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これから、週に一度ぐらいの割を目標に、不定期に(これ重要!)雑談めいたことを書こうかと思っておりまする。
まず最初は我らのユニット名Savage teA(さべいじてぃー)の由来について。
この名は、夏目漱石の「吾輩は猫である」の中にでてくる苦沙弥先生のせりふから来ているのです。
---以下、「猫」より抜粋---
シーンは苦沙弥の教え子、理学士寒月を自分の娘の婿にと望む金持ちの金田夫妻の間に交わされる会話を、我らが「名無し」の猫が屋敷に忍び込んで立ち聞きする場面です。
******* 「猫」 *******
「うん、生意気な奴だ、ちと懲らしめのためにいじめてやろう。あの学校にゃ国のものもいるからな」
「誰がいるの?」
「津木ピン助や福地キシャゴがいるから頼んでからかわしてやろう」
我輩は金田君の生国はわからんが、妙な名前の人間ばかりそろったところだと少々驚いた。金田君はなお語をついで、
「あいつは英語の教師かい」と聞く。
「はあ、車屋のかみさんの話では英語のリードルか何か専門に教えるんだっていいます」
「どうせ碌な教師じゃあるめえ」
あるめえ、にもすくなからず感心した。
「このあいだピン助に遇ったら、私の学校にゃ変な奴がおります。生徒から先生番茶は英語でなんといいますと聞かれて、番茶は savage teaであると真面目に答えたんで、教員間の物笑いとなっています、どうもあんな教員があるから、ほかのものの、迷惑になって困りますと言ったが、おおかたあいつのことだぜ」
・・・以下略・・・
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このように、「猫」には落語好きだった漱石の江戸風しゃれのエッセンスがぎっしりとつまっています。
ところでこの「savage tea」、辞書を引いていただけばおわかりと思いますが、漱石一流の2段がさねギャグなのです。
まず番茶の「番」を同音の「蛮」に置き換えます。これ、ご存じ「野蛮」の「蛮」の字です。
で、ここに「野蛮な」とか「未開の」といった意味を持つ「savage」をあて、「savage tea」の語を生み出しているんですねー。
今のように文章を書くという行為が一般化していない時代、全てがはじめての試み、ギャグを書くのもパイオニアに近い状態です(江戸時代に膝栗毛とかはあるけど、実質的にはね。)
江戸時代が終わった直後とはとうてい思えない、いいセンスだし、ひねりが利いている。
そんな言葉を生み出せたのも、「日本人はイギリスだっていうと神様かなんかのようにやたらありがたがる。(あれ、今の日本人も一部そうかな?)実際は、一般人の民度の高さは日本人とほとんど変わらないし、下手すりゃ日本人のほうが上だ。」と日ごろ考えていた漱石だからこそでしょう。やたら英語をありがたがる当時の日本文化に対する皮肉が感じられます。そして、猫の背骨は「人間という犬的社会性動物に対する皮肉」という見方もできるように思います。
ま、今笑えるかどうかは人それぞれだとしても(私は「フフっ」て感じ)言葉の響きが気に入っていました。高校生ぐらいの頃から、「将来、何かのときにこのネーミングを使おう」とずっと思ってました。
ちなみに「savage tea」は全く意味が通らず、こじつけで「野蛮な茶」的解釈をすることもまるきり不可能だとか。
なお、英語でも番茶は「bancha」と言うそうです。あるいはJapanese teaで全部ひっくるめてしまうか(番茶はその中のひとつですから)