わっぱの歴史

前進の「桜吹雪」はメンバー高校受験と言う過酷な試練を受けることなり、「」の休眠を利用し、「」のメンバーのとし(ギター)たく(ドラム)が以前同じ釜の飯を食ったメンバーを集めた。それが、よっしー(ボーカル)りゅう(ベース)たかし(キーボード)である。

もともとわれわれはこれがやりたいといういわゆる目指す音楽がなく、「自分たちのやりたいことをやれればいいぜ」的な人間ばかりの集まりである。要するに「目立つが勝ち」なのだ。
いかに自分がおいしいところをもっていくか、それが理念といえるべきものだった。

それゆえに練習が嫌いでライブの前にならないと真剣に音あわせをすることもわすれ、自分の好きな音を各自が勝手に鳴らすこととなった。困ったのはボーカルのよっしーである。絶対音を取れる彼も各自の身勝手な騒音には閉口することとなった。そして、しまいには発声練習をはじめた。
さらに問題なのは時間を守らないことだ。買い物の待ち合わせも遅れてくるが、バンドの練習には判を押すように毎回遅れてくることになる。時間に厳しいよっしーがあとでいやみをいうのもうなずけると言うものだ。わずか2時間の練習に30分も遅れればそれは、致命的である。

ただし、曲作りは早かった。コピー曲は練習してこないが、オリジナル曲はその場でのアレンジに集中することが多かった。そこで数々の名曲が生まれることとなる。

1987年4月桜吹雪のラストライブ後、すぐにわっぱは結成されることになる。そしてその名バンドの命が同じ年の年末にこようとは誰もが予想だにしなかった。

名前は結成時にのみに行った居酒屋のメニューから名づけた。「わっぱだっ!
6月には最初にライブスケジュールを決めるが、リーダーのたくがメンバーの承諾なしにライブハウスに「OK」出しをしていまい、4曲しか披露できず、退散した。
8月にはライブが決まってからベースのりゅうが骨折し、アレンジを変え、ベースを持ちまわり、なんとかライブを切り抜けた。
10月には完成されたオリジナル曲やコピー曲ができあがり、11月の新宿でのライブと同じメニューでこなすことになる。
11月には最初で最後の新宿でのライブとなった。その数ヶ月後にもう一度ライブハウスから出演の要請がきたが、「解散&分裂した」という報告をしなくていけなくなった。

それはわが愛すべきバンド「わっぱ」の短い短いヒストリーになる。
1987年4月 わっぱ結成
1987年6月 わっぱファースト(浅草リエゾン)
・オリジナル2曲/コピー2曲(HoundDog&杉山清貴)
1987年8月 わっぱII(浅草リエゾン)
・オリジナル5曲/コピー3曲(HoundDog&杉山清貴&チューブ)
1987年10月 わっぱIII(浅草リエゾン)
・オリジナル5曲/コピー3曲(HoundDog&BonJovi)
1987年11月 わっぱIV(新宿ヘッドパワー)
・オリジナル5曲/コピー3曲(HoundDog&BonJovi)



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