このページでは、J-POPに対する意見をあげて、それについて考えていきます。
音楽批評の役割とその弱点
| 社会的にいって音楽批評は正当である。なぜなら一般の意識が音楽事象を適正にわがものとすることを可能にするのは音楽批評だけである。しかしそれにもかかわらず音楽批評は社会的な問題性にかかわりをを持つ。音楽批評は、新聞のような社会的統制を行ない経済的利害を持つ機関につながれている−これは批評家の姿勢に食い込んで出版業者やほかの名士達を顧慮させるにいたる関係である。そればかりではない、さらにそれ自体の内部で、明らかに批評の課題をますます困難にする社会的諸制約に屈してしまうのである。 (「音楽社会的序説」 Th.W.アドルノ著 平凡社ライブラリーより抜粋) |
「音楽社会学序説」という本は、アドルノがフランクフルト大学でおこなった講義を元に成立した
本です。本に現れる姿勢じたいは気に入らないのですが(流行歌に対してネガティブなイメージを
もっているようです)、時々鋭い言葉を残しているのです。この文はその1つで、音楽批評の
役割とその弱点を簡潔に述べたものです。
音楽は作者を含む誰かに知覚されて初めて何者であるかが規定されます。そのため、
作者にとっての作品の価値はリスナーにとっての作品の価値と違ってくる場合があるわけです。
作者は誰の手も借りずにその作品を知覚できるのですが、リスナーは批評家の目を
とおして見える作品像に頼るしかないわけです。それ故、音楽批評はリスナーにとって
いわばふるいとなるわけです。
しかし、音楽批評は少数の「社会的統制を行い経済的利害を持つ機関」によってこれまでは
独占されてきました。オリコンがいかに業界標準であろうともその中の音楽にはバイアスが
かかっているのです。しょせん1人の目には見えるものと見えないものがあるのです。
そのバイアスを取り除くことはできません。対処方法としては、数多くの批評が乱立する
必要がありますが、これまではそれによって商売ができる媒体は少なく、一方で商売としない
批評が存在する余地はメジャーな世界にはほとんどありませんでした。
インターネットは商売目的でない音楽批評が存在できる立地を与えてくれました。ここには
一機関の統制はおよびませんし、各自の良心に従って音楽批評が気軽にできます。
このページがみなさんの音楽像をバランスのとれたものにできる役に立てたら、
これほどうれしいことはありません。
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