| 私の1970年代と音楽 |
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1970年以前(小学生)
兄の影響でビートルズ、ビーチボーイズ、モンキーズ他60年代のポップス、歌謡曲のレコード(ドーナツ盤)をポータブルプレーヤーで聞いていた、いや聞かされていた小学生時代でした。
1970年中半(高校生)
1970年後半(大学生)
1980年代前半(社会人)
1970年前半(中学生)
雑誌の付録にあった「禁じられた遊び」のレコードと楽譜で独学。ガットギターに触り始める。ポータブルAMラジオで深夜放送を聞きはじめる。ラジオ番組のテーマ曲にあったチェイスの「黒い炎」を聞いているうちにハードロックに興味が湧きはじめる。又、流行りの歌謡曲、ポップスも聞き馴染む。特にシカゴの「クエスチョンズ’67&68」は衝撃的であった。友達の間では歌謡曲が好きよりは洋楽を知っていることのほうが自慢になり、シカゴやチェイスにのめり込みはじめる。友達がシカゴのLPを買い、私は金がないのでシカゴの「クエスチョンズ67&68」シングル盤や4曲入りのLP(コンパクトLP)を購入。因みにギルバートオサリバンの「アローンアゲイン」は初めてのデートで買った想い出のレコード。他、サイモン&ガーファンクル、カーペンターズもヒットしていた。ミッシェルポルナレフはヒットメーカーでした。
クラシックギターは「アラハンブラの宮殿」で挫折、その後フォークのコードを覚えはじめ「花はどこ行ったの」他洋楽邦楽のフォークを聞く。当時「あのねのね」や「赤い鳥」がヒット中。中学3年の時、校内の卒業イベント時で初めて大勢の人前で友達ら3人で結成したバンドで舞台に上がる。その時に演奏した曲が「風に吹かれて」「春夏秋冬」「受験生ブルース」「おっさんの唄(あのねのね)」でした。
ある時、友人がエレキギターなるものを買いまして、それはもう衝撃的でした。ただ私のエレキギター第一印象は自分で弾いたが、「単なる音量が調節のできるフォークギターやん。ハードロックのレコードである、あの歪んだ音じゃない。なんで?」でした。でもそのエレキギターをきっかけにまもなく別な友人が今度はベースギターを買いました。こうなるともうバンド結成ですね。初のバンドは音楽好き仲間が大勢集まり、やっぱりフォークを中心に練習しました。私のパートは横笛でしたね。まもなくドラムも揃い、こうなるとハードロックバンド結成ですね。ギター担当が一人決まり、ドラム担当はもちろんドラムの持ち主が担当し、私は残ったベースに決まり3人編成でいきなり、グランドファンク、レッドツェペリン、クリーム、Dパープル、D.ブラザース、モントローズ、BBA、マウンテン、サンタナ、ジミヘン、ユーライアヒープ、オールマンブラザース、ロリーギャラガー、ザ・フー、J.ベックグループ、ブラック・サバスと大胆な選曲でハードロックにのめり込んでおりました。もちろん当時はスタジオなんてなく、コピー譜なんてなく、もちろん金もなく学校の先生にお願いして教室で練習してました。町民グラウンドでの練習は圧巻でした。
ベースギターに面白みを見つけたと同時に、フォークギターも買い、S&Gを手がけたり、井上陽水、かぐや姫、吉田拓郎、などメジャーはもちろん、中川イサト、加川良らのシコシコフォークにもはまったりしてました。ハードロックバンドだけでなく、フォークのアンサンブルユニットも結成したり、その頃からオリジナルにも興味が沸いてきました。音楽の仲間から又、友達の輪が広がり、興味を持つ音楽のジャンルや曲が加速度的に広がっていったのもこの頃です。
高校の文化祭では3つのバンドを掛け持ちしてました。当時QUEENがビートルズの再来と衝撃的デビューを果たし、QUEENだけのコピーバンドを結成(ベース担当)。サディスティックミカバンドのコピーバンド結成(ドラム担当)。そして、いわゆる洋楽ハードロック専門コピーバンド(ベース担当)と大忙し。今から思い返せばコピーじゃなく、なんとなく雰囲気ものまねバンドでしたが、とにかく大音量での迫力だけで元気があった頃でした。
大学入学後は軽音楽部に入部しハードロックを演奏したかったのですが、軽音楽部はなく比較的近いクラブ、カントリーウエスタン部に入部しました。案の定、部員のほとんどがロックやフォークを本当はやりたくて入部していると知り、結局形式上C&Wもやりながらせっせとロックをやってました。クラブ内ではいくつかのバンドに別れ、又楽器パートを掛け持ちしながら定期演奏会と大学祭とダンスパーティーのイベントがメインの活動でした。私のパートはほとんどベースギターでしたが、この頃からドラムも本格的に練習しておりました。
今から思うと当時が一番興味ある音楽の新しいジャンルを開拓した時代でした。ロックでは高校時代に経験した上記のロック以外にウイングス、スウイート、シンリジー、バッドカンパニー、ジェファーソンエアプレイン、ザ・バンド、CCR、スージークアトロ、マーシャルタッカー他。日本ロック系ではクリエイション、カルメンマキ&OZ、上田正樹等々。又、R&B系にも手をつけ、サム&デイブ、キング系、ジェイムス・ブラウン等です。後、ブラックファンクディスコ系もやり始めミラクルズ、E,W&F、ブラザースジョンソン、チャカカーン、アベレージ・ホワイト・バンド、ビージーズ等々です。他ジャンルではD.サンボーン、スティーリーダン等、他忘れました。当時一番の良い経験はオリジナル中心のバンドなのですが、そのバンドは歌が本職でない、逆に歌の下手な某芸能人のバックバンドをしていた想い出です。友人の紹介で、ドラムとして加入。大阪千里にある某放送局のコネでいつのまにやら芸能人(?)。ラジオにテレビにコンサートまで色々経験しました。ちなみにほぼ同期でデビューしていたのが「もんたよしのり」でした。LPレコーディングは予算がないんでスタジオに客を入れ、ミニライブとして録音。わずか3日で完成。ええ加減なレコーディングやな?とつくづく思ってた。仕事がらいろんな有名芸能人と会えたのがすごかった。あこがれの岩崎宏美さんとはほんの1メートル前まで接近したし。そんな1年。結局、就職活動に入り脱退。
就職してからは会社の軽音楽同好会に入会。この頃は邦楽歌謡曲等が中心です。山下達郎、ユーミン、高中正義、エポ、杏里、吉田美奈、大橋純子、大瀧、サザン等々。