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片隅ミュージック日誌

くるり「青い空」

 

1999.7.10

片隅ミュージック日誌・・・くるりの放つ「そら と 風景 と 違和」

■「非確信的〜」始まってから、初めての音楽ネタ!テーマは、くるり!
 ところで くるり、8月25日に3rdシングル「青い空」がリリースされます!
 で、私この新曲をラジオで聴きました。バシっと来ましたぁ!すごいぞ、くるり!

■と、いうことで「青い空」発売〈決定〉記念と、私が15歳になった記念も含め(なんでじゃい!)くるりについて独り言します。独り言りまくります。熱を込めて!

■くるりを最初に聴いたのはNHK-FM「ミュージック・スクエア」。限定デモCD「もしもし」から「東京」がかかっていたのでした。その時の私の第一印象が、まあなんとも失礼な事に「・・・エレカシっぽいかも・・・・?」でた。よく聴けば、全然違うんですがとにかく「なんとなーくエレカシにかぶる?」とか思ったのでした。その後、某雑誌のディスクレビュー欄で誰かが同じような事を書いてたのを見かけましたが。

■その後くるりはメジャーデビュー。「東京」「虹」と名曲シングルがラジオでガンガンかかっているのを聴くうちに、私はいつの間にやらくるりの ねじれていて そして確かすぎる 風景にずるずるずる、と引きずり込まれていたのでした。

■そして、ファーストフルアルバム「さよならストレンジャー」発売。岸田さんはテレビで、このアルバムを「(実力の?)15%しか出してない」と言い切られましたが、その15%には、大きな大きな感動がつまっていたのでした。

■いや、「感動」では陳腐すぎるけど。それだけじゃすまないから凄いはずなのだ。私がくるりの歌に感じている事は、「確かな風景」と「ぽっかりと僕らの頭上に存在する、大きなそら」。ギターをガンガン鳴らすナンバーでも、アコギ中心の情緒的なナンバーでも、そこには、すごい密度で リアルな風景が広がっているのです。そしてそれは僕らの心にリンクして、とめどなく心を打つのです。ホント「風景って共有できるものなのか」とか思っちゃったもん。まじで。ははは。

 そして、どうにもならないもの を抱えている、僕らの上にあるぽっかりした「そら」。
 絶対に存在している「そら」。巨大な「そら」。「東京」には特に、強い強い「そら」を感じて、私の心は引き付けられたのでした。くるりの歌には(多かれ少なかれ)「そら」が存在している。それは、曲を作っている岸田さん自身が、巨大な「そら」を抱えていると言うべきなのかも、しれない。な、なぁんて。変な笑顔でゴマカす感じ。ははは。

■そして、待望の3rdシングル「青い空」。これが。なんか、さわやかなタイトルっすねぇ。でも。まだラジオで聴いただけなので、完全な歌詞はわかりませんが(だからちょっと不安なんですぅ・笑)

「こんなことは言いたくはないのさ こんなことは言いたくはないのさ
何かが違うと考える頭は真っ白に  何かが違うと考える頭は真っ白に」


 ・・・こんな歌詞が、サビで繰り返される、ハードなロックナンバーが、「青い空」。それは「東京」「虹」の「日本的、情緒的」な、どこかじんわりとした感じを持つ「そら」とは全く違う強烈な「違和」を放つ、「そら」。
 大体、「さよならストレンジャー」で、「心から ありがとう   紫陽花に同情 流し込む」(タイトル曲)とかいうような、風景的(って言葉あるのだろうか)・情緒的で、器用な歌詞を書いていた岸田さんの詞世界を考えれば、「こんな事は言いたくないのさ」「何かが違うと考える」なんて、不器用すぎる言葉だと、思います(思いません?)が、この曲はそんな歌詞が何回も繰り返されるのです。だから、くるりのイメージ=「東京」だった人達には、「えっ?」というふうに聞こえる曲なのかもしれません。でも別なところで、この曲は切なくて、心に「くっ」と来るんです。
 いや、とりあえず私は「くっ」と来ました。はい。
 お風呂掃除しながら、何度も口ずさんでる間に。(笑)

 とにかく岸田さん、軋轢まくってらっしゃるようです。その黒ぶちメガネの裏側には強烈な「違和」がきっと!(決め付ける)
 これから、すっっっごい楽しみです。はい。

■というわけでくるりについて独り言りまくってみました。今回はちょっと、マジメっちゃったかもしれません(笑) まあ、そんなこともあります、ダメなときもまたあります(笑) でもよろしくです。
 でもやっぱり言葉は難しいさ。ね。ははは。