Column
J
VOL.12
| ++++ 最近怒っているコト |
| 最近気づきました。私の書くエネルギーって「不満」とか「怒り」とか、そういった負の感情から生まれてくることが多いんだって。もちろん、コンレポなんかは、キャピキャピな乙女エモーションから来ることの方が多いんですが。。。怒るって思ったよりエネルギー使うんですよね。でもって疲れる。だから、最近あんまり更新できないのか、と妙に納得してみたり(→持久力ナッシング人間)。 スーパーに買い物に行くとね、透明とか半透明の買い物袋をくれるじゃないですか。家でゴミ袋として使えるので黙っていれてもらう時もあるんですが、増えすぎても置き場に困るので、最近は買い物袋を持参するようにしているんですよ。自転車で行く時なんかは特に。で、大抵どこにでも、レジのところに「レジ袋不要です」と書かれたカードが置いてあって、それをカゴに入れておく=レジ袋はいりませんよ、の意思表示となるわけです。がしかし。こっちがわざわざ不要カードをカゴに入れて意思を示しているにも関わらず、レジ袋を入れてくる人って意外と多いんですよね。いちいち「袋いりません」と言わなくてもいいように、あのカードってあるんじゃないのかしら。一応ね、レジ係の人にわかりやすいように、一番上に載せてあげてるんですよ?ワタクシ。しかも、レジの人はちゃんとそのカードを元の場所に戻しているの(つまり、カードの存在には気が付いている)。なのに、最後にはちゃーんとレジ袋をカゴに放り込んでくれる。これって、どうなの?!よっぽど、「お客様の声」とかいうアンケートに書いてやろうと思ったのですが、やめました。で、ここに書くことにした(笑)。 そんなことで怒るな、と思ったアナタ。考えてみてくださいよ。確かにね、ささいなことですよ。入れられたら「いりません」って言えばいいだけの話ですから。でもね、そういうのって怠慢だと思うんです。甘え、と言ってもいい。流れ作業でうっかり手が動いてレジ袋を取ってしまうのもわかります。それでも、「レジ袋不要カード」がレジに置いてあって、「ご協力ください」とか表示まであるのに、店員の意識が低いってどーいうことなのよ、と思うわけです。例え、その方が学生のバイトだろうと、主婦のパートだろうと、客にとっては「店の人」なわけで、立場は言い訳になりません。更に、バイトだろうと時給が安かろうと、1円でも賃金をもらって働く以上、しっかり意識を持ってもらいたいのです。 これは別に、レジ袋に関してばかりではありません。例えば。先日体験したことなのですけれど。お魚が3尾入っていたの。でも、私は「2尾でいいなぁ」と思ったので、「2尾にできますか」と頼んだわけですよ。そしたら、面倒くさそーな顔で「えーあーそう。…ちょっと待ってね」みたいな対応でガッカリしました。だって、その店は「1人前用・下処理承ります」とか謳ってるんですよ?それでその態度なの?みたいな。しかも、混雑する時間帯ならまだしも、人もまばらな時間だったのに。 多分ね、一握りなんでしょう、こういう人って。たまたま私がそういう店員に当たってしまっただけで。でもね、その一人の態度のせいで店全体の印象が悪くなるってこと、ありますよね?ジャニーズファンだって、心無いマナーのない一部のファンのせいで、どれだけ肩身の狭い思いをしてきているか、皆さんも想像ができることと思います。それと同じことです。要は「心構え」。仕事をしている、という心構え。接客をしている、という心構え。ささいな自分の行動が店全体の印象に関わる、という心構え。そういったものがない人が、こういう態度を取る「一部の人」になっている気がします。 同じことが、私がしている仕事にも言えるので、どうしても目につくし気になってしまうんですよね。「浮ついた気持ちで仕事しているヤツは出て行け」とどんだけ言いたいことか。私にはその権限がないので、せめて自分と周囲(自分が「これは」と思える人たち)では、こういう指摘をするに値する態度・気持ちを持っていたいと思ってやってますが。 心構えで思い出しましたが、最近、「臨機応変」をはき違えて多用している人が職場にいて、大層迷惑しております(職場の人、誰も見てない…よね?汗)。こちらが何か聞くと、「その辺難しいんだけどさ〜臨機応変で」という答えが返ってくるんですよ。いやいや、アナタ。私が聞きたいのは臨機応変以前の基本的なコトなわけで。そこが臨機応変ってどういうことよ、みたいな。お上の事情で下っ端があれこれ対応に追われるのはよーくわかりますが。そうは言っても、私たちの立場なりの判断はあるわけで。それを聞いているのに。 私が思うに、臨機応変っていうのは、土台がしっかりあった上で初めて言えることだと思うんですよ。だから、土台(=基礎・基本・BASIC・共通認識・統一見解)自体が曖昧、あやふや、フレキシブルってのはありえない。もちろん、長年の経験の中で「これは変えていきましょう」ってことも多々ありますから、そういう変化はアリとしても。自分達が初心者で仕事覚えたて、というならまだしも、経験があって事情もわかっている人が、アーダコーダ理由をつけて、自分の意思、見解を持たずに「臨機応変」を口にするのって、単なる逃げじゃないでしょうか。確かに、立場が上になれば、その分自分の言動にも責任が伴いますけど。その責任を逃れていたら、何一つ決められないと思いません?それじゃ、新しく入って来た子に、何一つ確かなことを教えてあげられないし、その子たちは何を指針に仕事を覚えていけばいいか迷ってしまう。そこで教えるべきことがつまり「土台」なわけで。土台をしっかり身に付けてもらって、その後から状況に応じた「臨機応変」へステップアップしていく。これが、極当たり前のことだと思うんですけど。 教える立場の人間がやるべきことは、基本をきちんと教えること。教えるって本当に難しいことで、自分がしっかり自信を持っていないと、どうしても教え方にも「揺れ」が生じてしまうんです。「〜〜でいいと思うよ」とか「〜〜だったハズなんだけど…」とか。私自身にも言えることなのですが、「このようにしてください」と言い切れなかったら、それはどこか自信がない証拠。うろ覚えだったり、曖昧だったり。そうやって、自分が教えた内容については、自分が責任を持つ。それが上の人間のやるべきことです。もし、間違っていたら悪いのは教えた自分、ということになります。でも、そこで例えば上司に叱られようと、それは仕方がないと思うんですよ。誰にでも間違いや失敗はあるんですから。それまでの認識が間違っているのか、どこかの段階で認識が変わっていたのか、理由を探して改めればいいだけのことです。そりゃ、私だって怒られるのはイヤですよ。誰だってイヤでしょう?だけど、ママに叱られるのがイヤでイタズラを隠してるコドモとは違うんですから、って思うわけです。 さっきのスーパーの話でも同じこと、言えますよね?どういう職種でも職場でも、基礎があって応用があって、上の者が下の者に教える、これは共通ですから。もっと基本的なコト、目に見える言動と働く上での心構えの二つセットで大切にしませんか?(>誰に向かって言ってるんだか)
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