヴ自身は僕の方を好んでくれた。おそらく、この性格のおかげかな。結局、僕の方にその仕事が回ってきた。 僕としては、あの5人の若者達の仲間になれてすごく嬉しかったし、とにかく楽しかった。彼らのユーモアのセンスは絶妙で(はっきり言ってそれがないとこの世界では生きていけないのさ)、すぐに溶け込むことができた。特にスティーヴとの関係はかしこまらない、いい感じだった。オフの日も、彼はなにげに電話をかけてきて、食事はどう?飲みに行かない?と訊いてくる。そう、彼のプランには必ず“飲み”が入ってたんだ。彼といると本当に楽しくて、よく冗談を飛ばしあった。いつも笑いが絶えなくてね。どうも彼の笑いは伝染するらしい。しょっちゅうつられて笑ってたよ。そんな彼を好きになるのは当たり前だった。ただ、いつもならけっこうクダラナイ話題で盛り上がるのに、時々、ふと強い口調で自分の気持ちを伝えることもあったね。まあ、ほとんどの時
はただの楽しい話し相手だったけど。


あと、彼はいつでも僕の子供達に対してすごく優しかった。あれは、今16歳の娘レズリーがまだ赤ちゃんで、初めて“あんよ”した時のこと。最初はフィルが彼女を支えてて、そこからよちよちとスティーヴに向かって歩き出し、転ぶ寸前に彼が捕まえてくれたんだ。拍手喝采の中、スティーヴはすごく誇らしげな表情をしてた。今でも忘れないよ。とっても素敵な笑顔だった!

最近では、シェフィールドに帰るたび、ワイズウッド墓地にある彼の墓を訪ねるんだ。お墓を掃除しながら、そこに残された贈り物の数々を興味を持って眺めてみる。中には日本のファンからのものも多いよ。きっとスティーヴも喜んでいるはず。彼は日本が大好きだったからね。日本酒も。墓前に小さな徳利を見たこともあるし、他にはマルボロの赤とかアクセサリーやぬいぐるみなんかが置いてあることもある。こうして、多くの人々がワイズウッドまで遠路はるばる足を運んでくれると知って、僕たち自身もとても励まされるんだよ。

80年も終わる頃になるとスティーヴの酒の量は増えていき、1991年に『Adrenalize』のレコーディングでスタジオに入ると、仕事に支障をきたすほどの問題を抱えていることがわかった。彼は単純にギターを弾いていたかったんだ。自分はライヴをやりたくてこの世界に入ったんだ、と繰り返し僕に訴えていた。だからこそ、スタジオでは集中しろと言っても、彼には辛すぎたんだ。スタジオ・ワークは想像以上の忍耐を要するからね。それもあって、次第に酒の量もどんどん増えてってしまったんだ。

彼にとって最後の一年はとても厳しいものだった。僕は何とかして彼を立ち直らせようとしたし、いつでも相談相手になってあげたいと思った。ありとあらゆる手段を使って、彼の気分を紛らわせようとしたし、時間つぶしの相手にもなった。一緒に凧を揚げたり、フリスビーで遊んだり、彼が好きな飛行機や車のプラモデルを作ったり...でも、そこまでしても、時間は余りあまるほどあった。とても辛かったと思うし、本当に気の毒だった。けれど、僕にはそれ以上どうすることもできなかったんだ。

今でもよく思い出すよ。ショウのオープニングでステージを走り回る彼の姿。歌舞伎調の幕が落ちれば、美しい金髪と白いシルク・スカーフをなびかせ、赤いボレロと白のパンツの彼が”Stagefright”のコードをたたき出し、人々の視線はそんな彼へと自然と注がれる。僕もそのスティーヴをこれからもずっと思い出すだろう。

赤と白の稲妻!

改めて、素晴らしい日本のファンのみなさんにありがとう! 僕たちはいつも日本でプレイできることの喜びをかみしめているよ。(天ぷらうどんも大好物だし...)

またすぐみんなに会えると願いつつ

2000年1月18日 マルヴィン

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Kumaコメント

なんだかもう、胸が一杯で多分それは読んだ皆さんも同じ気持ちだと思うので、私の感想なんて書かなくって良さそうです。きっと1人では、絶対にわからなかったことだと思うので、メッセージを寄せて下さったMalvinさんと共に、翻訳して下さったゲストの方にも本当に感謝いたしております。どうもありがとうございました!!

そしてもう一つ、このページを(頑張ってはいたが無理のあった)Kumaの素人訳とともにUPしてすぐに、複数の方々から翻訳のお申し出を受けました。今回は1番最初にお話を下さった方にお願いすることになりましたが、Kumaは皆さんにも感謝しております。管理人は私Kumaですが、1人ではないんだと強く実感することができ、とても心強かったです。どうもありがとうござました!!

今回の件に関する事情

2000年1月、Kumaはバンドの物がツアーのトラックから盗まれた、2000年2月15日以降のツアーがレコード会社とラジオ局のサポート不足によりキャンセル・・・等のニュースが世界中のネットで流れているのを心配しつつ「私を含めて英語が分からない人が日本ではほとんど。ニュースの英文を読んで意味が分かっても、ニュースの文章そのものや、ニュースソースの置かれているWeb等に行って、そのニュアンスから信用できそうなものかどうかを判断するのが難しい。特に今回は楽しかった日本公演の盛り上がりとは裏腹にアメリカではどうなっているんだろう・・・と気がかりだよなぁ」となんだかモヤモヤしていました。そんな矢先、

Malvinさんが日本のファンあてにメッセージをくれたのです。このHPの為にニュースの件だけでなく、Steveについてのお話も寄せてくれたのです。(ちなみにニュースの件についてのメッセージは当日にBBSに速攻報告いれた上でNEWSページにUPしています)

この件で誰よりもビビったのは、間違いなくKuma本人でしょう。

気になる方はどうかこの長〜いお願いを読んでください。

@Kumaはもちろん業界の人と一切関係なくこのサイトを営業しており、Malvinさんとも別に直接の知り合いではありません。←当たり前です、英語がしゃべれないんですから。(きーちゃんとも100%日本語・笑)

Aメッセージは「今回のニュースが分からなくって困っているSteveサイトを真面目に運営しているらしい日本人」に宛てられたもので、私個人へのものではありません。HPに載せて構わないという許可つきで頂きました。

Bなので、もちろん心配している皆さんと情報を共有すべくまずは急ぎでBBSに、後にニュースのページに速攻UPしていますが、その想いとは裏腹に「ヘンなメール」がきちゃったりすると、とっても悲しいです。

C最近、一生懸命やっているのに「あれくれ」「これくれ」(前から知っている方からのどうしてものお願いならともかく、知らない人に一方的に言われても、住所は教えたくないし、そういうこともできない〜)「バンドに会わせろ」(そんなバカな。バンドと個人的に知り合というサイトではないし、私もイキナリ聞かれても困っちゃう。答えようがない。知らないんだから)等の「ヘンなメール」が多くて、実は「(一時的にでも)サイトを閉めちゃおうかな・・・」という考えがよぎってしまってたのです。でも、待っていてくださる方は大勢いるし、まだ頑張るわよ〜と、すぐに思い直しましたが。でもこれ以上のことがあると、へこみも倍増なのです・・・。ちなみに、こういった「ヘンなメール」は普段BBSにカキコ下さったりしている皆さんからではないことを明記しておきます。

D今回、ファンに親切であることで知られるMalvinさんがものすごい激務の中(彼は忙しいことでも有名ですよね)、極東の熱心なDEFファン達のためにとご好意で寄せてくれたメッセージということをご理解くださいませ。

Eちなみに私は今回のことをきっかけに、今後もMalvinさんと・・・とかは一切考えてません。なのでこれからもいつも通りの営業を続けていくのみ、です。

Fこの件に関してのお問い合わせは、私が最近頻繁なCのようなことで心理的にいっぱいいっぱいのため、個別に細かいことをとても受けられそうにないため、ここで書いていることでどうかご勘弁ください。以上です。どうぞよろしくお願いいたします・・・・。

嬉しいのはもちろんですが、この件で寿命が一気に10年は縮んだ(笑)

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