第1回 11月19日 音楽

 音楽中心の『くっしーの家』も、公開開始から1ヶ月半経ちいろんな部屋
ができて充実してきた気がします。しかし曲の発表は1ヶ月に1・2曲を
目標にしてますが、どうしても不定期になってしまう。その結果ページの
目玉と言えるネタがどうしても更新できず、1回見ていただいてお終い
という感じになってしまうと思ったので連載ものを企画してみました。
上にあるニュースや下の天気は毎日変わるので楽しめるのではないでしょ
うか? 僕の書くコラムも楽しんでもらえれば幸いです。

 さて第1回目は『音楽』についてです。音楽と言っても様々なジャンルが
あり、日本でも多様な音楽が発展しているのではないでしょうか? 僕に
とって音楽というのは、聴いて気分がスッキリする娯楽的な部分もあります
が、自分を表現する1つの方法だと思っています。曲を作るようになって
最近強くそう思うようになりました。曲をつくっていると、自然とその時の
感情が湧き出てきて、自分の気持ちを再確認する事もある。

 しかし今の音楽業界はどうでしょう。歌がそれ程好きでも無さそうな、
かわいいだけのアイドルみたいな人が、「彼女には負けたくない」だとか、
「1位になる」とか、音楽の土台も無い癖に変なプライドを持ってるのに
は興醒めます。彼女なり彼なりにがんばってるんだろうけど、なんか踊ら
されてるなと思います。でもそんな人たちが今流行りのカリスマになって
しまうんだよね。僕のカリスマ的存在はB'zだと思うけど、これも人から
みたら大した事ないって思うんだろうね。だから自分の波長にあう音楽
を探して好きになればいいって事に最後的にはなってしまう。けど、
ひとりよがりにならず、たまにはいろんな音楽も聴かないと、自分が
1通りの人間になってしまうかも知れない。

 今そういう人が多いような気がする。別に音楽だけじゃ無いけど、最近
話題のライフスペースだったり、オウムも信者にとっては絶対なカリスマが
いて、他の事には目がむかないんだよね。音楽にもそういう面があると
思うので気をつけなければ。以上コラムでした。

 

第2回 11月22日 カリスマ

 最近カリスマという言葉がよく使われますが意味は、奇跡や予言を行う
超能力。また、それに類する神秘性や非合理的権威で大衆を操る資質と辞書
には載ってました。ということで、今回は前回にも少し出てきた『カリスマ』
について僕なりに美容師を例にあげて考えてみました。

 さて、『カリスマなんとか』の代表といえば美容師さんですが、カリスマ
がたくさんいすぎでないでしょうか? まずなぜカリスマと言われるのか
僕なりに考えてみる。みんな使うテクニックとかはテレビとか見てても、
名前が違うくらいで同じだったりするから、上手という要素の他に
たぶん美容師さんの個性を評価してそう呼ばれるのかも知れません。
しかしそれだけでカリスマと呼のはどうでしょう。いくら個性がつよくて
大胆な事をしようが、創造性がないといけないのではないか。
その業界を引っ張っていく力がないといけないのではないか。
ただ髪を切って、テレビに出て、カリスマと呼ばれて調子にのってるんじゃ
いけないのではないか。カリスマと呼ばれているひとがみんなこうだとは
思わないけど、カリスマという言葉に切られる側が踊らされてるのでは
ないでしょうか。髪を切って気分が変わるということはよくあるけど、
結局個性は自分が出すものだから、美容師は個性を与えてくれる人では
ないとおもいます。そんなにありがたがる必要もないと思います。
このままだとドラゴンボールのスーパーサイヤ人みたいにめったに表れ
ないはずなのに、みんながカリスマ美容師になってしまう。
もしかしたら子供の髪を切るお母さんとかまでカリスマ美容師になっちゃう。

 カリスマという言葉を日本人がひかれるのは結局自分達に個性がない
からで、人の個性をみて満足したり、それに近付き、接することで自分にも
個性ができたと錯覚したいからではないでしょうか? 人に依存しすぎです。
だから今怪しげな集団とかが事件を起こしたりするのではないでしょうか。
これから自分の個性を見つけれるよう努力しないと、日本社会は
超画一国になってしまうのではないでしょう。教育現場でももっと
個性を伸ばすことをしなければ、解消されないと思った。
以上コラムでした。

 

第3回 11月30日 ロケット

 最近日本の"H2ロケット"が打ち上げに失敗して、いろいろ新聞などで
言われていましたが、今回は僕なりに大学の授業を踏まえた上で、
宇宙開発について考えてみたいと思います。

 まずは今回の失敗についてですが、原因は燃料を供給する部品にひびが
はいっていたみたいで、十分推力を得ることができず宇宙に出れなくて
爆破することになったそうだ。しかし、みなさんはこれについてどう
思うだろうか? 「ひびなんかあったの? 適当に作ってんじゃない?」
と思うかも知れない。実際これまでの打ち上げで成功している分余裕が、
油断になったのかもしれないが、成層圏など過酷な条件下に置かれた
ロケットの精度を考えると、失敗してもしょうがないといわざるおえない
のかもしれない。
 
 ロケットは20万個を超える部品からできていて、それぞれに信頼度
とも言える精度が、部品を作る行程から割り出され、%で定義されている。
例えばこの部品は99%の確率で大丈夫だというふうに。
もし今すべての部品が99.9999%で大丈夫としても、20万個集まると、
1つも問題を起こさない確率は、80%程度にしかならない。しかも部品の
精度というのは、海に浮かぶ船でさえミリの誤差を許さないんだから、
ロケットの場合ねじ1個とってみても、ミクロンの単位の誤差を考えないと
いけなくなる。ホントに目では見えない歪みとかが命取りになる。しかし
いくら機械を使ったところで誤差は出てしまうので、精度が落ちてしまう。

 マスコミでは350億円もの税金が空の塵になったと言われているが、
ロケット技術は日常生活いたるところで応用されており、携帯電話など
そのものだと思う。電池を長持ちさせたり、軽量小型化、電波の質をよく
するなんてのは、宇宙技術開発の賜物だと思う。それに少し専門的になって
しまいますが、ロケットには様々な観測器機が積まれていて、宇宙の起源を
探ることにより、原子をつくる素粒子について理解することができ、
新しいエネルギーを見つけることができるかもしれないのです。
だからムダだと簡単に片付けることはできないのではないでしょうか? 
以上コラムでした。

 

第4回 12月12日 理科離れ

 最近「理科離れ×2」と良く言われ、某テレビ局の11時から始まる
ニュース番組でも最近取り上げられていました。今回は、理系の立場から
この問題について考えたいと思います。

 そもそも何が原因でこのような状況になっているか考えてみると、まず
最初に挙げられるのは、最近の「めんどくさい」ことは嫌だという風潮の
せいではないか。理科や数学といった教科は考えて理解するという要素が
強く、問題を解いたりするのにも時間がかかるものである。しかし、今の
小中高生にはその時間がないのです。受験に向けてたくさんのことを覚え
ないといけないのに、理系科目は理解に時間がかかり、解き方さえ覚えれば
いいという感じなのではないでしょうか。それに具体的な措置もきまらない
まま、半週休2日制導入にともない授業時間は削られ特に理科がしいたげら
れているそうです。そのため十分理解する時間が与えられず、授業だけが
進んでいく状態なのではないでしょうか。だからすぐ理解できないことに
罪悪感に似た感情を持ってしまい、「めんどくさい=嫌い」という言葉で
かたづけてしまうのではないでしょうか。

 それに、今の子というのは考えるのを避けているのではないか。既成の
物に満足してそれを自分だと思っている気がする。それをよくあらわす例を
挙げると、『卒業文集』である。今の子は、人気のある歌の歌詞を写して
お終いというのが多い。僕が中学の頃は、思い出などを書いたり、歌詞を
写したとしても、自分の気持ちをよく表す歌という形で紹介するぐらい
だった。本当に考えることを避けてる気がする。それも考える力を育てる
理科教育に力を注げれない状況に学校があると思う。すごくこじつけに
思えるかも知れないけど、僕はそう思う。

 理科離れが進むにつれどんな問題が出てくるかといえば、極端な話
何も考えることなく、一部の生産者からすべてのものを受け入れる
世界になってしまうのではないか。 今身の回りにあるものが、どのような
原理で動いているか知ってますか? 蛍光灯はなぜ光るのですか? 
テレビはどのようにして映り、電波はどうやって受信するのですか?
これらをスパッと答えれる人は少ないでしょう。今でもこういう感じで
身のまわりでどんなことが起こっているかわからないのです。

 もしこのまま理科離れが進めば、より複雑で分からない便利な物が普及し、
正しい知識を持たないまま使用すれば、もしかすると東海村で起こった事故
とまではいかないにしろ、似たような事故が家庭で起こるかも知れない。

 進歩しつづける科学技術に歯止めをかけない科学者達にも問題があるかも
しれないが、理科的な知識を持つことは日常生活を送る上で大切ではないか。
この先子供達に「なぜ?」と聞かれて全然分からないようでは恥ずかしいし、
その大切さを教えることもできないだろう。余計考えることをしない世界に
しまいそうだ。

 今日の夜空がぼわっと白く光ってたのを知っていますか? これは地上の
光が雲に反射して光ってるようにみえるんです。それだけムダなエネルギー
を放出してるってことですよ。ただ変な空だって思うだけじゃなく、「なぜ」
ということを考えなければ、今ある問題は見えてこないだろうし、理科にも
目が行かないでしょう。

 最後に、理科離れというからには「文学定着」なるものが進んでいるの
ですか。ただ勉強離れが進んでるように思えます。以上コラムでした。

 

第5回 12月23日 90年代

 今年も残すところあと少し、同時に90年代も終わろうとしています。
来年からは何年代といえばいいのでしょう。もしかしてゼロ年代かも。
なんかかっこわるいですね。言葉の世界にも2000年問題発生です。
今回は90年代について振り返ってみたいと思います。

 まずは社会についてですが(僕は専門家でも評論家でもないのでひどく
誤解してる部分や、勘違いしているところがあるかもしれませんが、
僕の考えだと思って読んでください。)、特に後半このままでは日本は
いけないという感じが強くなってきた。まず政治についてだが、始めて
連立政権が誕生したのが93年。それから連立するのが流行って、
政権維持のために考え方のまったく違う政党が組んだりして、いろいろ
内閣が変わっていた時代であった。しかし内閣が変わるだけで、いっこうに
景気が回復する兆しは見えない。また、東海村の臨海事故で見られるように、
政府の失敗を隠す、または小さくしようとするのでは、失敗に学ぶことなく
同じことをくり返すだけだろう。東海村の事故は、今年の世界のワースト
ニュースに入るぐらい悲惨な出来事なのに、国民も危機感がなさすぎる。

 次に起こる事件が、ひどく個人的になった気がする。最近殺人事件が
いくつかおきているけども、どれも突発的とは言い難く、個人的な恨みや、
計画性の強い物のような気がする。またこれらを捕まえる警察の不祥事が
相次いだ。ほんとに日本人が腐ってきてる気がする。

 映画「オースティン・パワーズ」で僕らが笑うように、将来90年代が
笑われなければいいんだけど。逆に悲しまれるかも知れない。
以上コラムでした。


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