越境 越境
液晶画面をただよう言葉に、新しいソフトを考案する力があるであろうか。
出来たとしても、同じソフトを繰り返し繰り返しつくるだけであろう。
あるいは、ランダムに、当てずっぽうのソフトを並べ続けるかもしれない。
山を降りたことのない者が、山以外での生活になじむことができるであろうか。
海で生活してはじめて、自分がどうしてそんな習慣を持つに至ったのか、そのしくみを知るはずである。
そして以前の山の生活に、新しい文化を付け加えることさえあるかもしれない。
だから私は、先人の知恵を、無根拠に受け入れることはしない。
もっとも先人の知恵は、黙って受け入れていさえすれば、「幸福」へと導くことが多いものである。
しかしそれは、山が山であってこそ、山の中でのみ通用するような代物なのである。
先人の知恵を守り、一生を山の中で「幸福」に過ごそうとする者がいる。それも今、ギリギリ不可能ではないように思える。
しかし、目に映るものを見なかったことにすること、先人の言わなかった言葉を認識せずに通過することには、
そろそろ精神的に疲れてきてはいないであろうか。
私は「幸福」よりは、幸福を選びたい。「幸福」には「降伏」してしまってよいと思っている。
時代は流れ、山の景色もかわってしまったために、先人は幸福のことを「幸福」だと思っているが、
我々は先人の送るメッセージの中に、「幸福」を読み取っては幸福とのずれに苦しんでいるのだ。
かつての山にはかつての山のよさというものがあっただろう。
しかし山はもう「山」ではない。
「山」であることを守ろうとする手立て、それもある。
しかし私は越境する。