1:誕生を記念して(はじめに)

とうとう横山さんが19歳になってしまいました。
そして、先日の5月5日をもって、私の横山ファン暦も2年になりました。
2年前よりも、今の方がずーっとずっと大好きなんじゃないかなあ。なんて思っているんだけど、でも2年前も私の中でヨコは最高で、一番で、すべてで、大好きだったの。
今も、もちろんそう。
人間というのは、活きていくために、同じ気持ちを長い間キープできない仕組みになっているから、たぶん、私もいつかはヨコから離れていくと思うの。
多分ね。
でも、今は本当に、大好きで大切で、すべてで、…大切な人なんです。

いつも思っていることが実はあります。
「ヨコが小説とか、漫画とか、想像上の人だったらいいのに。」
ヨコが2次元の世界に生きる人ならば、これほど彼のことで、苦悩しなくてすんだのになあ…。って
誰かが、創りだした「人」だったら、
その誰かが作った、「ヨコ」の人生が気に入らなければ、私が勝手に作り直せるでしょ。
だって、それは、「つくりだされた」ものなんだから。
「つくりだされたもの」の意思は、「つくりだしたもの」の願望が根底にあるわけで、つまり、私がこうしてほしい、こんなふうに生きて欲しい。と、欲すれば、それがすなわち、「つくりだされたもの」の意思なんだからね。

でも、ヨコは実在する、意思を持った生きもの。
もちろん、私の思うようになる人ではありません。
だから、たまらなく、辛くなることがあります。
正直に言えば、ヨコを見ていると、辛くなることの方が、多いかもしれません。
人間てとっても弱くて、臆病な生きものだから、ちょっとしたことで、弱気になってしまうんです。
ヨコが1時間中笑ってくれていたとしても、一瞬、悲しい・寂しい・辛い表情をすると、私はとっても心配になってしまうんです。
弱いですねえ(苦笑)。
でもね、それもまた仕合わせなんです。
だって、自分じゃない誰かのことを、自分のこと以上に心配して、自分のことのように、心を痛めることができるんだもの。
それだけ、自分じゃないヨコのことについて、自分をシンクロさせることができるのは、とっても幸せ。
なんだか、自分がヨコになった気分になれるからかもしれません。
ヨコを近くに感じた気分になれるからかもしれません。
だからね、ヨコが今、生きているってことは、私にとって、辛いことだし、苦しみのもとであったりするんだけど、でも、でもやっぱり、ヨコが好きなの。

うーん、うまく表現できない。
だから、ちょっと卑怯だけど、最高のことば。最高にわかりやすい単語で表現します。
「ヨコ、だーいすきだよ。」

つづく(2へ)