

| Blues、 それは遠くアフリカからアメリカ南部へ奴隷として 連れて来られた黒人達の魂の叫び |
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黎明期
奴隷労働のためにアフリカから連れてこられた人々が味わった辛苦と、わずかながら得られる心から興じた時間から生まれた音楽がブルーズである。過酷な綿花摘みの労働を癒すための労働歌が始まりとされ、デルタ地帯やメンフィスなどの南部からシカゴやデトロイトなどの北部へと広がって行った。
●デルタ デルタ地帯は、テネシー州メンフィス周辺からミシシッピ州ヴィックスバーグまで広がる肥沃な沖積土の大地で、ミシシッピ川とヤズー川にはさまれた場所にある。ここは長年、黒人の人口が白人の倍を誇る地域であり、人種差別と分離政策の土地であった。そして、悪名高き刑罰用居留区パーチマン囚人農場の土地であり、多くの貧困な黒人と、黒人よりほんの少しだけ裕福な白人小作農の土地でもあり、クー・クラックス・クラン(KKK)によるリンチと燃え盛る十字架の土地であった。
デルタ・ブルースは、堤防や綿畑という野外の労働の場で育ち、道路沿いの大衆食堂や貧民街で演奏されていた。もし彼らがレコーディングの機会を得ようとしたならば、メンフィなどの他の地域へ出て行くしかなかったのだった。謎に満ちた男・ロバート・ジョンソンもデルタを離れてサンアントニオやダラスでの録音であった。そして、ミシシッピ州インディアノーラで生まれたB・B・キングは富と名声を求めてメンフィスへ、次はシカゴへ、ついには世界へと出て行く以前の時代をこう振りかえる。・A夕暮れから夜明けまで演奏したものさ。喧嘩も度々だし、ひどい話、刃傷沙汰だってあった。たいていは女がらみでね。俺もあそこで1度は死にかけたことがあったね・・・・火事でね。大切なギターのルシールが灰になっちまったよ@
デルタ地帯では早い時期から、この地独特のスタイル〜ボトルネック奏法を確立していた。ガラスの瓶の首の部分や金属の管、ナイフなどを用いて、不気味な音質を創り出していたのだった。そして、このサウンドはマディ・ウォーターズによって究極まで発展し、この民族的な土着の音楽を、アメリカ南部の片田舎から、都会的なシカゴ・ブルースのサウンドに変えていったのだった。
●メンフィス ニューオーリンズとシカゴの真ん中に位置しており、ビールストリート、エルヴィスのグレ−スランド、サンレコード・スタックス・ゴールドワックスといったレコード会社、ブルース・カントリー&ウェスタン・ジャズ・ソウルといったさまざまな音楽を輩出したことでも有名な音楽都市メンフィス。アメリカを東西と南北それぞれに横切る軸の”交差点”であり、さまざまな種類の音楽が育つには十分な環境であった。B・B・キングはこのメンフィスを活動の拠点とし、また、彼の運転手兼付き人であったボビー・ブラントもソウルとブルースの境界線を越えて活躍した。そして、アルバート・キングも60年代後半になるとメンフィスにやってきて、スタックスから多くのヒット曲を世に出すこととなった。しかしその後、多くのブルース・マン達は一様にメンフィスを離れてさらなる大都市へと移って行くのだった。たしかに”交差点”というのは人がいつまでも留まる場所ではないだろう。テネシー、アーカンソー、アラバマ、ミシシッピ諸州の田舎から出てきた無名のミュージシャンが、しばらくメンフィスに留まって名声を築き、そしてシカゴ、ニューヨーク、ロスへと進出していったのだった。しかし、彼ら多くのブルース・マン達が残していったものは計り知れないのだった。
●テキサス
絶頂期