一体なにが?そしてその後

なんで?なんで?なんで?

彼の死後、さまざまな話が飛び交い、中にはネットのファン同士の会話やウワサもあったり、でも何でもいいからどうなっているのか知りたかった私は飛びついていました。その中からここに書くことは、主に雑誌やTVからの発言を中心としています。しかし適当に要約しているため、必ずしも一字一句正確な彼らの言葉というわけではありません。←中には洋誌や英文のヒストリー本、海外の番組なんかもあるので・・・。記憶喪失気味の中、徒然と書いております。

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書くのに2年近くもかかってしまったテキスト

彼がもうこの世にいないと知らされて、その上「実は彼はアルコール中毒だった」と聞かされ、混乱してしまったのは私だけではないかと思います。確かにHysteriaでの来日中もカップ酒片手にゴキゲンな姿を多く目撃されているし、お酒好き(というか強い)のは有名なことでした。何が一体どうしてどうなったのかは、詳しくなんて1ファンとしてはとても知ることはできません。でも彼の死を知ってみんながこう思ったと思います「どうして彼を助けることができなかったんだろう、何か特別なプログラムにでも通って、バンド活動は出来なくなっても、命を落とす事はなかったのでは?」。多くのファンが悲しみに暮れるとともに納得のいかない想いを持っていたと思います。突然の事故や避けられない病魔ならまだ、まだ・・・。事前に防げそうな問題ではなかったか?遠い極東の国で苦悩していた方も多かったかと。その後の音楽雑誌での続報をひたすら待つものの、あまり核心をついたものを目にすることはありませんでした。このあたりから私は毎日悲しみに暮れていた日々を送り、DEFに関しては、記憶喪失気味です。

ただ当時の友達から貰ったラジオ番組のテープがより私を切なくさせました。まだ持っているはずなんですけど、クイーンズライチのメンバーがSteveの死の前に彼に会ったことを話しているものです。バックステージでSteveに会ったとき、彼は同じ言葉をなんども何度も繰り返し、ひとつの文章を言うのも大変な程で、「キミ達のバンドは仲が良くていいな」みたいに言ったそう。一体これがどんなことを意味するのか、もう私にはわけわからんですが、つまり最期の方のSteveの状態はそんなに悪かったんだ、ということだけは良く分かりました。来日していた頃の輝いている笑顔の写真を見るたびに「この来日後に"Pour Some Sugar On Me"がアメリカでNo.1になって、またアメリカをツアーで周ることになって、アルバムセールスが記録的なものとなり、期待される次作のレコーディングに入って1年の間に彼はどんな風に悪くなっていったのだろう。」とつい知る由も無いことに想いをはせてしまいます。

よくよく思い出してみれば、来日公演が評価されてとある音楽雑誌から表彰された記事にあった写真が、私が見た最後のSteveの姿なんですけれど、オランダでレコーディング中、となっていた皆の姿の中で、Steveだけ異様に細くなんだかヘンな気がしたのも確かです。思い当たるフシもこうして見ると確かにあるけど、まさか、まさか本当にいなくなってしまったなんて。

SteveのパートをPhilが弾いたAdrenalizeがリリースされ、4人だけの宣材写真を見て本当にSteveがいないのを痛感しました。後任のギタリストが誰になるのか注目される中、元ホワイトスネイクのVivianが加入と聞いて、ひっくりかえったのも私だけではないはず。今ではもちろんVivianで良かったと思いますけれど、その時の印象は「なぜメンバーの結束の堅さや和気藹々さも魅力だったのに、渡り鳥みたいなVivianなんだ。全部の曲ではないけど"PhilがテクニカルなプレイでSteveがリフ係"な関係もとても良かった。2人して技術のある人ではぶつかってしまうのでは?ダブリンのインド料理屋さんや空港でメンバーと一緒なところを目撃されてたジョン・サイクスも候補ではあったけど、そもそもPhilがGirlで一緒にやっていたジェリーラフィーを押していたと聞いていたのに、なぜJoeが連れてきたVivianなんだ?なぜPhilが自分のパートナーを選ぶことが出来ないんだー!?」と、それはもう複雑な心境だったものです。この頃はDEF文通友達と便箋10枚以上のこのようなやりとりを何度もしていました。(メールなんてまだ無かったもんで)

アルバムリリースを機に、当然インタビューの数も増え、Steveに関する質問の答えも目にすることになります。大体答えは毎回同じで「彼を助けようと努力したがムリだった」というようなもの。もっと知りたいことはいろいろあるのに・・・と思っている矢先に、Vivian加入ということで今度はSteveの話になるとVivianのハナシに。「Steveは歌えなかった。しかしVivianは良いシンガー。Steveはステージでも口パクだったんだ。」時には今はもういないSteveに悪いじゃないか、と言うくらいキツい発言もあって、そういう事を中心になって言うJoeに失望したりもしました。今冷静になってこういう記事を読み返すと、Joeは本気で「なんで死んでしまったんだ」と強く思っていた気持ちが、可愛さ余って憎さ百倍なああいう発言になっていたんだろうな、と思います。しかしSteveを助けるために懸命に手を差し伸べたメンバーの苦労など知りもしない、当時高校生の私には、とてもそうは思えず「仲が良いのがDEFの良いところだと思っていたのに、死んだとたんにこんなこと言うなんて〜」とショックでありました。特に「Steve音痴&ステージで口パク疑惑」については、昔から一部ファンの間で冗談にもなっていたほど有名でしたが、Steveも知られたくなかったから今まで内緒(でもないか)だったわけで、それをもういないからってバラすなんてヒドイわ、ヒドイ〜!と思ってました。しかもきっぱりPhilがインタビューで言った時には残念でなりませんでした。きっとSteveは天国で頭かきながら、爪かじってはずかしかっていたに違いない。

時がたつにつれ、さらにいろいろなことが分かってきます。英文のヒストリー本などは、読破はとてもムリでしたが「Steve」という文字を必死に追って、いくつかのことを知りました。「彼はHysteriaのツアーのリハーサルがイヤ&ツアーに出るのがコワい、と自分の手を血が出る程、バスルームの壁に何度もブチ当てた」「Hysteriaのラウンドステージには、楽屋から機材の箱に2人づつ入ってそれをスタッフが押していってたが、(そうだったのか・笑)それに入るのがイヤだとよくゴネた」「Joeと箱の中に入って移動中も、出ようとケリいれたり叫んだり」「大人2人がかりで押さえても大変な程暴れることも」などなど。Hysteriaのツアーの頃からそんな調子だったとはショック。と思ったら、Hysteriaレコーディングの前もリハビリに5回、出たり入ったりし、出るとまたパブ直行というのを繰り返していたそう。やはりインタビューなどで聞くように長年の問題だったんだ・・・。しかしバンドの成功が理由ではないようで、Joeの発言によると「Steveはシェフィールドの工場で働いていた18歳の頃からアルコール中毒だった」と。Adrenalizeのレコーディングは実はSteve抜きで行われ、皆がダブリンにいる間、Steveはアメリカにいたそう。このレコーディングに入るか入らないかって時にSteveがファンの間でも有名だった彼女と別れた後、その後の彼女がアメリカ人と聞いて「あれ?」と思っていた私はここで納得。この頃のSteveは「ギターとお酒だけが生きがい」だったところを、ギター弾く事への興味もなくなっていたとのこと。レコーディング中に、ミネアポリスの雨どい(と辞書にあるが友達によると"どぶ川みたいなもの")で、顔を下に向けて倒れ意識不明で発見されて、その時の血中アルコール濃度が.59で、AC/DCのボンスコットが亡くなったときの.41よりも高かった、普通の人は.30で昏睡状態、というのを読んだときには「酒には強いと聞いていたけど、これは・・・」と絶句。

そのミネアポリスで精神科病棟に入ったSteve。Joe、Sav、Cliff Burnstein(マネージャーで有名なピーターさんの相方)とMutt(プロデューサー)がそんな彼に会いにいったそう。お医者さんからのすすめで、Steveあてに手紙を書いて彼の前で読んでみては、ということになって、思いの丈をつづった手紙をSteveに読んだそうです。Joeの発言は「彼は何も言わずにうつむいてた。きつい内容もあったけれど、オレ達はこんなことをさせる彼に怒りを覚えていた。すると突然ワッと泣き出して、みんながこんなに気にかけてくれてたのに気がつかなかった事を、どんなに申し訳なく思っているか話し始めた」「彼が謝り始めたので申し訳なく思った。そして自分達が彼をそう思っているのを見るとすぐに彼は横柄になった」。

Steveはその後ロンドンへリハビリのために戻りましたが、一ヶ月シラフだったかと思えば、またパブで飲んだくれたり。そこで今度はダブリンへ飛びバンドと合流するものの改善せず、またまたリハビリ。ダブリンのお医者さんが家族も交えてのミーティングを提案したものの、Steveは両親に自分の問題を知られたくない、それはイヤだとゴネたために、マネージャーのPeterがJoeに行くよう命じます。Joeはしぶしぶ毎週水曜日にリハビリに家族役で通うことに。今思うとやっぱりこれは良くなかったと後悔しているそう。他の患者の家族もやりたがらない"家族ミーティング"に、Joeは自分が行くのはおかしいんじゃないか、いやだいやだと思いながらもSteveのために通ったそうです。ミーティングではSteveについてのはずかしいこと(ってどんなコトだか非常に気になる)について掘り下げなければならず、そんな中Steveは自分のツメをいじったり、どうでも良い様子。彼は若いうちから"Rock Star"だったために、今まで誰もこんな言い方で彼に接したことがなかったというのも問題のひとつだったろうとのこと。おそらくリハビリでは命令口調されることもあるんでしょう。他の患者達が出たあとで、SteveはJoeに家族の代わりにこうしてミーティングに来てくれることについてお礼をいうものの、Joeにはその気持ちがとても本心とは思えなかったそう。

このずっと後にVH-1の"Behind The Music"という番組で、Joeがこの頃のSteveに会いに病院へ行った時のことについて「・・・・一人は木に話しかけたり。どうして、どうして自分の友達がこんなところにいなければならないんだ!」と感情的に熱く語っています。そう、デフレパはメンバーのことを時として「友達」って呼ぶんですよね。過去の日本の雑誌のインタビューでもそんなことありましたっけ。しかもいつもは饒舌な彼が、言葉を詰まらせながら、でも強く語っているこの場面は、何回見ても心揺さぶられます。

1990年9月にはバンドはSteveが全くの別人になってしまったと感じます。何か徹底的な、思いきったことをしなければ。彼はウソをついたり、処方された薬を飲めばお酒を飲みたくなくなるはずなのに、その薬と一緒にお酒を飲んだりしている。Steveなしでレコーディングをする間にも友人知人などから「Steveがパブにいた」と聞かされることもしばしば。バンドはSteveに6ヶ月の休暇を与えます。クビを切るのではなく・・・。彼らはSteveにチェルシーの家に戻って曲を書くであるとか、地下のスタジオでデモを作るであるとか、良くなるようにと時間をあげたのでした。多分、Kuma推測によると、この時Steve一人じゃなくてMalvinさんが一緒で、頂いているSteveの思い出話で出てくる「一緒に凧あげしたり、フリスビーしたり、プラモ作ったり」っていう時期だったんじゃないかなぁと思います。

そして結局翌年1月に、約束の半年を待つことなくSteveはそのまま遠くへ行ってしまったというわけだったのです。

日本の雑誌では見なかったと思うんですが、その後2月27日付の検死官の報告では"respiratory failure due to an excess of alcohol mixed with anti-depressants and painkillers"となっており、このままオンライン翻訳にかけると「反鎮静剤と鎮痛剤の混ざったアルコールの過剰摂取による呼吸困難」と出てきます。さらに血中からはvalium(バリウム)と morphine(モルヒネ)も検出されたそう。鎮痛剤に関しては、死の直前に階段から落ちて肋骨を折っていたためといわれています。バリウムは健康診断で飲むものとはちょっとイメージが違って、鎮静剤のようなものみたいでこの場合は錠剤のものらしいです。先程も話に出したVH-1の"Behind The Music"という番組で、Steveのガールフレンドだった人が薬物の名前で「prozac(プロザック)抗うつ剤」の名前を挙げていたりもしましたね。本当に、まだ30歳で、これからだったっていうのに・・・。

このあとは、初めてバンドを好きになったHysteriaでのツアーの来日を、当時中学生ということで見逃した私は、Vivianが加入してからのAdrenalizeの来日で初めて生DEF LEPPARDを体験します。いつもブート(ゴメンなさい〜)でチェックしていたコンサートでSteveがいた場所に見慣れない人の姿があって、頭では分かっていても、複雑な気持ちでした。その次のSlangでの来日ではSteveの書いたインスト曲"Switch 625"をPhilとVivian2人で奏でる様子を見て「ああ、Steveファンなんてもうお呼びじゃないのかもしれない」と思い、以後しばらく音楽から離れておりました。そして月日が流れてインターネット時代突入ということで、私の職場にもインターネットが。そこでやっぱり1番最初にやってしまったのが「DEF LEPPARDサイトの検索」。なんだかんだ言っても好きだったんだなぁ、と実感しました。トントン拍子に友人からパソコンを譲ってもらう・プーになり3ヶ月間職を探す、というのが重なって、勢いでこのHPを作ってしまった次第です。

じつは今まで、書いては消して、消しては書いて、を繰り返していて、このページは全く形になっていませんでした。

でも10年経ったその日に、DEFとしてではなかったけれどJoeとPhilが別のプロジェクト、Cybernautsとしてここ日本にやって来て、Steveに捧げると8日の横浜公演で演奏してくれたRock'N'Roll Suicideを観て、心動かされてしまいました。書こうとすると何とも言えない複雑な心境になって、どうもダメだったところを、おかげで一気に書ききってしまうことが出来ました。コンサートでは歌詞が英語なだけに、所々しか分からなかったんですけど、後で当日を思い出しながらRock'N'Roll Suicideの歌詞を見てたらまたジーンときてしまった。

今でも、Steveがいなくなった日、彼がもういないことを知らされた瞬間のことを思い出すと、心臓がドキドキします。最近は生活に疲れ気味で、たまには青春時代に戻りたいなと思うこともしばしばですが、もう一度あんな思いをするのはいやだな、などと考えてしまいます。今も元気でいてくれたら、ステージで輝きつづけていてくれたら、願っても仕方の無いことなのでしょうけれど、何かひとつ神様にお願いできるんだったら、私はまずこれです。本当は「モデルばりの美人にしてください」とか「お金持ちにしてください」とかもないことはないんですが。

時が癒す、という言葉がありますが、私の場合いつまでたっても立ち直れていないというのが現状です。ひとつだけ良い事といえば、長い間かかって、EuphoriaのツアーからはようやくVivianのいるステージを自然に楽しめるようになったことでしょうか。最近のDEFの曲では結構Vivianのクレジットの入った曲が好きだったりするんです。未だに立ち直れていないとはいえ、決して後ろ向きなワケではなく、これからも変わらずバンドを応援していきたいと思います。

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