●アルピーヌ・ルノー・A110
 ~ フレンチブルー ~

【写真01:A110】
青が鮮やかなこのクルマ、アルピーヌ・ルノー・A110といいます。
1960年代のラリーシーンを駆け抜けた名車です。


序章
 昔、フランスのあるサーキットの片隅でもの思いに耽る1人の青年レーサーがいました。
 彼のクルマ、ルノー4CVは小型で高性能なクルマでしたが、大衆車である4Cは優秀なレーサーだった彼にとって、満足できる性能ではなかったのです。
  彼は思いました。「もっと速く走りたい。それができるクルマが欲しい。」
 不思議なことに当時のフランスにはスポーツカーがなかったのです。

【写真02:ルノー4CV】 
750ccの小型大衆車ではありますが、1945年のモンテカルロラリーで優勝、ル・マンにも出場した高性能車で、50万台も生産されました。A106のベースでもあります。ちなみに日本の日野自動車でもノックダウン生産されていました。

 それにはこんな理由があります。
 第二次世界大戦のとき、フランスはナチスに占領され、国はひどく荒廃しました。
 戦争が終わり、フランスはファシストから解放されましたが、そのよろこびの後には国の復興という大仕事が待っていました。
 けれど、まさかそのことがフランスの自動車業界をひっくり返すことになろうとは誰が予想したでしょう。
 というのは、国の復興のためにモータリゼーションを一般市民まで普及させることが必要、と考えたフランス政府は、15馬力以上の高級車/高性能車に重税をかけて事実上作るのを禁止し、一方、大衆車メーカーを国営化し優遇したのです。
 結果として、プジョー、シトロエン、ルノーといった大衆車メーカーは躍進したのに対し、戦前、世界中にその名を轟かせたブガッティやガルボといった名門自動車メーカーはその栄光とともに歴史から姿を消してしまったのでした。


アルピーヌの設立
 そんな時代であっても、モータースポーツマインドを忘れない人々は大衆車を改造するなどしてレースをしていました。

 前述のレーサーもその1人。名はジャン・レデール(レデレ?)。1922年5月17日、港町ディエップの生まれ。
 モータースポーツを愛する人々にとって厳しい時代であっても、彼はもっと速く走りたかったのでしょう。なのでこう考えついたに違いありません。
 「速いクルマがないなら僕が作ってやる。ルノーのエンジンはそのままでも、車体を軽くすれば性能は格段に上がるはずだ。」

 彼はもともとルノーのディーラーでもあり、大きなコネのあったルノーの支援を受け、ルノーをベースとしたスポーツカーの生産・販売を新たな事業としてはじめたのです。それが「アルピーヌ」という会社でした。(ちなみに1973年にルノーのレース部門として吸収されています。)


アルピーヌ、最初のモデル
 レデールは、アルピーヌの最初のクルマに自分のレーサー経験で培ったレ-スで勝つための様々な工夫を盛り込みました。
 専用設計のバックボーンフレームと合成樹脂製のボディで徹底した軽量化を図り、さらにジョヴァンニ・ミケロッティに依頼して、この軽量ボディにスマートで魅力あるデザインを与えました。
 こうやって1955年に完成したアルピーヌA106“ミッレミリア”(イタリアの有名なレースの名前)の試作車は、国内外のレースで活躍し、1956年に生産が開始されました。
 こうして、軽量化したボディと専用フレームに、ルノーのランニング・ギアの流用とRRレイアウト(※)というアルピーヌのコンセプトが確立したのです。
【写真03:アルピーヌA106】

アルピーヌ初めてのモデル、A106
このときすでに、合成樹脂製ボディ、RRレイアウトなど、A110へ繋がるコンセプトが完成していました。

※:RR=リアエンジン・リアドライブ
車体後部にエンジンを載せることで動力伝動系統の簡略化と軽量化、そして後輪トラクションの確保を図るレイアウト。前後の重量配分が偏る欠点がある。そのため、空冷エンジンだった頃の小型車で良く採用されたが、機器類が複雑になり重くなった現在ではあまり使われない。
代表的なのはポルシェ911、フォルクス・ワーゲン(ビートル)、スバル360など。


A110誕生!
 A106以後もルノー車の変化と共に、アルピーヌも進化していきます。
 1961年のトゥール・ド・フランスとトゥール・ド・コルスでクラス優勝を勝ち取ったA108を経て、1963年、新型車ルノー8をベースにした新しいアルピーヌが誕生します。

 それが、傑作「アルピーヌ(・ルノー・)A110」です。


【写真04:アルピーヌ A108】【写真05:ルノー 8】
すぐにA110へ移行してしまい、あまり数はなかったようです。A110のベース。グリルレスの顔が斬新。
 
【写真06:A110】
迫力のオーバーフェンダー、よく似合ってます。


高いポテンシャルと戦闘力
 A110のコンセプトとデザインの根幹はA106から受け継いだものですが、それだけにその熟成と洗練は究極まできたと言っても過言ではありませんでした。
 その証として、このクルマは1977年までマイナーチェンジがくり返されながら生産が続けられ、主にラリーで大活躍しました。特に第一回世界ラリー選手権やモンテカルロラリーでの勝利が有名です。
 この小さな美しいクーペがワインディングロードのコーナーを小気味よくクリアしていく様に、人々は惹き付けられました。

 さらにエンジンの排気量も最初の956ccから年ごとに増加していきます。
 デビューから3年後の1966年には「チューニングの魔術師」と言われたアメディ(アメデ?)・ゴルディーニが手掛けたエンジンを搭載した「1300S」が登場。これはわずかな排気量アップにもかかわらずオリジナルの2倍近いパワーを獲得していました。
 そして排気量は最終的に1600ccまで拡大されました(レース仕様として1800ccもある)。
 A110は軽量でしたのでパワーウェイトレシオで見るとライバルと戦えるだけの十二分なパワーであったであろうと思われます。

1963年(956cc):75ps / 6500rpm
1966年(1296cc):120ps / 6900rpm
1970年(1296cc):132ps / 7200rpm
1977年(1606cc):140ps / 5000rpm

 それにしても、これほどパワーを増大させてもクルマとしてトータルバランスでの破綻を来さず一級の戦闘力を維持し続けたという事実は、このクルマのボディのポテンシャルが非常に高かったということを意味しているのかもしれません。


【写真07:モンテカルロ・ラリー】
1971年、優勝したモンテカルロラリーでの1コマ。雪のアルプスを下るA110。このクルマの特長がよく出ている写真です。
A110は小型軽量ボディとトータルバランスの良さからもたらされた速いコーナリングにアドバンテージがありました。
それにしてもA110は雪道が似合うラリーカーだと思います。きっとこの写真のように路面を滑るようにして駆け抜けたのでしょう。


その後
 A110には当初、4座席のものやカブリオレもありましたが、その本質はあくまでもレースを目的としたレーシングカーでした。
 当時はラリーレースと言えど一般車両を改造するのがほとんどでしたので、A110が非力ながらも多くの勝利をおさめることが出来たのも、レースを目的に創意工夫を重ね、余計なものを削ぎ落とした結果と言えましょう。
 しかし、レースの世界にも創意工夫だけで勝てる時代は過ぎ、それに加え資金やハイテクがものを言う時代がやってきます。
 A110以上に「ラリーに勝つ」ことだけを目的として創られたクルマ、ランチア(イタリア)の「ストラトス」が1972年のツール・ド・コルスでデビューしたのです。

【写真08:ランチア ストラトス】
1970年代のラリーシーンを代表する勝利のためだけに生まれたスーパーマシン。

 専用設計の超軽量小型ボディにフェラーリ・ディーノ246GTのV6エンジンをミッドシップレイアウトしたスーパーマシンはその後のラリー界を席巻しました。
 そして、ラリーの主役はメーカーの資本力を背景にしたハイパワーマシンになっていきます。
 アルピーヌもその後、A310、V6ターボ、A610などのハイパワーモデルを出しましたが、それらはそれまでのアルピーヌの趣とは一線を画すものでした。
  アルピーヌの受け継いできたRRレイアウトは小型車のみに適しているもので、大パワーを生み出すための大きなエンジンの搭載には向かなかったのです(ポルシェですらラリー用のMRマシンを作っています。)。
 時代はもはやアルピーヌを必要としていませんでした。
 今ではルノー内部にも「アルピーヌ」はありません。ルノーの一工場として面影を残すのみです。

 古き良き時代、そう言ってしまえばそれまでかもしれません。
 しかし、強さと美しさの見事な調和があった時代、その代表たるこのマシンを人々は永遠に忘れないでしょう。


【写真09:A110】
僕はこのA110が雪のアルプスを駆け抜けていくのを想像するのが好きです。



LAST MODIFIED : 11/MAY/2005
ON SET :9/JAN/2003