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本当に待ってたレディオヘッドの新しいアルバムがようやく届いた。予想はついていたことだが、『OK computer』以降のエレクトロニックサウンドを大胆に導入した音塊はますます強度を増し、もはや「ロック」というよりは最近の音響重視のテクノ作品とでも並べて語られるほうがふさわしいかもしれない。 トムの声はずたずたにサンプリングされ、「すべてはあるべきところにある」「これは現実じゃない ぼくはここにいない」「だれもがきみを知りたがる けどだれもきみにはなりたくない」といった抽象的でひりひりした歌詞の断片だけがループしている。ストリングスのテープの逆回転やサックスが大きく使用されている曲もあり、それらの変化自在な楽曲はコンピューターによる緻密なアレンジによって統一感を持たされている。ギターさえもめったに鳴らされない。 正直言って、このアルバムを聞くたびに辛くなる。『the bends』や『OK〜』を聞くことで精一杯の正気を保っていたあの頃の僕が救われないからだ。感情表現がどこまでも抑えられている。ウェブ上にすでにでまわっていた名曲「mothion picture soundtrack」の、「でも生まれ変わったら 君のことも君だって解らない」というちっぽけな希望が歌われる部分も、ここでは抜き取られてしまったようだ。もうレディオヘッドはやさしく僕らに語りかけてくれない。おそらくトム自身がそういったファンの同一化や転移といった感情を拒絶しようとしているのだろう。だとしたら、この何も語らないアルバムに込められているものは何なのだろうか。 「聞く」という行為を考える。声がその人の身体そのものであるように、何を聞くかということはその人の身体がどんなものかということを教えてくれる。つまり、このアルバムで鳴らされているのは、トムの身体、レディオヘッドという5人の身体そのものであるということだ。「完璧でありたい」「特別でありたい」としか叫ぶことができなかった身体。いつも誰かの眩しさに悶えていた身体。自らを表現するためにコンピューターでずたずたにするしかなかった身体。感情や歌そのものに焦点をあてるよりも、このアルバムで表現されているのは自らの身体に忠実に音を鳴らすという行為なのではないだろうか。 だとしたら、こんなに悲しい作品はない。悩める若者のアイコンとしての役割に疲れた彼らは、気がつくとこんなにも悲しい世界と共にいた。自分が戻る場所であったはずの身体は、こんなにも希薄になっていた。そんな実感が、ひたすらに並べられている。 けれど、僕はこの作品を繰り返し聞いてしまう。なんどもなんどもこの「kid A」という悲しい光景に呼び寄せられてしまう。僕らの中にも同じ光景はないだろうか?それともこれは僕自身なのだろうか? そうなのかもしれないね。 この作品に対して、あるいは今のレディオヘッドに対して、自分がこれ以上どのような言葉を語ればいいのかが解らない。もしかしたら彼らの歌が本当に必要だったあの頃の僕は間違っていたのかもしれない。けど、この作品と共にいることで、「いつも生き生きとした自分でいなければいけない」なんていう僕のオブセッションは、少しずつ氷解し始めている。そして、それは「笑顔」への遠回りではないはず。 |
EVERYTHING IN ITS LIGHT PLACE THE NATIONAL ANTHEM HOW TO DISAPPEAR COMPLETERY TREEFINGERS OPTIMISTIC IN LIMBO IDIOTEQUE MORNING BELL MOTHION PICTURE SOUNDTRACK |