私が聞いた意見(vol.13)

このページでは、J-POPに対する意見をあげて、それについて考えていきます。


音楽を研究することで

 流行曲が流行曲となるのは、背後に働くあれこれの操作のエネルギーを除くと、広く散逸しているいろいろな衝動を吸収する能力、あるいはそれらがあたかも存在するかのように虚構する能力によるのであり、広告そのままの歌詞の表現、特に大見出しのような表現はそれと無関係ではない。

(「音楽社会学序説」 Th. W. アドルノ著 平凡社ライブラリーより抜粋)

アドルノがドイツの状況を念頭に置いてフランクフルト大学でおこなった講義をまとめたのが

この本です。ここで、軽音楽という章をもうけて流行曲を論じています。全体の論調としては

流行曲は曲として芸術的でないのになぜ流行するのかという観点からかかれており、

私はその論旨には賛同できません。しかし、ときどき流行曲の構造を論じた部分には

賛同できる部分もあります。この引用部分はそのうちの1部分です。

 

流行曲は「広く散逸している」人生に対しての不満を「吸収」し、あらわにする能力があります。

それが虚構であってもあらわにする部分もありますが、おおむねわれわれの気分を代表

しているものです。したがって、「音楽を研究することで、それを聴いている大衆を研究できる」

という仮定が成立する可能性があり、そこにこのHPが存在する意義があると思っています。

 

もちろん、「真の世界像」などというものは存在しないものであり、追うのもばかばかしいものです。

しかし、我々は本来「真・善・美」を追い求める性向があるとニーチェ、キルケゴール、ハイデガー

達が宣言しています。私はそれを信じていますし、それを基盤とした良心や道徳の存在も

信じています。だからこそわたしたちは社会を築き上げることができると思うからです。

 

音楽を通して私は「私にとっての世界像」を日々発見しています。それが人生にどういう意義を

もたらすかはわかりません。しかし、試みる価値はあると思っています。


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