アナログの感覚。いつのころからかデジタルへの移行。果てしのない感情の彼方を失い、割り切れるその場限りの納得を生きる。
 彼方の風景が呼んでいる。それがあることさえ忘れてしまっていたことを思い出す。彼方から遠くオルガンの音が聞こえる。それが彼方の存在を思い出させる。あるいはそれはデジャブなのかもしれない。確かに懐かしい感覚も、その正体は極めて儚い。もろい、それでいて尊いものである。
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 使い捨ての情報として、メッセージは送られる。何百というそれに触れ,価値のあるものとは必死の思いでなされた叫びのみなのだと知る。幸福と不幸があるのだとしたら、不幸を含むものであっても我々は彼方を選ぶだろう。よって人間は己の幸福のために生きるにあらず。彼方,永遠、あるいは地平線の向こうを求めて生きるのである。

 フォーキーの美。それが呼んでいる。super bit mappingで、フォーキーの曲線が描かれようとしている。
仕掛け人と大衆。システム設計者と大衆。フォーキーの曲線は実はギザギザである。大衆はそれに気づかない。仕掛け人はキーボードの外にいて,その宿命を背負っているのである
大衆は液晶画面の中を漂う。その中の限られた言葉の一つとして,その役割をまっとうする。そこにもちろん己は存在しない。ただし不幸も存在しない。不幸とは画面の外にあるものである。きわめて現実的なものなのだ。

 
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 網にかかった魚を食う。己は大して美味くもないなんて思っている。かかりやすい魚だったわけだ。魚はその勢いでしなり,必死の形相だ。それをうまく、うまくなだめ、うまく、うまくしならせる。魚は己の行き着くところへと行く。魚の天国。最後に魚が死んだとき,フォーキーが押し寄せる。あのなんともいえないような感情。わだかまったこの嫌悪感。吐きそうなまでの、もうそこにいてそこにはいない,自分には彼方からのオルガンの音が聞こえているのだ,魚よ


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