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「では、コマーシャル♪」




このPageは、Ryokenが今まで生きてきた人生の中で起こった事をDiary的に綴った事件簿である。RyokenのHistoryが明らかになる。  

 



1971,03,10 大阪市内で産声を上げる。 
父25歳、母25歳の時であった。 
その時、すでにGuitarを持っていたかは、定かではない。
両親の愛情を受け、すくすく育つ。
197X,04 大阪市内の西野田幼稚園に入園。
1年目はさくら組、2年目はうめ組。
金光先生に初恋!今は何してるんでしょう?オバちゃんなんでしょうねぇ〜(笑)
西野田幼稚園園歌を歌います!(笑)
♪ツンツンのびるよポプラだよ、みんなもなかよくのびてゆく〜♪
憶えてるんですね、幼稚園時代の歌だけは・・・。
198X,04 大阪市内の野田小学校に入学。
その頃の夢は「果物屋さん」になる事。
なぜなら家は自営業で「果物屋さん」だったので、小さい頃から「父の後を継ぐ!」という意志があったからだ。
なんと親思いの良い子だったんでしょう!(笑)
それが今やこのザマ・・・。
そういえば4、5年生位の時、親にも殴られた事の無いボンボンの僕が、生まれて初めて殴られたよなぁ〜・・・。原因は忘れたが、担任の国貞先生にビンタを「バシッ!」と・・・。国貞先生、何してるんでしょうか?
やはりオバちゃん、いや、オバアさんなんでしょうね〜(笑)
それと教育実習生の井上先生、可愛かったですよ!
実習期間が終わって「もう、会えないんだ・・・」って思った夜、マジで悲しくて一人、涙を流しました・・・。
でも、好き嫌いの無い僕が、給食の「酢豚」だけはマズくて食べれなかった思い出があります。
198X 小学生時代、初めて本格的に楽器を弾く。
なんと!Guitarではなく、マリンバだった!
なぜかと言うと、母がマリンバ奏者だったのです!
マリンバとは木琴の事で、学校の音楽室etcに良くあったのを憶えてませんか?
そう、そんな人があまり関わらない楽器で初めて音楽というモノに触れたのです。結構、手首のスナップが重要な楽器だったので、一応、Drumも叩けるんですよ!
あの頃のの様な母のスパルタ教育は忘れられません・・・(笑)
198X,04 大阪市立下福島中学校に入学。
入学式当日に忘れられない出来事が・・・。
クラス発表の時、同じクラスに仲の良い友達が一人もいなく、僕は緊張していた・・・。
そこで担任の先生の紹介がありました。
「1年1組、松村先生!」
「どんな先生だろ?」と思い、先生を見た・・・。
何と松村先生、チャックが全開!(笑)。
おまけに口からは正体不明の白い液体が垂れていた・・・。
僕の緊張は、どこかへいってしまい、これからの中学生活の不安へと変わったのであった・・・。
198X 中学校時代の部活動はバスケット・ボール部!
一応、補欠だったが「背番号」を貰えました。「14」。だから僕の好きな番号は今でも「14」です。
でも、サッカーをしたかった僕。
サッカー部が無かった為、バスケ部の友達、数人で「サッカー部を創ろう!」と体育の先生に申し出ました。すると、その先生が「お前等、バスケ部やろ!辞めてから言って来い!」。「辞めてやる!」と僕達。本当にバスケ部を退部し、もう一度、交渉。
「アホか!お前等、創る訳ないやろ!」・・・。
僕達は近くのグランドで「FREE SPACE TAX」という草サッカー・チームを結成し、社会人チームと試合をすることになりました。
198X 中2の時、初めてGuitarと出会う!
友達がGuitarを買ったのを見て、「カッコイイ!、俺も買う!」って感じでした(笑)
お年玉で買った、初めてのGuitar2万円レスポール
メーカーは・・・「Founder」(笑)「Fender」の偽物・・・。
でも、その時は嬉しかったんです!なぜかマグロの臭いがしてたんですけど・・・(笑)
198X 初めてコピーした曲はTHE MODSの「激しい雨が」。
アンサンブルの事等、何も考えてなかったのが今、思えば明らかにわかります・・・(笑)ただ譜面に書いてある事をやってただけ・・・。
そして44 MAGNUMとの運命の出会い!ここから僕のGuitarist人生が幕を開ける。
LOUDNESSが好きな友達のVideoに44 MAGNUMも録画してあり、LOUDNESSを語る友達を無視して(笑)44 MAGNUMの虜に・・・。
だってLOUDNESSより派手でハンサムで格好良かったから!(笑)
この頃から既に「見た目」に、こだわってたんですね。
198X 初めてのBandは44 MAGNUMのコピーBand、GAL-KILLER(笑)。
Voが履いていたビーチ・サンダルから命名。
当時、Member全員、馬鹿だらけだったので「GAL」を「ガル」と言っていた・・・(笑)
Liveも一回だけしました。
僕の学校には「文化祭」の様な物は無かったんですが無理矢理、学校行事としてやりました。
他のクラスは「ピアノ演奏」や「合唱」等なのにGAL-KILLERは「Heavy Metal」!(笑)
この時から既に「ピック投げ」はしていました!(笑)
198X,04 大阪府立高等学校に入学。
またもや仲の良い友達がいないクラスへ・・・。
自己紹介の時、「REBECCAが好きでBassを弾いてます!」というO君を見て、「44 MAGNUMが好きでGuitarを弾いています!」と僕は言いました(笑)
すぐ後でO君と仲良くなり、「軽音」の扉を叩く事になるが・・・。
198X 「軽音」を見学し、あまりにもダサかったので、入部は止めました・・・(笑)
その後、O君が「Band組んで文化祭に出ようよ!」と言い出し、心良くOK!
Voには当時からLive Houseに出演していた奴を誘う事に・・・。
それにO君、Baのクセに「Guitarをやりたいから、Ryoken君はBass弾いてくれない?」だって!(笑)
「貴方、Bassistでしょ?」と思いつつもOK!(笑)
それには情けない事情があったのです・・・(涙)
「もうLive Houseに出てるVoなんて、凄い奴なんだろうな・・・、そんな奴の前でGuitarなんて弾けない・・・」と思ったのでした。
で、情けない僕の「Bassist人生」が幕を開けたのです(涙)
198X 高2の時、文化祭で体育館のStageに出演が決定!
さて、Band名は?
HUNK'S」。
友達の女の子が「男前という意味なの」と言われ決定!(笑)でも、辞書で調べると「パンの厚切り」という意味だと知りShock・・・。スラングだったんでしょうか?
そして練習はどこでする?
当時からお金が無かった僕達HUNK'S・・・。
タダで練習できる場所という事で「軽音」に入部(笑)猛練習開始。
そして文化祭当日、HUNK'Sは大きな拍手に包まれ大盛況!僕はこの時から、「Live」という魅力に引きつけられていくのであった・・・。本当に感動しました・・・。
ちなみに、その時はBON JOVICINDERELLAEUROPE等、洋楽コピーが中心であった。
198X 初めてのLive Houseを経験したのもこの頃。
場所は「西九条YANTA鹿鳴館」、今の「BRAND NEW」である。
意外にもLive House デビューはBassistとしてであった。
友達Band、4〜5つとやりました。
この時から、もう既に「派手好き」は始まっており、衣装もGジャンにワッペン、バッヂetcをいっぱい付けて頑張りましたね・・・。
ここから、「Live好きRyoken」のHistoryがStartする・・・。
198X そして高3の文化祭では、このHUNK'S、文句無しにIdol Bandとしての地位を確立!TOKIOも真っ青!(笑)
超満員の体育館、黄色い声援、笑顔のMember。
ほんと、何も考えずに楽しめたLiveの中の一つでした。
この頃になると曲も「何でもアリ」になり、BON JOVIは勿論の事、ボウイ浜田省吾まで一緒にやる始末・・・(笑)
当然の事ながら、Live終了後には写真攻め。
「あのぉ〜、写真撮ってもらいたいんですけど・・・、VoのTさんを呼んで来てもらえませんか?」
「・・・、あっOKですよ!(涙)」
198X この頃から、ちゃんとバイトを始める。
最初にしたバイトは天満橋にあるうどん屋「みよし」。
店の人達も良い人で、髪の毛が少し長かった僕を心良く雇ってくれました。
仕事は出前中心。チャリンコをコギコギ、頑張っていました(笑)
夏休み等、長い休みの日には昼も出勤し、ランチタイムのお手伝い。
うどん屋のランチタイムなんて、まさに「戦争」!(笑)忙しくって・・・。
働く事の大変さが身にしみました・・・。
当時は、うどん屋にある物なら、だいたい作れたんですが、今でも作れるんですかねぇ・・・(笑)
みよし」の皆さん、元気なのかなぁ・・・。
198X そろそろ、本気で音楽をやりたくなり、GuitaristとしてBandを結成する為にMemberを探す。
そして、HEADLESSを結成!音楽的にはHard Rockでした。
初めて作詞作曲をしたのもHEADLESSから。
「このBandで天下を穫る!」と意気込んだのでした。
198X 突然ですが、「デート」の話を一つ。当時の彼女との「初デート事件」。
「遊園地へ行こう!」という事になり、胸をトキメかせ、ドキドキして待ち合わせ。そして電車に乗り神戸へ。
電車を降りて「バスに乗ろう」とバス停へ。
車内は空いていて、二人で楽しくおしゃべり。
でも、どこのバス停に止まっても、一人も乗って来ない・・・。
「???」と思い出した二人。
その内、遊園地に到着!・・・と二人の目に飛び込んできたモノは「休館日」と書かれた看板・・・(涙)
「そりゃ、誰も乗って来ないはずだ」(笑)
バスの運転手さんが「どうしますか?」
「戻ります・・・」と二人。
重い雰囲気の車内・・・。
そして、外には雨も降り出し・・・。悲しいやら、男として情けないやら・・・。
その後、どこへ行ったかは憶えてません・・・(涙)
198X 音楽とは別にBikeが趣味だった僕。
とは言うものの「暴走族」には全く興味は無く、峠を攻める「走り屋」の方にハマりました。
友達のBike仲間と共によく大阪奈良を繋ぐ山道、「阪奈道路」を舞台に走り回ってました。
夜になるとAll Night!いつも徹夜して学校に行ってた記憶があります・・・。
あと、文化祭でオリジナル・クラス映画「Beat Emotion」を作った時、どうしても自分のBikeシーンが欲しくて無理矢理、撮影してもらった事もあります(笑)
198X 「天下を穫ろう」としていたBand、HEADLESSがあるオーディションを受けた。
それは優勝すると「レコードを作ってもらえる」というもので、オーディションもRecording形式。
初めてのRecordingでしたが楽しくやった記憶があります。
そして結果は・・・、なんと努力賞!(笑)
「何も無いよりマシだろう」と思ったのでした(笑)
でも結局、HEADLESSはLiveもしない内に解散するのでした・・・。
198X 僕がBassistとしてやっていたBand、HUNK'S
そのBandが梅田am Hallでの「卒業Live」にて解散する。
当日は5Band位、出演して会場は超満員!
HUNK'Sはトリを務めた。
ボウイのメドレーやBON JOVIの曲を中心にLiveは進む。ボウイの「Only You」の時、Voの声が消えた!?
彼は泣いていた・・・。
お客さんも泣いていた・・・。
僕もお客さんに向かって「T君の為に歌ってくれ!」と叫んだ。
それ程、僕達にとってHUNK'Sとは、高校生活に於いて欠けがえのない存在だったのでしょう・・・。
たかがコピーBand。
でも、僕のBand人生の中で、いろんな「初体験」をさせてくれたHUNK'S・・・。
一度も演奏されなかったHUNK'S、オリジナル曲、Ryoken作品、「Last Show Time」・・・、思い出すなぁ・・・。
198X HEADLESS解散後、すぐにCINDYを結成。
ZIGGYに影響を受け始めた頃に作ったので、派手でキャッチーなMelodyを持ったBandにしたかった。
本格的に曲も作り始める。
しかし、まだまだ素人に毛が生えた位の集団でした(笑)でも、僕の中で何か音楽、Bandに対して真剣に取り組む事
をし始めた重要なBandだったのでした。
198X そろそろ卒業後の事も考え始め、Bandを続けたい一心で大学進学を目指す!
関西大学を含め、幾つかの大学を受験するものの全て不合格・・・(涙)
どうしても就職したくなかったので観光専門学校を受験。伸ばしていた髪も切り、なりたくもないのに「ツアー・コンダクター志望です!」と言いながら面接を受ける(笑)しかし結果は不合格・・・(涙)
「どうしたらBandができるのか?」と考えた末、CAT MUSIC カレッジ専門学校への入学が決定。
とりあえず、Bandに専念できる状況が整った!?
198X,03 めでたく高校を卒業!
少しだけ自慢話・・・?(笑)
古いかもしれませんが、卒業式の日とは男にとっては、ちょっとしたドキドキ感があります。
「告白されるかも?」とか「ボタンを下さい・・・」とかね(笑)
僕はそんな事を妙に意識していたんですね。
告白は残念ながら、されませんでした・・・(涙)
でも軽音部だったお陰で、後輩から花束と寄せ書きを貰いました。
そして最後の記念写真撮影の後・・・、
「ボタンを下さい・・・」
後輩の女の子でした!
その後、立て続けに「ボタンを下さい・・・」!嬉しかった!
同級生はいなかったんですが、後輩の女の子ばかりでした。
という事で、花束を抱え、前が開いた制服を着た僕の高校時代が終わったのでした。
この時が一番モテていたんじゃないでしょうか?(笑)
198X,04 CAT MUSIC カレッジ専門学校には、高校時代の友達がいませんでした。
しかし社交的な?僕は、すぐに友達を作る。
・・・が親密にはなれず、上辺だけの付き合いとなった・・・。
お昼御飯も一人でパンをかじって・・・(涙)
だって「プロ・ミュージシャン科」なのに、「昨日、Guitarを買いました!」なんて人達と「ピックの持ち方は・・・」なんて授業なんですから・・・(涙)
その中でも、ZIGGYをきっかけに友達になったのは、現在「太陽の塔」というBandで活躍中のI君。
まぁ今は全然、付き合いはないですけどね・・・。
198X さて、この頃やっていたBand、CINDY
初Liveに向けて、Recordingをしました。
RICK ROSEという友達のBandと一緒に二曲入りソノシートを作る事に!今は亡き「ペラペラのレコード」です!(笑)
Recordingはワイワイ楽しく、でもライバル同志、火花バチバチで進んでいきました。
僕のGuitar録りが時間内に終わらず、Guitar Soloだけが残ってしまいました。
また、別の日に改めて録る事になったんですが・・・。
198X,07 当時、やっていたバイトが「宅配Pizza屋」でした。
Bikeが好きな仲間ばっかりで、仕事が終われば自分のBikeに乗り換え、よく走りに行ってたものです。
そして、事件は起こった・・・。
この日、22:30頃、「もうTelもかかってこないし、店を閉めようか」と言ってた。
宅配に行く順番はローテーションになっていて、次にTelがあったら僕が行く事になっていた。
「もう行きたくないなぁ・・・」と思っていた僕だったが、Telが鳴った。注文でした。
しぶしぶ、Pizzaを作り配達へ。
「行ってきまぁ〜す・・・」
場所は此花区。外へ出ると小雨が降り出していました。
Bikeにまたがり出発・・・。
「近道をしよう」とカーブを曲がった瞬間、目の前に、車道にも関わらず「リヤカー」を引いてるホームレスが!「ぶつかる!」と思い急ブレーキ!
路面が小雨で濡れていた為、転倒!
僕は「リヤカー」の下にBikeもろとも吸い込まれていったのでした・・・。
・・・つづく。
大破し、横たわっているBike
頭の中が真っ白になって倒れている僕・・・。
「やってもうた・・・」
意識がしっかりし始め、痛みもあまり感じず、出血も全くなかったので立ち上がろうとしました。
が、右足の膝から下が動かない!
「折れてる・・・」
とっさに足の指を動かした・・・。動きました。
単なる骨折だと、その時は思いました。
「大丈夫か!?」と後ろを走っていた人がBikeを降りて駆け寄って来てくれました。
「救急車、呼ぼか?」
「お願いします・・・、家にも連絡して下さい」
そして、「Pizza屋とお客さんにも、謝りの連絡をしてもらえますでしょうか・・・?」と、自分が事故って大変なのに、お客様を気使い、やけに冷静で仕事熱心なRyokenであった・・・(笑)
間もなく、救急車のサイレンが近づいて来ました・・・。
・・・つづく。
救急車が到着。
担ぎ込まれる時の痛みは、今でも忘れられません・・・(涙)
福島区にある「松本病院」へ。
飛び出して来た看護婦さんが「いやぁ!血だらけ!」
「えっ!?俺、血なんて出てなかったはず・・・?」
看護婦さんは勘違いをしていた。
その時、僕が着ていたジャンパーが白と赤の模様だったから・・・(笑)
そのままレントゲンを撮り、応急処置をして、その夜は過ごしました。
そこへ駆けつけて来た父と弟。「無事で良かった・・・」と一安心。
・・・つづく。
夜が明け、手術をする事に。
全身麻酔をかけられ、眠りに落ちる僕・・・。
後で、父から聞いた話によると、かなり心配していたようです。
何故なら最初「2時間位で終わるでしょう」と言われていたが、なんと7時間もオペ室から出て来なかったそうな・・・(笑)
と言うのも、思ってたより骨折がひどく、骨が粉々になってる粉砕骨折だったので、腰の骨を削り脚に移植したんだそうな。
そんな事を何も知らなかった僕は「何で腰まで痛いし、包帯を巻いてるんだろう・・・?」と思いながら、三ヶ月という長い時間を松本病院で過ごす事となった・・・。
次回、入院編へつづく・・・(笑)
198X と、その前にCINDYのソノシートRecordingの続きを少し・・・。
Guitar Solo録りのみが残った状態。そしてLiveも決まっていました。
でも、Ryokenは入院・・・。
そこで登場したのが実弟で、僕よりもGuitarが上手かったHide!(笑)
Guitaristの命であるSoloを録音してもらい、Liveも弾いてもらいました。
CINDYの初Liveに出れなかった僕。悔しくて、事故った自分が情けなくて涙を流しました・・・。
ちなみに、その日の対バンはウルフルズでした!
同級生の親戚がウルフル・ケイスケさんだったので・・・。
会いたかった・・・(笑)
198X と、もう一つ・・・(笑)
事故の原因となったバイト先のPizza屋には、今をときめく!?人が居ました!
一緒にバイトをしていた頃から、「俺はお笑いになるんや!」と、マジな顔で言ってたのが印象深いです。
そう、彼はよいこ有野君です!(笑)
僕が入院中に、お見舞いにも来てくれました。
心優しい、まさに「良い子」でした!(笑)
「有野!俺を覚えてるかぁ?」(笑)
と言う訳で、次回こそ入院編!
198X さて、入院中の僕というと・・・、わがまま三昧でした!(笑)
「部屋は個室やないと嫌や!」
TV、持って来て!」
Video、持って来て!」
コンポ、持って来て!」
ファミコン、持って来て!」
Guitar、持って来て!」
ZIGGYのポスター貼るで!」
「飯、まずいからマクド、買って来て!」etc・・・(笑)今思えば、一人暮らしみたいで楽しかったんでしょうね。だって、暫くは寝たきりだったんですよ!
腰から足首までギブス・・・(涙)
座る事も出来ず、トイレにも行けなかったんです・・・。手を伸ばせば、寝たまま何でもできる・・・という状況が
嬉しかったんでしょうね・・・(笑)
198X さすがに長い間、入院していると、お医者さんや看護婦さん、リハビリの先生etcとも仲良くなりました。
わがままも色々聞いてもらいましたね・・・(笑)
消灯時間になっても友達と遊んでたり、起床時間になって、「検温です」って看護婦さんが来ても、僕が寝てたら、起こさず体温計だけ置いて行ってくれたり・・・(笑)
結構、快適に過ごせていたのではないでしょうか・・・(笑)
そう言えば、友達に泊まって欲しくて「あ、彼は付き添いで従兄弟なんです」なんて言った事もありました。
バレバレなんですけどね!(笑)
198X 病院には看護婦さんは付き物。
仲良くなった人はたくさんいました。
若い看護婦さんは退院後、Liveにも来てくれましたね。婦長さんには色々厳しくされました・・・(笑)
中でも田中さんと言う看護婦さんがお気に入りでした。
当時は21歳位だったと思います。可愛かったんですよね、これが!(笑)
田中さんが見回りの時には遅くまで起きてて「早く寝なさい」から始まる会話を楽しみにしたり、朝の検温ではわがまま言ってみたり・・・(笑)
何か理由を付けて仲良くなりたかったんでしょうね・・・。
ある日、病室のDoorがコンコン・・・。
そこに立っていたのは看護婦姿じゃなく、私服を着た田中さん!
「どうしたん!?」
「仕事の帰りやねん、ケーキ!お見舞い!」
嬉しかったなぁ・・・。可愛かったなぁ・・・(笑)
退院して通院している間、田中さんを探したが彼女は見あたらなかった・・・。
仲の良い看護婦さんに聞くと「彼女、結婚して辞めたよ」
・・・(涙)
今は何してるんでしょうかね・・・?
たぶん、オバサンになってるんでしょうね・・・?(笑)







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