私の日記です

  • エー4 エドワードヴァンヘイレン
    たぶんクラシックギターならいざ知らずエレキギターを弾く人でこの人の名前を知らない人はいないでしょう。
     ジミヘンドリックス以来のギターの革命児と言われています。
    それは彼がライトハンド奏法という左手の運指にプラス右手という5本目の指を取り入れたからです。親指で6弦、5弦あるいは4弦まで
    押さえるギタリストもいるらしいので6本目の指という事もできますが普通の感覚では5本目ですね。

     それにより今まで不可能だったフレーズができあがったわけです。
    78年(昭和53年)のデビューアルバム「炎の導火線」の2曲目の「暗闇の爆撃」の後半で聴かれる♪タリラ タリラ タリラ タリラのあれです。
    ラの部分が5本目の右手の人差し指でフィンガーボードを押さえる音なのですがこれによる速弾きはかなり強力なインパクトがありました。ある雑誌では当時フレットオンなどとも書かれていましたが今では総じてタッピングと呼ばれるようになり極普通のテクニックになりました。

    しかし右手をフィンガーボードに持っていくと「エディのまねだ!」
    と言われることはアームをグニョグニョさせると「ジミヘン、リッチーの真似だ!」と言われるより多いと思って間違いありません。
    それほど強力なインパクトのある技だったのです。

     これを初めて聴いたスティーブルカサーは悔しくて眠れなくなりこれは絶対醜い太ったギタリストが弾いているに違いない!きっとキャンドヒートのギタリストみたいな奴だ!」
    と勝手に想像していたという話があります。
    またリーリトナーは「あれはもともとクラシックの奏法であったものだ。決して彼が考えたものではない」と言い自らは指のかわりにピックで押し弦し「エディはまだ指をつかってるの?」などと言っていました。

     その後この奏法はナイトレンジャーのジェフワトソンが8フィンガーなる右手も4本使うといった風に発展させさらにジャズ系のスタンリージョーダンのフィンガーボードをまるでピアノの鍵盤のように両手で押さえて弾くといったまさに冗談みたいな、だったら最初からピアノ弾けよ!といったような奏法ができあがったわけです。
     今ではさらにこの奏法は複雑になりスティーブヴァイなどはもう向かうところ敵なしそこのけそこのけ状態です。

     エディが最も影響を受けたのはエリッククラプトンだと言っておりそれを聴いたクラプトンが「じゃなんでブルースをやらないんだ?」
    とか言ったらしいですがクリームの頃の延々とソロをやるクラプトンに影響を受けていたのでしょう。当時クラプトンほどのテクニシャンはいませんでしたから。

     最後になりますが
    エディは1957年の1月26日にオランダで生まれ私はそれから10ヶ月後の11月26日に日本で生まれました。エディが10代で最初に手にしたギターは日本のテスコでしたが私も10代で最初に手にしたアンプがテスコでした。干支が酉年で同じ?なのでなんとなく親しみがあります。もしかしたら酉年なのでハミングバードピッキングが上手いとか・・・・な訳ないか。
2001年03月23日 23時30分09秒

  • エー3 エマーソンレイク&パーマー
    「ジョンロードはバッハをやってれば弾けるけど、エマーソンはカントリーを知らないとダメ。」インターネットのプロバイダ関連の仕事をしていた知人のところに遊びに行ったときそこに居た女の人が答えた。

     会社の中には3〜4台のパソコンとともに知人の古いシンセサイザーが何台もあった。
    「パープルの手伝いとか、ポップスとかいろいろやったわ」
    知人の新しい女かと思いながら歯並びがちょっとと思いながら私は彼女の話を聞いていた。

     私が高校生の頃シンセサイザーなどは高くて普通の人はなかなか買えなかった。まだシンセでは和音が弾けなかった頃だったはずだ。それでも何十万円もした記憶がある。知人と彼女とはどうやらそのころの知り合いで何年かぶりに町で偶然会いつきあっているらしい。
    知人は確か離婚してまだ日が浅かったような気がする。
    ELPのベストを聞きながらそんなことを思い出した。

     彼女の言うとおりELPにはカントリータイプの曲がある。
    キース・エマーソンの軽快なタッチは気持ちよいしカールパーマーの乾いたスネアの音も心地よい。たとえば「Hoedown」とかだ。

     ELPはキーボードを前面に出した後は基本的にベースとドラムのトリオなのだが私はグレッグ・レイクの声とギターが好きである。
    「フロム・ザ・ビギニング」とか展覧会の絵の「賢人」のアコースティックギターはただ者ではない。こういうのをサラッと弾けるのがやはり70年代の強者なのである。

     今はぱっとしないようだがキースエマーソンはこう言っている。
    「昔はミュージシャンには演奏技術がなければなれなかったが今はそれがなくてもなれるようになってしまった。」
    演奏技術よりもテクノロジーがものすごい進化をしたのである。
    だが果たしてプログレッシブロックは進化したのだろうか。

     余談だがELPは本来エマーソンレイク&パーマーだがエマーソンレイク&パウエルの時もあった。パウエルとは自動車事故で亡くなったあのコージーパウエルだが略すとELP。それにサイモン・フィリップスも候補に挙がったことがあるらしい。フィリップスも頭文字がPなのでこれもELP。
     エマーソンレイク&パウエルのCDを持っているがボーナストラックでやっているスタンダードのロコモーションが気持ちよい。
2000年09月09日 10時05分28秒

  • エ-2 遠藤ミチロウ
     日本のバンドの名前で勇気があるなぁというかすごいなぁと思ったのが1980年(昭和55年)に遠藤ミチロウが30歳で結成した「スターリン」それに今はDJとして活躍する赤坂泰彦のいた「東京ジャップ」だった。

     スターリンは今は国家としては存在しないソビエト連邦の指導者の名前で大粛清を行った人物である。1945年8月「日ソ中立条約」を破棄し太平洋戦争で敗戦が決定的な日本に宣戦布告した。

     東京ジャップのジャップは太平洋戦争当時の米国の日本人に対しての蔑称である。(村上春樹の本「やがて悲しき外国語」の中に村上春樹がアメリカでのディナーに呼ばれた席で同席の白人がジャップと発言し一座が静まり返る記述がある。アメリカ人が神経質になる言葉だ。)
    二つともバンド名によくしたなぁと思ったものだ。

     東京にいたころよく通っていた飲み屋にパンクが好きな栃木県の鹿沼市出身の女の子が来ていてスターリンとかリザードの話をよくしていた。音楽の話よりも彼女は決まって熱狂的なステージの話をしていた。私は話を聞きながらステージはほんとにすごいんだなと思っていた。(例えば汚物を観客に投げるとかという話だったような気もするが、もしかすると本で読んだ話と混同しているかもしれない。)

     イギリスから発生したパンクという音楽のスタイルは「こんなのもやっていいんだ!」と若者に勇気を与えてくれたのではないかと思っている。
    実際、難しい曲を下を向いて中途半端に演奏されるよりも、3つのコードのバックでガンガン上を向いて言葉を発してくれたほうがわかりやすい。

     私はスターリンの曲でよく覚えている曲はない。
    遠藤ミチロウがなぜスターリンと言う名前をバンド名にしたのかもよくわからない。
    記憶にあるのはそのめちゃくちゃなステージングを伝える写真でありその名前である。

     渋谷陽一は著書「ロックは語れない」の中でロックを聴くときのひとつの判断基準にしているのが音の中にマゾヒスティックな臭いがあるかどうかと言っている。
     「遠藤ミチロウは日本で最もマゾヒスティックなミュージシャン」とも語っているのだが今は一人でライブハウスを回っているらしい遠藤ミチロウは今でも昔の歌を歌うのだろうか。セックスピストルズは「金のため再結成した!」としょうもない言葉を口にしたが、いつまでも変わらないでいることは肉体的にも精神的にも確かに難しいことだ。
2000年07月30日 17時41分10秒

  • エー1 エリック・クラプトン
    「ベックは名誉を手に入れペイジは金を、そしてエリックはその両方を手に入れた。」
    誰かが語った言葉だ。

    「だが他にも手に入れたものがある」
    Mが言うのだった。

    「家か農場か?」昔聞いた話だが、GFRのマークファーナーは農場を買ったらしいし、ボヴ・ディランは庭を馬で走り回っているらしい。
    しかしそれを聞いたのは確か20年も前なので今はわからない。

    「女だよ」Mが言う。
    「女にもてたいからギターを弾くとかバンドをやるのが結構いる。元アリスの谷村新治とかはTVで公言しているし、彼は小川知子とのデュエット曲のプロモーションビデオで彼女の胸元に後ろから手を差し込んだりしているだろ。それにロッド・スチュアートは金髪好きで、セックスの嫌いな男はいないだろ?と語っているし」

    女が好きなのは男の真理?で別にギターとかバンドとかは関係ないだろうと思う。

    しかしそれはともかくベックやペイジが女に入れあげていたかはわからないがエリックはわかる。有名な曲「レイラ」はそれを歌ったらしい。
    エリックが女と写っている写真がある。
    写真1
    写真2


    「クラプトンが売れたのは神様と言われたギタープレイ、自作曲も含めた楽曲の選択のよさ。
    それにレコード会社を含めたブレーンのよさ。そして彼の顔が重要だ。」
    Mにいわせるとクラプトンのルックスが売れた原因の一つであると言うことだ。

    2000年のグラミー賞で9部門を制したカルロス・サンタナが言っている。

    電話がきて
    「エリック・クラプトンだけど僕が君と一緒にプレイするスペースはまだ残っているかい」
    サンタナはぶったまげて頭がクラクラしたそうだ。共演したことはあるが自分のアルバムで演奏してくれるとは思っていなかったのだろう。「僕らにとってみればクラプトンは神様のような人物だ。
    ジミ・ヘンドリックスが初めてロンドンへ行ったときの開口一番が、クラプトンはどこだ!だからね。僕はもうファン丸出し。偉大な人物には今だにこうだ」

    ギタリストの呼び名は多々ある。

    リッチー・ブラックモアはマエストロ。ジョン・サイクスは殿。
    イングヴェイ・マルムスティーンは王者。スティーヴ・バイは奇才。
    マイケル・シェンカーは神。

    天才となるとこれはかなりいるようで日本ではチャー。
    ジミーペイジもそう。ベックは孤高の天才とか言われていたような気がする。他にギターの革命児ヴァン・ヘーレンとかがある。
    いずれも日本での称号なのだが(と思います。)
    クラプトンの「神様」だけはワールドワイドといっても恐らく差し支えないでしょう。

    クラプトン・イズ・ゴッド
2000年06月18日 12時47分53秒

  • ウ-4 うじき つよし
     音楽をやっていたのに俳優やタレントへ転向した人はそれなりにいる。
    例えばツイストの世良公則。福岡出身でロッカーズをやっていた陣内孝則。ARBの石橋 陵も一時期亡くなった松田優作の意志を継ぐべく役者宣言をしたが今はARBに戻った。後はクールスの舘ひろしとか。もっと古くはGSの萩原健一とかだ。うじきつよしも子供ばんどというのをやっていた。担当はギターとヴォーカル。

     ツイストの世良はヒット曲もありクールスもそれなりに売れた曲があるが上に上げた中で最もハードロック寄りの路線を歩んでいたのが子供ばんどだった。リッチー率いるレインボーの前座を務めたこともある。

     うじきつよしが昔ハードロックのばりばりで頭にミニアンプを載せるステージングをしてたとか、タモリのテレフォンショッキングにその格好で出て歌を歌ったと知っている人はどれくらいいるでしょうか。

     元々MCが上手く定評があったらしく、そのキャラを買われて芸能界でもたくましく生きているようだ。ハードロックやヘビメタに妙に意固地になり過ぎなかったのがよかったと思う。1981年に発表された子供バンドのセカンドアルバムをQ盤で持っていますが、ハードロックの中に適度なユーモアとポップさがあります。

     ジャンピン・ジャック・フラッシュをやっていますが歌詞は

    ♪おいら風邪の吹く晩に生まれた〜 俺のかあちゃんアル中で でもITS ALL RIGHT いい気なもんさ〜

     歌もいい気な風に歌ってます。
    しかし昔はバンドを(ロックに近い物)を生業にするのはほんとに大変だったようです。芸能界デビューは確か映画の2.26事件の青年将校の役でした。
2000年06月12日 21時26分06秒

  • ウ-3 内田祐也
     もしかしたらミュージシャンではなくプロデューサーか俳優という捉え方をしたほうがいいのかもしれない。
     しかしコンサートのトリで出てきて「ジョニー・ビー・グッド」を歌ったりするのをTVで見たことがある。もっともその1曲しか歌わなかったりするのだった。

     日本のロックに対して非常に思い入れが強く70年代始めフラワートラベリングバンド(ヴォーカルはジョー山中で他に後でトランザムに在籍したギターの石間秀樹などがいた)を連れてカナダへなぐり込みそれからだいぶ後にウドー音楽事務所にもなぐり込み傷害事件を起こした。
    その理由が「日本のロックミュージシャンにもっと活躍の場を」ということだったと記憶している。

    80年頃だったと思うがある時彼が主催していた浅草の大晦日のロックフェスティバルをTVで見ていたら黒模様のトレンチコートだかオーバーの着込みで出演ミュージシャンを激励して回っていた。

     そしてJAYWALKのメンバーに言った。「JAYWALKってジョニーの歩みか?」
    おそらく頭の中にはチャックベリーの「ごーじょに・ごーごー」があったのだろう。JAYWALKのメンバーはコワモテ風の内田祐也に多少ビビリながら「信号機の事です。」と答えたのだった。「あっそう」みたいな感じで彼は
    また他のグループを激励していた。

     樹々希林と結婚したのが以外だったのだが結婚したときかまやつひろしがインタヴューで答えていた。
    「たぶんうまくいくと思うよ。ほら二人ってさ、みているとジョンとヨーコみたいじゃない。」私はいくらなんでもそのたとえはないだろと思ったのだった。その発言はジョンよりもヨーコに比重をおいて聞こえた。

     かつて一緒に暮らしていた島田楊子のヌード写真集の事で加納典明がおばさんのヌードなんか見たくないみたいな発言をした時、激怒しこれまたコワモテの印象が強い加納典明が「すいません」と間接的に謝ったと言う話もあるし萩原健一(ショーケン)が日本のロックをダメにしたのは内田祐也という発言をした時もあった。
     これに対して内田祐也は「仲間だと思っていたのになぜ?」という趣旨の発言をしている。
    京都からタイガースを東京に連れてきたのも内田祐也らしい。
    ジュリーは浅草のステージにも確か立っているはずだ。

     日本のロックの世界のドンとはいかないがミッキーカーチスと内田祐也はロックが全く売れない時代にロックを育てようとしていた事は私にもわかる。彼は還暦をむかえたような気がする。あまり金の臭いのしない人である。
2000年05月16日 21時06分44秒

  • ウ−2宇崎竜童
    私にとってはやはりダウンタウンブギウギバンドの印象が強い。
    メンバー全員白いツナギを着て「スモーキンブギ」をヒットさせた頃バンドについて宇崎はたしかこう言った。
    「キャロルは60年代の影響(ビートルズ)。でも俺たちは50年代(エルビス)からだ。」

    当時キャロルは革ジャンにリーゼント。そしてダウンタウンもリーゼント(一部違う人もいたような気がするが)そして白ツナギに手書きで胸に名前を書いていた。
    どちらもいわゆる外見は「ツッパリ」で当然その手の少年に受ける。

    ダウンタウンブギウギバンドの格好は革ジャンを高くて買えない連中に救いの手を述べた。
    私の回りでも布のツナギを着る車好きの連中がいたし、集落の青年団の連中がクボタだかヤンマーだかの農機具メーカーのツナギを着てサングラスをかけほうきを持ち「港のヨーコ ヨコハマヨコスカ」を盆踊りの催しでやり喝采を浴びていた。

    キャロルの矢沢永吉がカリスマ的だったのと比べれば宇崎竜童は何となくどっか庶民的だったのである。どちらも抜ければバンドが成り立たないのは明らかだったが。

    私が東京で出入りしていた店に宇崎竜童の双子の甥っ子が来ていたが
    話を聞いていると宇崎はいわゆるツッパリとは全く無縁で人のいい普通の人だという事だった。
    「サクセス」とか「「シークレットラヴ」とかはいい曲だと思う。
2000年04月16日 20時08分24秒

  • ウー1 ウルリッヒ・ロート
    かなり昔 ♪ロート〜 ロート・ ローートという女性のコーラスが入る胃腸薬のパンシロンで有名な製薬会社のTVCMがあった。

    確かビルの屋上に広告看板がありその周りを鳩が飛び回りそれに女性のコーラスが重なるというものだ。クライアント名を全面に出したCMで何の番組の提供をしていたのかは記憶にないがもしかしたら日本TVの「そこぬけ脱線ゲーム」だったか?

    もちろんこれから書くウルリッヒ・ロートとは全く関係あるわけはなく、ただ「ウルリッヒ・ロート・セイヤク」という詰まらぬ言葉が浮かんだけである。

    ・・・・・・
    ウルリッヒ・ロートはウリ・ジョン・ロートと最近は言われているらしいが1973年から78年までスコーピオンズのリード・ギタリストを勤めた。

    彼は日本人が好きないわゆるヨーロッパの「哀愁系の流れるメロディライン=哀メロ系」のギタリストである。マイケル・シェンカー、イングヴェイ・マルムスティーンが好きな人は気にいるかもしれません。

    ジミヘンドリックスに傾倒し、ジミの最後の恋人と言われた女性と同棲していた。
    サウンドは「洗練された繊細なジミヘン」と言う感じで歌もなかなかよい。ジミと違いおそらく麻薬はやっていないでしょう。(哲学的な顔立ちである。)

    「スカイ」と呼ぶ34フレット〜37フレット(不確かです。)もあるようなギターをジミヘンのトリビュートコンサートで使っています。
    79年発表の「天地振動」81年の「ファイヤーウインド」が96年にCD化されましたが
    新品でどちらも1000円で手に入れました。
2000年03月14日 20時44分41秒

  • イ-8 井上堯之
    昭和40年代のグループサウンズ(GSと略されます。)の時代から今現在まで活躍している「ミュージシャン」と聞かれた場合私が思い浮かぶのはヴォーカルの沢田研二(タイガース)それにギターの井上堯之(スパイダース)今はビックバンドを率いるギターの三原綱木(ブルーコメッツ)後はCharとピンククラウドをやっていたベースのルイズルイス加部(ゴールデンカップス)くらいだ。
    他に堺正章とか萩原健一とかもいるが彼らはタレントである。

    井上堯之の井上バンドはあの「太陽にほえろ」の音楽や「傷だらけの天使」の音楽を担当していた。
    沢田研二のバックバンドも勤めていたが、私が生まれて初めてカラオケで歌った曲は彼のギターのイントロが印象的な沢田研二の「時の過ぎゆくままに」である。沢田研二がジュリーと呼ばれていた頃「危険な二人」とか結構イントロのギターが印象的な曲が多かった。(もう一人ギターがいたと思うが名前が思い出せない。速水だったか?)

    彼は人気絶頂のジュリーのバックバンドをやめるときジュリーから相当哀願されたらしいが後のバックバンドは責任をもって探すからと言い自分を押し通したらしい。恐らくあの手の音楽に自分自身がついていけなくなったのだろうと思う。

    ブルースが好きで、夜になると昔演奏したスローブルースのテープを何時間も独りで聞いていたとか言っており何となく暗めなのである。

    79年に「オン・ザ・ボート」というソロアルバムを出している。
    2500円のこのレコードを当時22歳の私は買った。

    今思うと不思議なのだが何となく渋めのレコードが欲しくそういう気分に浸りたくて買ったのだろうと思う。女と暮らすか暮らすまいか迷っていた頃だ。
    レコードに針を置いて聞いているとこれは暗いなぁ。失敗したかなぁと思った。

    ロックミュージシャンが作ったのではなくフォークシンガーが作ったような詞と曲が多かった。
    「歌わない男」「どうしょうもないよ」「ひとり祭り」「帰ってくれ」何となくタイトルから想像できるとは思うが彼の渋めのギターを期待していた私はギターがあまり出ないその内向的な世界になんとなく引きずり込まれそうになっていったのである。

    今再びジャケットを開き歌詞を読むとやはり暗いというかせつない。聴いてみたいなぁと思う気持ちもあるがアナログプレイヤーが手元にないのが過ぎた時代なのだなと思ったりする。
2000年02月26日 23時31分48秒

  • イ-7 イーグルス
    タイガース、ジャガーズ、オックスという動物の名前をつけたGS(グループサウンズ)が
    昭和40年代にいたわけである。

    それから思うとGSのB級、C級、それにコピーバンドも入れたら恐らく誰も知らなかったかもしれないが実はどっかに鳥の名前をつけたイーグルスと言うバンドが存在していたのではないか?

    ホークスというプロ球団もあることだし。亡くなってしまったが元ガロの日高富明はフェニックスと言うバンドをガロの解散後にやっていたし。

    そう思っていた私は自分にきたあるメールからネットに検索を入れてみたら偶然にもイーグルスと言うバンドにぶつかった。矢沢栄吉のバックをつとめた現在はNOBODYの二人組の一人相原が1964年にイーグルスと言うリズム&ブルースのバンドを神奈川大学時代組んでいたとある。

    それとは別の70年代のウエストコースを代表するイーグルスだが昨年の12月の末のスポーツ新聞の記事にはこう書いてあった。歴代のシングル アルバム合計の販売枚数である。

    1位 ビートルズ     1億600万枚
    2位 ガースブルックス   9100万枚
    3位 レッドツェッペリン  8360万枚
    4位 エルビスプレスリー  7730万枚
    5位 ビーズ        7000万枚
    6位 イーグルス      6500万枚 

    イーグルスはビーズに負けていたのである。元々記事はビーズの販売枚数の凄さの比較で
    でたものだったが正直まさかと言う感じだった。
    いずれビーズは「エルビスの売り上げを抜いた日本人」とタイム誌に取り上げられるかもしれないと記事を見て思った。

    それはともかくイーグルスと言うとやはり「ホテル・カリフォルニア」であろう。
    76年に発表されたこの曲はイントロのギターのアルペジオが印象的な名曲でメロディはもちろんいいがドン・フェルダーとジョー・ウオルシュのよく練られたギターソロの70年代を代表する曲である。

    知り合いのあるバンドのギタリストは昔行きつけの飲み屋でアコギでこれをやりギターソロは口でやっていた。
    3コーラス目の3小節目の歌詞の「pinkcham-pagne on ice-」
    のところが「ピンクシャンペン飲まないっス」と常に私には聴こえるのである。
2000年02月12日 21時06分31秒

  • イ-6 忌野清志郎
    1951年東京生まれで66年に早くもRCサクセションを結成している。まず思い出すのは♪たばこーをすいなーがらいつでもつまらなそうに・・と歌う「僕の好きな先生」

    その歌詞にこんな先生がいたらいいなーと、土井まさるが司会の日本TVのTVジョッキーの「奇人変人コーナー」に出て白いギターをもらおうと、せっせとはがきを出していた少年がいたそうだ。もちろんギターを手に入れその歌を歌うためである。しかし採用されなかったらしい。

    少年はその後念願の白いギターを手に入れ浜辺で彼女の前で弾き語りをしたら日差しのおかげで白いギターが黄ばんだそうだ!今なら少年は「俺のギターはオールドだぜ!」と胸を張れるだろうに。

    なんと言っても思い出すのは吉村真理が司会をしていたTVのミュージックフェアで歌いながらカメラに向かいガムを吐いたこと。確かガムがレンズに当たり飛んだ。

    TV局には抗議の電話がくるわけである。吉村真理がカメラに向かい視聴者に謝る中清志郎は後ろでピースサインを出していた。

    最近では「君が代」のパンク盤や、「槇原のCD回収すんだったら、ジミヘンのも回収しなきゃいけねえぜ」といった主旨の発言。たしかタイマーズの頃は「ゲンパツ」とかもやっていたような気がする。

    昭和61年に出た渋谷陽一の「ロックは語れない」(新潮文庫)を読むとドラッグがないから音楽がつまんない。一時解禁したらいいかもしれないと言った発言をしたりもしているが半分は本気だろう。

    その本の中に77.78年頃スタイリストの女の子がストーンズの写真集やレコードを持ってきてああいうかっこしてほしいと言われ、女の子たちからさらにミックジャガーみたいに化粧をすると映えると言われ、するようになるくだりがあるが、それとは別に中学時代の一節を紹介する。

    渋谷・なにやってたの、バンドで。
    忌野・僕はリードギター
    渋谷・うそだぁ(笑)
    忌野・ほんとだって。サイドも弾いたよそりゃあ(笑)
    渋谷・ほんとにリード弾いてたの?一番得意だった曲は?
    忌野・うーん、「ダイヤモンド・ヘッド」かな。「キャラバンがどうも弾けなくてね」
        チャーが当時やっと弾けたって言ってた。
    渋谷・あれは難しかった。あれできると、シブいって言われていた・・・・・・・・

    歌だけでなくリードギターも聴いてみたいものである。
2000年02月03日 22時13分21秒

  • イー5 イエス
    今はあまり使わないみたいだがプログレッシヴ・ロック(progressive・rock)
    と言う言葉がある。ニューロック アートロックと言う言葉があったがプログレッシヴ・ロックとは進歩的とか進化するロックとかと言う意味だった。

    バンドで言えばイエス・ELP・ピンクフロイド・キングクリムゾンなどだ。
    勝手に定義付けをするとこうなる。

    1.曲が荘厳で仰々しくそして長い。
    2.キーボード類を多用する。
    3.崇高な感じがし踊れるリズムではない。

    平たく言うと「高度な演奏技術を持つ集団がクラシックにも負けないロックを作ろうとした」
    かなり乱暴だと思いますが。

    イエスと聞くと思い出すのは「ラウンドアバウト」という1972年発表の曲だ。
    イントロでスティーヴ・ハウのギターが♪ポーンタリラ〜と12fのハーモニックスを鳴らすのだが超ウルトライントロクイズでもわかるというあまりに有名なフレーズだ。

    スティーヴ・ハウは宇宙人ではないかと言われるほどのテクニシャンでエレクトリック・アコースティックともばっちりのオールラウンドプレーヤーで確か「ブルースなどをやるとそこでもう止まってしまうからダメだ」などという主旨の発言をしていた。

    それにキーボードのリック・ウエィクマンは十数台もの鍵盤を並べていたらしい。
    シンセがまだモノフォニック(単音しか出せない)の頃だったと思う。

    YESと言う名前は非常にわかりやすいのですが曲は決してポップではありません。
    ラウンドアバウトとかロンリーハートなどのヒット曲があります。
    ロンリーハートのチェンソーを振り回したようなギーギー音は脳天にズンっときますね
2000年01月23日 23時04分57秒

  • イ-4 井上陽水
    ♪都会では自殺する若者がふえている。〜〜だけども、もんだい〜は今日の雨傘がない〜
    1973年頃だ。

    自分で曲を作り自分で歌うというシンガーソングライターが認知され始めたのはやはり吉田たくろうと井上陽水に寄るところが大きいのではないだろうか。

    曲を作る人と歌う人は別という分業された歌謡曲の世界にボブディランに影響を受けたと思われるたくろうが登場しそして陽水が出てきた。

    「たくろうが道をつけ、陽水が切り開き、ユーミンが舗装した道路をみんなびゅんびゅんスピードを出し走っている」と言った評論家は富沢一誠だったか。

    フォークはいつしか洗練されニューミュージックと言う言葉に変わったのだが初期の陽水は「感謝知らずの女」とか「断絶」とかどちらかと言うとポップとは言えない曲が多かった。後々斉藤由貴もカバーした「夢の中へ」がヒットしその後低迷の時期もあったと思うのだが「飾りじゃないのよ涙は」とか「ダンスはうまく踊れない」など女性にうまくはまった曲とか
    カラオケで誰かが歌うと女の子がコップを叩いてリズムを取ってくれた「リバーサイドホテル」などポップな曲もしっかり作るようになりそれとともに初期の人前に出ない暗さは完全に陰をひそめた。

    昭和天皇がご病気になり「お元気ですか〜」と窓から陽水が叫びながら走る日産のセフィーロのCMは自主的に言葉が消されたのもまだ記憶に新しい。

    日本レコード大賞を2度取ったジュリー(沢田研二)が絶頂期の頃インダヴューで、フォークはすでに市民権を得ていたのだが「フォークの人が作った曲を歌うときがくるでしょうか?」と聞かれ「もし10年後も残っていたら」と答えたことがある。

    その後ジュリーは「背中まで45分」という陽水の作った曲を歌ったがそんなにヒットしなかった。
    そして20数年、陽水もたくろうもしぶとく生き残っている。ジュリーも当然いるのだが露出度では陰が薄くなっている。

    ジュリーも曲を作るのだが陽水の方がいい曲をかけるのだろう。
2000年01月12日 20時50分39秒

  • イ-3 イアン・ギラン
     ハードロックのヴォーカルというとすぐ思い出すのはレッド・ツェッペリンのロバートプラントとディープパープルのイアンギランである。
     1945年生まれで69年から73年まで黄金期と言われる第二期パープルに在籍した。
    ハイウェイスターのシングル盤を買った時リッチーのギターはもちろん格好良かったが
    ハイトーンのギランの歌も良かった。

     ♪I Love IT I Need Itの所を  
    直訳して愛してる !必要だ!と歌ってる人もいるようです。
     ライブでギターのフレーズを口まねしたりまたその逆を掛け合いしたりするのはリッチーとギランが最初だったのではないでしょうか。ギランのフレーズをリッチーが探して弾いたりしています。

     どうも二人は仲が悪いらしくいろいろあるようですが「ライブインジャパン」は70年代ライブの最高傑作のひとつだと思います。

     以前リッチーのビデオを見ていたときリッチーがアコースティックギターでパープルの最も有名な曲の一つである「スモークオンザウォーター」
    を弾きながらぎょろりとした目でこの曲はギランが作ったと言っていましたがリッチー特有のジョークですね。ブラックサバスに参加したこともありますが今は再結成のパープルで頑張っています。
1999年12月31日 19時09分26秒

  • イー2 泉谷しげる
    原則、洋和交互に紹介と言ってますが、実はネタがないとどっちか一方になることもあります。
    自分の記憶を頼りに書いていきますのでたぶんに誤解があるかもしれませんがイ-2は
    泉谷しげる。

    高校一年の時、文化祭で泉谷の「春のからっ風」をハーモニカを吹きながら歌いました。
    ギターを弾き始めた頃「春夏秋冬」とか「黒いカバン」「白雪姫の毒りんご」など彼の歌は印象が強いですがそれとともに彼の奥さんがフクちゃんという名前であるとか実は黒田征太郎みたいなイラストをかけるとか役者をその後やり「金曜日の妻達」(篠ひろことか小川知子が出ていた人気のあったドラマ)で佐藤知美の旦那役ででハルヒコと言う名前で呼ばれていたとか記憶があります。

    私のフォークソングはたくろう、泉谷、陽水のフォーライフの3人でした。
    彼はコンサートでギターをかき鳴らし弦が切れ最後の1本になっても弾いていたという逸話があるらしいですが、私が本で読んで印象に残っている言動は雑誌「ヤングギター」のギタリスト人気投票で4位になったこと
    を自慢していたこと(テクニックではなく単なる個人への投票である事はもちろん知った上でですね。)

    それにコンサートである観客から足を引きずることを馬鹿にされやじられたことに対して泉谷がマイクに向かい
    「人間いろんな奴がいる。手の悪い奴、足の悪い奴、頭の悪い奴、・・・そして心の悪い奴」
    と言ったらざわめいていた会場の声が止まった。と言うことです。

    最近女性問題で騒がれたらしいですが、♪黒いカバンをぶらさげーてあるいているーとお巡りさんによびとめられーた♪という歌が一番印象に残ってます。
1999年12月21日 22時04分44秒

  • イー1 イングヴェイ マルムスティーン
     3ヶ月以上も間が空いたこのコーナー。久々に再開です。

     それではイの1。昔、いの一番という化学調味料がありましたが(今でもあるのか?)ここではもしギタリストの早弾きオリンピックがあったならカールルイス並の実力を発揮したであろうと思われる超絶クラシカルギタリストのイングヴェイ マルムスティーンです。

     83年二十歳の頃アルカトラズでグラハムボネットと組み一躍日本で大注目されたギタリストですがそれは彼が奏でるそのクラシカルなバイオリンのようなフレーズの卓越した早弾きでした。多くのロックギタリストが三大ギタリスト以来ペンタトニックのスケールを中心にソロを組み立てる中、彼はハーモニックマイナースケールを中心にサーチライトがあっという間もなく闇を照らすような光のような速さを見せつけたのでした。
    それ以来ちまたに彼のフォロワーが雨の後のタケノコのように出たらしい。

     その生意気な言動のせいかどうかわかりませんが(ブルースをあまり評価しないとか、ツェッペリンはちょっと評価されすぎとか言ったりしている)アメリカでは人気がないようですが、日本では人気がありギター雑誌では彼の特集がよく組まれたびたび来日します。私の知人は来日する度に見に行っているようですが、前に見たときは妊婦のように腹が出てまるで座布団でも入れているのかと思ったそうです。
    速さは相変わらずだったようですが。

     一部で早いだけでエモーショナルがないとか言われることがあるようですがちまたの噂によると彼はカントリーやブルースもバンバン弾けるという話がありギターを始めた頃毎日9時間の練習を8年間したと言っています。細い弦(1弦が0.08)で半音下げのチューニング(だと思いますが)でスキャロップドのフィンガーボード。ピックは硬めのもののようです。

     彼と同様日本で人気があるマイケルシェンカーが彼の事を「イングヴェイはジプシーのバイオレンス魂で弾く」と言ったとイングヴェイ自信が語っていますが、リッチーもジェフベックもそのテクニックを評価しているらしいです。
    彼のCDを4枚持っていますが300円から500円で手に入りました。
1999年12月12日 14時15分42秒

あがた森魚
ちょっと待て!と言う声がきこえてきそうな感じがありますが、「聴いたことのあるミュージシャンを洋楽を中心に〜」
ということなので、全ての音楽にチャンス?があるわけです。

あがた森魚の名前の由来は「魚が森にあがる」という言葉の逆だそうだ。人間はどうも海からきたらしいとしたり顔をして誰かが説明してくれた。だが名前の由来は嘘だろう。

「赤色エレジー」というヒット曲を聞いて連想を続けていくと「昭和枯れススキ」そして上村一夫の「同棲時代」映画の「由美かおる」グラビア・・裸体・・「水戸黄門」

エレジーとは哀歌・悲歌でありelegyと書く。
この三拍子のもの悲しい曲を昔飲み屋で弾いていると、カウンターの親父が突然振り向き飲みかけの焼酎のグラスを置き口上を言った。
「姉は淫売、いもとは芸者〜」張りのある声でサーカスの呼びこみみたいだった。
99年09月04日 20時09分48秒

ア−9 アルバート・キング
三大キングと言う言葉がある。

BB・キング、アルバート・キング、フレディ・キングのブルースギタリストだ。
私はクラプトンからこの三大キングと言う言葉を知った。

アルバート・キングは左利きでギブソン社のフライングVを使用するが、普通の人とは逆の
弦の張り方になっている。普通は6弦に一番太い弦がくるのだが、彼の場合一番細い弦が来ている。
おそらくこれは彼が最初に右利き用のギターをそのまま左に持ち替えて弾いたためと思われる。

それを指で弾くのだが、映像で始めて見たのはゲイリームーアのライヴだった。
ゲイリーの一番売れたアルバムと思われる「スティル・ゴット・ザ・ブルース」の発売後のツァーに客演している。チョーキングに特徴があると感じたがそれよりも下品な事だが、ギャラはいくらだろうとつい思ってしまった。

亡くなってしまったが、映像でのゲイリーとのインタビューは大物の貫禄を感じさせる。
ゲイリーの事を「最初はただのロックキッズだと思ってた。あいつのギターは音がでかすぎる」とか
「お前少し太ったな」これにはゲイリーも苦笑いだった。

余談ですが、「愛のメモリー」の松崎しげるも左利きで右用のギターを同じようにそのまま弾きますが、器用にアルペジオもこなします。
99年08月08日 11時03分04秒

アー8 鮎川 誠
シーナ&ロケッツのギタリスト。最初に聞いたのは私が高校生の頃のサンハウスだった。
黒のレスポールを愛用している。あまりいい言い方ではないかもしれないが、ヘタウマな感じがするギタリストである。

エフェクターはあまり使わないらしくサウンドはストレート直球一本勝負。
結構ポップな曲をシーナ&ロケッツでは作ってますが、昔サンハウスの曲で「レモンティ」という曲を聞きかっこいいなと思ったらヤードバーズ(イギリスのバンド、クラプトン、ジミーペイジ、ジェフベックが在籍した。)のトレイン・ケプト・ア・ローリンのリズムーパターンと同じでした。

この曲はエアロスミスも74年にレコードに入れていますが邦題は「ブギウギ列車夜行便」でした。サンハウスの歌詞は♪しぼって〜僕のレモンをあなたの好きなだけ〜♪ギターのリズムがかっこいいです。
99年07月20日 19時38分10秒

アー7  アニマルズ
60年代結成イギリスのバンド。ヒット曲は「朝日のあたる家」「悲しき願い」
どちらもスタンダードの名曲と言えるだろう。

VOはエリックバートン、ギターはポリスのアンディサマーズが在籍した。
「悲しき願い」は尾藤イサオ(TVアニメの明日のジョーのテーマソングを歌った人)がカバーしてヒットした。
日本語のカラオケだとサビのところが♪だーれのせいでもありゃしない〜。みんなオイラが悪いのさ♪。

64年にイギリスで大ヒットした朝日のあたる家(The house of the rising sun)はギターのアルペジオが印象的な(タンタタタンタンタンタン・タンタタタンタンタンタンという3連フレーズ)短調の曲。使うコード(和音)は5個。多くの人が歌いますが、ベンチャーズのインストバージョンもいいです。

ベンチャーズのコンサートでは中盤のハイライトでギターのジェリーマギーが、この曲のアドリブ(即興演奏)のところでギターを弾きながら観客席に入ってきます。(私が観たときはそうでした。)
99年07月18日 20時06分59秒

アー6  アレキサンダーラグタイムバンド(ARB)
私が最初ARBを聞いたときは確かアレキサンダーラグタイムバンドと名乗っていた。
女優の原田美枝子の旦那の石橋 凌のバンドだ。

初代ギタリストは「イカスバンド天国」の審査員で有名な田中一郎(甲斐バンドのギタリストも勤めた。)その後はハードロックバンドのバウワウで山本恭司とツインリードをはっていた斉藤光浩。その後はよくわからないが白浜久らしい。

同時期のバンドで(かなり荒っぽいが)シーナ&ロケッツとかモッズがいたのではなかったか。

私が好きな曲は「魂こがして」のバラードバージョン、それにアニマルズの「朝日のあたる家」を連想させる「ホリディ」
TVで見たライブで凌が「全ての労働者に捧げます!」と言いホリディを始めるとそのギターのアルペジオと歌声にジーンときたこともあった。

商業主義になじめない音楽で、「ここまでやってやっと武道館に来たということを評価してほしい」という言葉が印象に残ってます。最近また活動を再開しました。(松田優作に思い入れ一時期役者をやっていた。)ドラムのキースは秋田県の出身、蛇足ですが、宇崎竜童のダウンタウンブギウギバンドでドラムを叩いていた相原 誠も秋田県出身、彼はキャロルのアルバムでも少し叩いてます。

ARBみたいなストレートなバンドはなかなか受けるのは難しいと思いますが個人的には好きです。
99年07月05日 21時13分13秒

アー5  アルカトラズ
アルカトラズの名前はサンフランシスコ湾に浮かぶ監獄の島の名前からとったのだろうか?。
クリント・イーストウッドの「アルカトラズからの脱出」とか最近では、ショーンコネリーが出た「ザ ロック」とかここを舞台にした映画があるが、これはグラハム・ボネットのバンドの話だ。

レインボー(リッチーのバンド)MSG(マイケルシェンカーのバンド)のVOを勤めたグラハム・ボネットが超音速クラシカルギタリストのイングヴェイを入れてスタートしたバンドである。

グラハムは髪は短くネクタイを絞めるというハードロックには珍しいスタイルでサングラスをはずし鞄を持たせれば、そのまま不動産会社の営業マンみたいであった。私が覚えている曲は「ヒロシマ・モナムール」だけである。
いきなりギターの早弾きから始まるこの曲はそのギターとグラハムの高く鋭い声が印象に残っている。

曲を書いたり作るということは苦手みたいだが彼の声は特徴があり、古い言葉だがモダンな感じがする。
イングヴェイの後にスティーヴヴァイが加入したがどちらもセールス的には今ひとつだったようだ。
99年07月04日 21時26分51秒

アー4  アースシェイカー
関西メタルと言う言葉があり、83年(昭和58年)以降だと思うが、アースシェイカー 44マグナム それに大谷レイヴンのいたマリノなどがそう呼ばれていた。

大阪はどうしても東京と比較されるため
70年代フォークもまた関西フォークとそう言う言葉で言われていたが、東京以外で目立った動きがあると冠をかけられるのはしょうがない。

目立った動きがないから、みちのくロックなどと言う言葉は存在しないのである。
他にはめんたいビート(福岡)とかの言葉も誰かが考え出す訳だ。
アースシェイカーは日本のヘヴィメタルで初めてオリコンのヒットチャートに載ったと聞いたような気がする。(何位だったかはわからない。)

今聴きかえしてみるとメロディアスな曲調でこれが受けたのだと思うが、何となく今のイエローモンキーに通じるものもあるような気がします。ハードロックの様式美と言う言葉もこのころ出たのではなかったでしょうか。中古で100円でコレクションオブアースシェイカーのCDを買いましたが、なかなかいいです。
99年06月29日 14時19分25秒

ア−3  アル・ディメオラ
彼のギターを最初に聴いたのはいわゆるクロスオーバーとかの言葉が、生まれた頃だったのかもしれない。

最初に聴いたのは77年発表の「エレガントジプシー」だった。この中に「 Race with devil on spanish highway」という曲があり、記憶に間違いがなければ
邦題が「スペイン高速悪魔との死闘」だったと思う。

ミュート奏法による(右手の親指の腹を弦に軽くふれピッキングするとポコポコした音がでる)超早弾きは圧巻!はっきりいってたまげました。彼はこのアルバムで超絶技巧派のシンセ使いのヤンハマーと競演してますが(ユニゾンとかすごいです。)

ロック系のギタリストでトミーボーリン(リッチーの後にD・パープルに加入した人)が75年のTEASER ジェフ・ベックが76年のWIREDでそして77年にディメオラとヤンハマーには声がかかり?彼も人気が出るわけです。

ディメオラのギミックなしのそのメローな早弾きは今聴いてもすごいです。
バンヘーレンのエディについて、「彼のピッキングはディストーションでなければ成立しない」というような事を彼が言っていた雑誌を読んだ記憶がありますが、さすがにアコースティックでもそのパワフルなピッキング
を見せつけるディメオラらしいと思いました。

車で言えば当時の最速のDOHCの2000ccクラスですね。
99年06月22日 21時18分41秒

流れにマクラス−1 椋 鳩十
「かた耳のオオシカ」を書いた作家の椋 鳩十
(むく ばとじゅう)は子供の頃から生き物が
好きで空に群れる椋鳥をみて鼻をかみながら、
もし作家になったら椋鳥 十(むくどり じゅう)と言う名前にしようと思っていた。

それがなぜ椋 鳩十になったかというと上野公園で鳩にポップコーンをあげていたとき、あちこちで雄鳩が尾羽を広げ地面をこすり、のどを膨らませてデデポポと唸り
自分を大きく見せメスに対して誇示している
様が鳩がむくんだように見え、
その威勢のいい様がそのころの意気地
のない自分をふるい立たせてくれたからだと言う。

(むくんだ鳩が10羽で 椋 鳩十?)
99年06月19日 13時06分34秒

ア−2 RCサクセション
洋楽で通そうと思っていましたが、原則、交互に書くことにしました。

理由は簡単!洋楽を知らない人にも読んで欲しいから。それではア−2です。
RCサクセションの名前は「ある日作成しよう」をもじったというのはよく知られているようです。

私が最初に聴いた曲はカズーの音で始まる「僕の好きな先生」中学生の頃でしたか。(音楽雑誌だとガッツか?)キョーシロウ(漢字忘れました)の詞はなかなかよく他に「トランジスタラジオからどうのこうの」とか「雨上がりの夜空に〜」私にとっては詰め襟をゆるめた普通の高校生活を思い出させます。

それとギタリストのチャボをみると「古井戸」の曲「さなえちゃん」がすぐ浮かび古井戸の片割れの加奈崎芳太郎はどうしているのか少し気になりますね。RCの原点はやはり詞を大事にするフォークでしょう。
99年06月19日 12時26分38秒

ア−1 アルヴィン・リー
栄えある一回目。

アー1とはアから始まる一人目ということですね。それではいきましょう。
70年代忘却の彼方に押しやるにはあまりに惜しいテンイヤーズアフターのギタリスト。武道館にも来た。元祖早弾きギタリストと私の同年代は言います。ES-335 (ギター)にやたらに貼りつけられた各種ステッカー。

そしてブルースのリックの早回し的フレーズ。最も有名な曲はI’m Going Home(ライヴ)でしょう。ウッドストックのライヴを映像で見て聴いた時はその歌と共に「背筋がゾクッ」としました。

彼から影響を受けたと素直に言える人はあまりいないようですが(何故か言うと馬鹿にされると思っている節がある。はっきりいってB級あつかいか?)
ジェイク・E・リーも彼はワンパターンだがいいと言っていたし、山本恭司もギターを始めた頃コピーをしたと大昔雑誌で語っていた。
99年06月19日 12時04分14秒


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