このコーナーは rootless に関わることなどを記述してあります。
私は rootless でありたいと思っている。
ギタリスト、マーク・リボ−のアルバム、“Requiem for what's his name” は今も私のお気に入りの名盤である。
そのジャケットには、 Marc Ribot & Rootless Cosmopolitans とクレジットされている。
それを聴きはじめたとき、「ルーツなき世界市民」とは何てよいネーミングなのだろうと思った。
現在の世界市民がどのようなルールを守るべきなのかは今のところあいまいで難しいところだが、
それは今後慎重に検討されるべきであり、又、検討されようがされまいが自然に出来あがってくるものでもあろう。
そういった世界市民なる自覚を心得た上で、集団の一部としてではなく 独立した個体 としての自己を維持し、行動していきたいものである。
「日本人だから」でも、「この家の人間だから」でもない。「我はこうする」である。最終的にはこの態度を忘れぬこと。これに対する妨害は切り抜け、己の決断は必ず己の思うとおりにする。だから文句は言わない。そういうのがよいことなのである。
しかしこう言うと近代的自我の不可能性うんぬんで反論する方もおられよう。確かにつきつめれば何も出来なくなってしまうというジレンマはある。
「卵が先かニワトリが先か」といった話であろう。大事なのはそんな中でも結果だけは自己にとって最も満足できるものにするということにつきる。これが全てだといってもよい。
もちろん集団の一部となることを否定するものではない。己の意思により、集団あるいは伝統文化などを選択すること、それはまことに結構なことである。しかし、世界市民としてのルールは忘れてはならない。