少し前までの右や左といった対立軸は、おおざっぱに言って近代と非近代にすり替わってしまったのかもしれない。

 日本や欧米の諸国を離れ、東南アジア等の地域をさまよう。これはいかにも「近代」に疲れ、「近代」ならざるものを求め、浸ろうとしているかに見える。しかしそれは極めて近代の個人主義的な行為だ。人権という前提の上に成り立ったルールは、国家の外でも適用されるものではない。「生まれ」と国籍は自由に選ぶことが出来ない。日本に生まれたからといって「どうして日本人らしくしなければならぬのか」との思いがつきまとう。アジアをさまよう人々は、正に、「ルーツなき世界市民」にならんとしているかのように思える。我々は自らルーツを断ち切らんとする世界小市民である。

 世界小市民は自分らにとっては当たり前の人権をかばんに入れてなだれ込む。正方形のブロックがやわらかい砂浜を転がる。砂浜に型がつく。実は砂浜もブロックを積んでみたかったのだ。型の着いた砂浜はブロックとして起きあがる。波打ち際に砂浜がなくなってしまうことはないだろうが、景色の変化に世界小市民は嘆くであろう。

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