「ギターを手にして、はじめて書いたのが”OD CATASTROPHE”だった。1つのコードが延々積み重なっていくやつだ。これは”REVOLUTION”と同じコードなんだけど、これが僕のプレイできる唯一のコードなんだ。だけどこれはおそろしくパワフルなコードだよ。そして僕はそのことを理解し、1つか2つのコードからとても大きなエモーションを得ることができるようになった。それがスペースメンを始めたときの基本だったのさ」ソニック・ブーム(本名ピーター・ケンバー)は1965年にイングランド中部の都市ラグビーで生まれる。この都市はラグビー発祥の地でわずかながら有名である。かなり裕福な家に生まれたソニックは14歳の時にはじめて
ギターを始める。その後アートスクールに通い始めた彼はそこで一分間に300回ものコード・チェンジがあるような、サザン・デス・カルトもどきのバンドINDIAN SCALPに在籍していたジェイソン・ピアースと出会いスペースメン3を結成する。「僕が聴きたいと思うような音楽を作ってるやつは一人もいなかったな。だれもドラックをやるために音楽を作ってなんていなかったから」スペースメンのモットーは「TAKING DRUGS TO MAKE MUSICTO TAKE DRUGS TO・・・・」であった。きわめてシンプルな構成の曲ながらじわじわと聞き手の感情を揺さぶってくる独自の作風でアルバム「SOUND OF CONFUSION」でデビュー。セカンドアルバム「THE PERFECT PRESCRIPTION」ではストリングスや管楽器の導入により、よりミニマルで催眠的な方向でシフトしていった。スペースメン3は88年7月に、ライヴアルバム「PERFORMANCE」をリリースした後、グラス・レコードを離れ、ファイアー・レコードに移籍する。ファイアーからの初リリースは89年2月のシングル「REVOLUTION」あの「ODCATASTROPHE」と同じコードによる強烈なサイケナンバー。同年3月にはアルバム「PLAYING
WITH FIRE」をリリース。このアルバムでスペースメン3はますます静寂の世界へと突入していった。しかしこのアルバムあたりからソニックとジェイソンの確執がはじまった。それまでほぼ全てのクレジットに”KEMBER/PIERCE”と共作の形でなされていたのにこのアルバムでは「SUICIDE」一曲のみが二人の共作であとはすべてそれぞれのソロクレジットとなっていた。89年夏にシングル「HYPNOTIZED」をリリース。その後ソニックがその年の12月にソロ名義で「ANGEL」「SPECTRUM」をリリースするとジェイソンはソニックには何も言わずに彼抜きでスペースメン3のツアーを遂行、その後ソニックをのぞいたスペースメン3のメンバーはスピリチュアライズドを名乗り90年6月にデディケイテッドから「ANYWAY
THAT YOUWANT ME」をリリースする。この段階でソニックとジェイソンの中はもはや修復不可能となっており、スペースメン3は8年に渡る歴史に終止符を打った。グループ解散後に
アルバム「回帰」がリリースされる。
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サイケデリックを辞書で調べると麻薬を飲んだときの、幻覚を伴う恍惚とした状態の意。はなやかで、くらくらするような色彩・音の様子。です。この言葉が流行ったのは60年代後半です。後期のビートルズも派手な衣装を着ていてそうした時期がありました。アルバムでいうと「サージェント・ペッパー〜」あたりです。アメリカではグレイトフル・デットやヴェルヴェット・アンダーグランドが活動していた時期です。ベトナム戦争反対の運動から出てきた平和主義の思想の一部が薬があれば平和に過ごせるという快楽主義、いわゆるヒッピー世代のカルチャーの中として一般的になった時代です。そうしたブームがあった割に70年代80年代ですっかり影を潜めてしまいました。そして突然90年代後半になり、特に97年にレディオヘッド、スピリチュアライズド、プライマルスクリームの三枚のサイケデリック的なアルバムを出すとサイケデリック・ブームが再燃!ともいきや直ぐに消えちゃいました。ですからここらへんでサイケデリックを盛り上げようってんでサイケデリック特選10を、
| スピリチュアライズド | 「宇宙遊泳」 |
| レディオヘッド | 「OKコンピュータ」 |
| プライマルスクリーム | 「バニシング・ポイント」 |
| モグワイ | 「カム・オン・ダイ・ヤング」 |
| スペクトラム | 「ソウル・キス」 |
| スペースメン3 | 「パフォーマンス」 |
| マーキュリィ・レヴ | 「ディザーターズ・ソングス」 |
| ストーンローゼス | 「石と薔薇」 |
| シャーラタンズ | 「サム・フレンドリィー」 |
| フィッシュマンズ | 「ロング・シーズン」 |
みなさんCD買ったときの帯ってとっておきます?僕はとっておきます。
そこにはレコード会社の人が一生懸命に考えたなセールスポイントが
書いてあります。なかには笑っちゃうものもあります。そんな色々な
”帯”を紹介していきたいと思います。
今回はクリーン・エクスガール・ワンダーの「ポニーオーク」
グラハム・スミスは19歳
グラハム・スミスは天才君
グラハム・スミスは現存する世界最強のクールな奴。ガウォー!!
なんですかこれ。クリーン〜はグラハム・スミスのソロユニットなのですが
「ガウォー!!」という下りはヘンです。こんなんでひかれます?
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ノイズはギリシャ語で新しいものという意味だったそうです。そこでノイズといわれるものがどういったものなのか表現者の立場ではその捉え方がずいぶん違うようです。おもしろいです。共通したところでノイズってのは音楽として区別するものではないってことと無意識的にでてくるべきものであるってことであるようです。たしかに耳で受けるものであるために音楽の一種であると勘違いしてしまいますがこれは音楽じゃないです。しかしどんなきれいな音楽よりも人の気持ちを落ち着かせたりする事のできるパワーを持った不思議なものでもあります。
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ウイリアム・リードとジム・リードの兄弟が始めたバンド。当初はプライマル・スクリームのフロントマン、ボビー・ギレスビーがドラマーとして在籍していた。
1984年にクリエイションから「UP SIDE DOWN」でデビュー。豪快なギターノイズと破壊的なステージでセックス・ピストルズよりも過激なバンドとして話題になった。85年に1st「サイコ・キャンディ」を発表。わずか25分の駆け抜けるようなライヴやライヴ中の暴動により過激なバンドというイメージが加速していく。そうしたバンドのイメージから逃れるように2ndの「ダークランズ」はノイズが影を潜めかわりにソングライティング能力の非凡さを知らしめるような個性豊かな楽曲を打ち出してきた。その後「オートマティック」ではねるようなリズムの中でメロディとノイズを打ち鳴らすジザメリサウンドを確立した彼らは・・。4作目「ハニーズデッド」を発表。イギリス版ロラパルーザ、ローラーコースターツアーをブラー、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、ダイナソーJRとともに行う。その後しばらく目立った活動はなかったが、突然94年に全編アコースティックアルバム「ストーンアンドディスローンド」を発表。いつものノイズとメロコリックが
同居したジザメリサウンドからほど遠いこのアルバムは賛否両論な形で受け止められた。しかしその後彼らの活動はめっきり減ってしまう。98年にウイリアムのソロ活動が報じられると突然、ジザメリ名義でアルバム「マンキ」を発表。それに伴いワールドツアーを行うが、来日直前に兄弟喧嘩。日本にはジム一人だけが来日。そのまま日本公演をすました。そのあと解散が発表された。ウイリアムはソロ活動に専念。ジムの方は最近突然クビにされた元スピリチュアライズドのメンバーとなんかやってる模様。
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篠原ともえのアルバム「MEGAPHONE SPEAKS」だいぶ前に出たアルバムだけど(98年発売)中古で安かったので買いました。限定版仕様のブックレットつきのを。通常版もありましたが迷わずブックレット付きを買いました。CDと同じサイズで独立してるので置き場所に困るだろうと分かっていても限定版を買ってしまう悲しい性です。で、「メガホン〜」です。篠原ともえの2枚目かな?くわしくしりませんがそうだろうと思います。この前の「ウルトラなんとか」はプロデュースが石野卓球でしたが今回は篠原ともえのセルフ・プロデュースになってます。そして目当ては作曲陣。ボアの山本精一率いるヤートーイ、バッファロードーター、さかな、少年ナイフ、ジオデジック、コーザ・ノストラのKANAMEと結構なラインナップ。ブックレットに篠原ともえが言ってるようにコアなミュージシャンとお茶の間をつなぐ事をしたかったとのこと。作曲陣といっても5曲ぐらいは篠原ともえ作詞・作曲でバッファロードーターなんかはパフォーム担当だったりしていい曲です。篠原ともえというとどうしても色物に見えちゃいますが、まじめに音楽つくってるといった感じのアルバムです。
27日(日)に新宿タワーレコードで、ボートのインストアライヴがありました。無料とゆうこともあり、大勢のファンが殺到するだろうと予想されたので、開演3時間前に下見。そして1時間前にスタンバるという、念密なスケジュールを立てて当日、望みました。しかしなんと事前に新宿店でCDを購入した人には整理券を配っており、整理券を持っている人から優先に入場できるとゆうではありませんか。焦りましたが、たとい会場が整理券野郎どもに埋め尽くされてもせめて、奴らを拝める位置でと、入場を制限するロープギリギリの位置をキープしました。整理券野郎どもは向こうの階段で待機しています。スタッフのエスコートで悠々と会場に入れるなんてなんて、贅沢者が!と恨めしげにしていると、メンバーのアインがなにくわぬ顔で我々の前を横切ります。もちろん誰も気がつきません。開場時間になり整理券野郎どもが列をなして流れ込みます。我々は恨めしげな目で奴らを見ました。1人,2人,3人,4人・・・・、7人!!なんと、そこで列がとぎれたのです。彼らは1列目を埋め尽くしただけです。僕らは2列目に並ぶことができたのです。そうこうしてるうちに再びアインが横切ります。ステージを待ち続ける、ファンも彼女に気がつきません。さすがです。まだかまだかと待ち続ける我々の前をメンバーが横切ります。誰も気づきません、イヤ気づいていたのかも。ミーハーは僕だけか?と思ううちにはじまりました。ボート!はじまるかと思いきやベースが不調でしばし待ちます。あまりにも濃すぎる浜中湖からきたとゆうサポートダンサー「ハマナカ」。この狭いステージではボートの5人ですでにいっぱい、彼はステージ(段差10センチ)から降り僕の目の前の背の高い人の前に立ちはだかりました。そして演奏がはじまったのです。おそらくニューアルバムからの新曲。ハマナカもものすごい形相でパフォーマンスを始めました。しかし、その位置では僕の目の前の人だけにパフォーマンスしてるようにしか見えません。前の人の頭から右左と見える彼が僕の方に向けられたかと思うだけでもドキッとするのに、目の前でオンリーパフォーマンスをされる彼は一体どんな気持ちで見ていたのでしょう?ハマナカもそれはきつかったのか曲が終わると転がるように立ち去ろうとします。しかし、ヴォーカル、ギターのアセさんはそれを引き留め、彼をステージの中心に立たせ、自分は客と同じ所に立ちます。そして次の曲。ハマナカの指メガネです!この指メガネで2曲目も大いに盛り上がります。そして「狂言メッセージ」へとなだれこみます!最後はもちろん「Don't
you」!ハマナカもアップアップしながらもパフォーマンスします。すごすぎる。