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村上春樹と全共闘
「全共闘」世代
村上文学を語る上で、彼がいわゆる全共闘世代であることははずせない。
「全共闘運動」とはベトナム反戦運動あるいは原子力潜水寄港反対闘争が典型的に示すように、
戦後民主主義思想とともに生まれた反戦思想が「60年日米安保条約締結」を機に帝国主義的様相を呈してきた日本資本主義に対して進められた大学の帝国主義的再編(いまでは当たり前になってしまっている産業界と大学―学問との共同、あるいは学生自治の縮小、等)に対する反対を運動の両輪として巻き起こったものである。
1968年の春、村上は大学進学のため上京する。彼が青春を過ごす60年代後半から70年代前半は学園闘争で社会が騒然とした時代であった。全国至る所で紛争が勃発し、その数は大学、高校あわせて130校を越えた。なかでも医学部インターン制度をめぐる問題から起こった東大紛争は激しさをきわめ、その年東大では入試が中止された。そうした社会の波は彼の作品に大きな影を落としている。『ノルウェイの森』では機動隊によりバリケードが解除され授業が再会されたあと、いちばん最初に出席したのがスト指導者だったことに主人公は強い怒りを表している。
僕は彼らのところに行って、どうしてストをつづけないで講義に出てくるのか、訊いてみた。彼らには答えられなかった。答えられるわけがないのだ。彼らは出席不足で単位を落とすのが怖いのだ。そんな連中が大学解体を叫んでいたのかと思うとおかしくて仕方がなかった。(学生活動家に対する述懐)おいキズキ、ここはひどい世界だよ、と僕は思った。こういう奴らがきちんと大学の単位をとって社会に出てせっせと下劣な社会を作るんだ。 (ノルウェイの森より)
「政治的反乱」「全共闘」に対して村上はかなり距離をとり、醒めた眼でみていた。のちに『風
の歌を聴け』で全共闘をだしたことを「今でも非常に後悔しているし、まったく出さなきゃ
よかったと思っている」と述べている。
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