このページでは、J-POPに対する意見をあげて、それについて考えていきます。
画家と画商モデル(2)
| プロである以上、「お金」という問題はついてまわるものだと思います。逆にいえば、売上を無視して自分の理想ばかりを追い求めるミュージシャンはアマチュア的といえるのではないでしょうか?自分だけでなくスタッフやその他大勢の人をまきこんで音楽をやっているのですから、自分の理想と同じくらい売上は大事にするべきだし、そのためにタイアップをつけたり、TVに出たりするのは当然の行為なんじゃないですかね? (オリコンウィーク ザ・1番6月21日号より抜粋) |
前回は、この意見をアーティスト側の立場で見てきました。今回は事務所、レコード会社
の立場から考えてみます。
「画家と画商」モデルでは、画家は作品を作ることが第1であるが、作品が売れるか
どうかは考えた方がいいがやらなくても問題はない、と結論づけました。では作品を売ることは
誰が第1に考えるのか、といえばそれは画商でした。
事務所やレコード会社は作品を売らなければ倒産しますから当然売上を考えなければ
いけません。売れる見込みがたたないからアーティストに作品の変更を要求することは、
製品(作品)の質を上げて売りやすくするための当然の行為です。製作段階で、楽曲の
質をあげるためにダメだしをするのはいわば会社の権利なのです。
しかし、日本には過去に「アイドル黄金時代」と一般に称される時代がありました。この時代
以前からのアーティストと違い、「おニャン子クラブ」出身のアイドルは理不尽な販売戦略
の犠牲になりました。その戦略は「発売第1週で元を取り、同時に社会現象にするために
第1週で5万枚売れるように広報して、その後は無視する。そのときは次のシングルが
出るし、5万枚で十分利益は出る。だから、毎週毎週違う曲をプロモートして、1週間ごとに
出る利益を確実に捕らえよう。」というものでした。実際、その戦略はあたりました。小売業で
薄利多売といわれる方法を応用したもので、5万枚確実に売れるものを毎週出せるように
仕掛ければあとは簡単に事業化できる方法です。しかし、1週間で忘れられ(夕やけ
ニャンニャンの関係者にだけ重要である)、時代に全く残らないのが確実な曲を量産する
この戦略によって、アーティストは一気にテレビ界を追い出され、「アイドルはよくない」
というレッテルが残ることになってしまいました。そのため、それ以前からのアイドルだった
アーティストも悪い曲とされ、アイドル不毛時代といってもいい時期ができる原因になった
のです。
なお、おニャン子関係の曲は昭和60年9月1日発売の「涙の茉莉花LOVE」(河合その子)から
昭和62年5月21日発売の「かたつむりサンバ」(おニャン子クラブ)までがオリコン1位に
入っています。その数43曲(14組)です。この時期の1位は1週間だけで交代し続けるため、
まったく権威がありませんでした。また、あまりにおニャン子関係に偏った音楽シーンは
音楽番組からリスナーを離れさせ、シングルのセールスも縮小させました。(1985年の
セールス1位は70.3万枚「ジュリアに傷心」(チェッカーズ)、1986年は53.0万枚
「CHA−CHA−CHA」(石井明美)、1987年は42.3万枚「命くれない」(瀬川瑛子)でした。)
<以上の文は「オリコンNo.1 HITS 上下巻」(オリコン)を参考にしました。>
おニャン子はアイドルの価値を低下させ、音楽業界全体を地盤沈下させた元凶だと思っています。
しかし、それはレコード会社がそうさせる戦略を採用した結果であり、アイドル(アーティスト)
のせいではないのです。
どうも長くなりそうなので、次に回させてください。
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