クリスマス・ボックス in青山劇場
3回の観劇を終えて…

「観劇を終えて…」なんて洒落たタイトルつけてますが、ちーとも内容は洒落てません。
相変わらずの毒っぷり発揮。かつ、珍しく語りモード。
後からじんわり考えさせられるところが舞台の力なのかな。
気が向いた方は読んでやってください。

 

舞台って…

 本格的舞台は初めてなのに、終わってみれば3回の観劇。うーん、自分でも「ちょっと多いぞ」という感じがしないでもない…か?(^^;)それにしても、これまでどんなにプレゾンで屋良ちゃんが活躍しようと、見に行こうともしなかった私が、「屋良ちゃんのソロがある」と聞いただけで即行チケット探しを始めるんですから…人の気持ちなんてわからないものです。「週刊CHINTAI」恐るべし!?(結果的に見に行ってよかったわけですから、週刊CHINTAI様様なのかも〜)

 見に行く前は、同じ舞台を何度も見るってどういう感じなんだろうか?と正直思う部分がありました。が、コンサートと同じで見れば見るほど毎回違った面が見えてきて、飽きることなく楽しめるものだ、ということがわかったように思います。3回目はカーテンコールで残念なことがありましたが、それを除けば内容は素晴らしかったです。特に1日は残すところあと3公演という日でしたから、出演者もサービス精神旺盛というかアドリブもあったりして、数回見る人ならではの楽しみもあるんだな〜と。そういう点ではコンサートと何ら変わりないんですね。

 ただ少しだけ気になったコトが。全員が数公演見れるわけではないですよね。そう考えると、あまりアドリブが増えたりオーバーアクションが増えたりすると、客席の反応もそれに呼応して大きくなるわけで…その日が初めての方にとっては、「なに??」ってことになるんじゃないかな〜なんて。私が見たのは11/15(木)、11/27(火)、12/1(土)ですが、15日と27日は少し日が経っているにも関わらず、出演者のノリも客席の反応も、それほど差はなかったんです。それが1日は、黒木さんやヒガシが笑ってしまったり、客席の受け方も大きくて。ちょっとビックリしてしまいました。平日と土曜日ということで多少客層が違ったのか…それとも東京公演楽日に向けてテンションが上がっていたのか…はたまた偶然なのか。といっても、普通に見ていれば同じ場面で皆さん笑うのでしょうから、それほど気にする必要もないのかもしれませんね。

 舞台とコンサートを比べる必要なんてないんですが、同じ「生モノ」ということでついつい思考が比べるモードに。だったら、いっそのことハッキリくっきり比べてしまえぃ!ということでなぜか表にまとめてみました(ヤケクソ?)ちなみに、舞台とはプレゾン・SHOCKの他今回のクリスマスボックス等も含む。コンサートは、基本的にジャニーズのコンサートという意味で。

  舞台 コンサート
会場規模 小〜中。舞台に上がろうと思えば可能な距離。舞台と客席の間に障害物がない。 大。直接お客さんが出演者に触れられる距離ではないし、柵や常駐係員など障害物も多い。
客席 既存の舞台&客席を使用することが多い 360度ステージなどジャニーズ独特のスタイルが多い
観客の視線 舞台に集中(一方向) 自分の応援している子を追う等人それぞれ(多方向)
観劇スタイル 着席 着席、スタンディング、踊るなど何でも(自席を離れてはダメですが)
客層 ファン以外の方も ジャニーズファンがほとんど
場内の様子 至って静か。視界をさえぎるものもない 音楽+歓声で非常に騒々しい。うちわなど応援グッズが視界を遮ることもある

 思いつきで挙げてみたのですが、とりあえずこんな感じでしょうか?元々違うものなのですから、比べてみたって違うに決まってるんですが…それでも改めて書き出してみると、これだけ違うわけです。当然、見る側にも違う態度・マナーが求められるわけですよね。普通に考えたら分かることではあるのですが。自戒の意味も込めてあえて言いますが、コンサートで見るジャニーズと舞台で見るジャニーズとを、同じ感覚で見てはいけないんだと思うんです。コンサートでの「キャ〜○○くーーん!!!(叫)」をそのまま舞台観劇に持ち込もうとする、もしくは気づかずに持ち込んでしまうから、毎年プレゾンの季節には「マナーがなってない」等の問題が浮上してくるのではないでしょうか。私の個人的経験ですが、活動歴の長いタレントさん(例えば少年隊)のファンは、相対的に見てマナーもしっかりされているように思います。これは、「少年隊のファンだからマナーが良い」というよりも「少年隊のキャリア=ファンのキャリア、経験値の高さ」ということなんだと思います。ファンの年齢層もあるでしょうが、お若くてもきちんとされている方、年齢的には大人でも行動が伴っていない方もいらっしゃいますので、実年齢というよりは「ファン年齢」とでもいうんでしょうか、そういう経験値が高い方が自然とマナーを身に付けられている、と言えるんじゃないかなぁ〜と。今までは、舞台を見たことがない立場でマナーについて考えてきましたが、今回クリスマスボックスを観劇したこと&偶然にもとんでもないファンを目にしてしまったことで、舞台とコンサートの両方をそれぞれ同じくらい楽しむためには?という観点で考えられるようになれるかもしれません。そういう意味では、3回目の観劇体験は(二度と合いたくないけど。詳しく知りたい方は12/1感想をご参照ください)貴重な体験だったかな。。。。?(←半分納得いってない)

 

愛って…

 硬い話になっちゃいました。毎度のことですが申し訳ありません。どーしても説教めいた(教訓めいた)ことを書き留めておきたくなってしまうこの性格……(^^;)この話はここで終わり!楽しい話をしましょう!!!3回の観劇レポには書いていなかったことを思い出しました。

 「シアターガイド」の対談で、岡さんが「“涙じゃなくて心の氷が溶けているのよ”というセリフに感動した」と書いておられました。が、言葉って人によって受け取り方も感じ方も違うんですね。私の場合は、そのセリフではなくて別のセリフが今でも頭に残っていて離れません。それは…マーサとメアリーアンのシーン。岡さんが感動したというセリフのさらに後に、同じく黒木さん演ずるメアリーアンが家から去るマーサにかける言葉、『忘れないで、あなたはこの家では愛されているってことを』です。メアリーアンがリチャードに『親が子供に贈る最初の贈り物は“愛”よ』と話す場面がありますが、本当にそうだな〜と。私はまだ子供を持っていませんので、「親の(立場からみる)愛」について実感することはできませんが、それでもすごくそのセリフに重みがあって心に残りました。でも決して心に割り込んでくる感じじゃなくて…重みのある言葉なんだけど、でもそれと同じくらい温かみもあるっていうか。

 こういう機会でもないと話さないので語っちゃいますけど(恥)、「愛」って普段口にすると何だかこっ恥ずかしいし、むしろ「そんな簡単に口にしてええんかいっ。嘘っぽいぞ」って思うんだけど、「人間愛」とか「家族愛」とか、「親が子供に注ぐ愛情」っていうと、すごく言葉に厚みが増して温かい印象を持つ気がするんです。自分が特別に親の愛に飢えているとは思っていませんが、それでも、「自分が愛されていると絶対的に信じることができる場所がある」って、人間にとって必要なことだし幸せなことだな〜と思うんですよ。リチャードはメアリーアンの夫・デイヴィッドの日記を読んで、その大切さに気が付いたから良かったですが、例えば自分の親がこの舞台を見て、リチャードのように気がつくか?心を改めるか?と問われたら…その確率は低いような気がします。「物語と現実は違うのよ」とか言われちゃったりして(父と母よ、スマン…あくまでも子供の視点から書いているので悪気はありません)。でもね、他のコトはゼロからの出発だろうと自分一人だろうと、努力して身に付けることができると思うけど、「愛される」ってことだけは、自分が愛された経験がなければ、人に愛を与えることも愛してあげることもできないものだと思うんですよ。だから、「自分の子供が愛せないなんて信じられない」と思える人は、(はっきりとした記憶として残っていなくても)確実に愛された経験があるから思えるわけで、そういう経験ができなかった人に「親なんだから子供が愛しいはずだ」と説いたところで、実感がわかないのもある意味仕方がないことだと私は思うわけです。だからって子供を虐待していいことには絶対になりませんけど。などなど、親子関係について考えてみるにつけ、『親が子供に贈る最初の贈り物は“愛”』という言葉がとても重いものに思えてくるというか、家族を持つということ、子供を育てるということの全ての源とも言える重要なキーワードなんじゃないかな〜と。

 お芝居の中では、マーサが自分の父親(イブリン)は人殺しで刑務所に入っているが、自分にとってはとても優しい良い父親であることをメアリーアンに話します。イブリンがリチャード家に火をつけ、結果アンドリアを殺してしまったことは到底許される行為ではありません。が、唯一の救いだったのは、イブリンが自分の子供に対して愛情を持っていたということです。そのおかげで、マーサはたとえ生活が貧しくても、父親を非難されても、優しい人間に育っていけたんじゃないか、という気がするんです。(お腹をすかせた子供に“出て行け”っていう母親は問題あるかもしれないけど…とりあえずここでは無視)もし実際に自分の子供が殺されて、その犯人の子供(マーサ)をメアリーアンのように「天使」だと思えるかどうか…私には自信がありません。というより、おそらくデイヴィッドのように「抱きしめるんじゃなくて首をしめていたよ」と言ってしまうでしょう。でもメアリーアンはそうは思わなかった。それは、元来メアリーアンが持つ心の優しさがアンドリアを亡くした悲しみにも負けることなく残っていたからじゃないでしょうか。そこに「母は強し」という印象を受けたのは私だけでしょうか?デイヴィッドがアンドリアを亡くしてから荒れてしまったのは、確かに「本当の父親じゃなかったから助けられなかったんだ」と自分を責める気持ちもあったと思いますが、もっと根本的な弱さ・もろさがあったからじゃないかな〜なんて。これは私が女性だからそう感じるのかもしれないんですけどね。

 


<あとがき>

感想を書くはずが、とりとめもない自説論となってしまいました。
ま、たまにはいいか!
(←反省してない)
日頃、ニュースやドラマを見たり音楽を聴いたりすると
何かしら自分の思考に影響を与えられます。
今回のクリスマスボックスにしても。
でも、生活の流れの中でつい忘れがちだったりするので、
こういう場を借りて書き残して置けることは私にとってはうれしいことです。
つたない文章ですが読んでくださってありがとうございました。


生ツボ屋良っちへ戻る

ホームへ戻る