第16回 4月18日 文理


 いきなりですが、文理と聞くとみなさんはどんなイメージを思い浮かべ
ますか。 たぶん学校で勉強した文系教科・理系教科というのを思い出す
のではないでしょうか。ある意味この『文』と『理』はうまく教科という形で
分けられているとおもいます。でもこのような分け方はほんとうに良いので
しょうか。

 では次に文理を形や色で表してみて下さい・・・。
僕は『文』が、すごく滑らかな球状な形(赤血球みたいな)で、土のように
とても自然で落ち着く色、『理』がカクカクした直方体や立方体で、金属の
ように光沢のある冷たい銀色のように感じます。どうしてこんなふうに感じる
か考えてみると、『文』というのは文化的な物で細かく分ける事ができない
1つの集合体であり、『理』というのは細かく単元分けすることが可能で、
法則に則った物だからではなでしょうか。でもこれは授業の進め方・教科書
のイメージが強く、本当に文と理の区別ができているわけではないと
思います。

 どうしてこんな事を考えたかというと、今自分の勉強している物理はどのよ
うな物なのか不思議に思ったからです。他の化学や生物とは違って物理は
名前が「物の理(ことわり)」となんとも禍々しい。これが一部の教授に見ら
れる物理こそが全てを支配するという物理帝国主義の元になってるのでは
ないか。

 一応ある程度勉強してそういう側面を持つ学問だとは思いますが、やっぱり
全てを記述・説明できる物だとは思いません。それは『文』の部分です。
言葉を代表として文化という物は、きっと精神構造が解明されようと式などで
表す事ができないだろうし、コンピューターにコピーするのも難しいと思う。
というか、物理という物も、文化があるからこそ使う事ができるのだと思う。

 よく数学は物理などの道具と言われる(数理の人ごめんなさい)が、数学と
いうのももとは哲学から来ている物であり、物理もそうといえる。結局学問は
文化からきている物で、文理と区別する必要がない気がする。共存するから
こそ専門分野ができる。

 これが今日現在の僕の考えです。理の直方体・立方体も無限に繋がれば
球状に見える。いろんな球状の学問ができて、1つになったり分裂したりと
さまざまな方向に発展していくのではないでしょうか。そのうち文理の他に
第3のなにかができるかもしれない。以上コラムでした。

第17回 4月28日 新学期

 4月になり、みなさん新しい気分になってるのではないでしょうか?
学生は新しい学年になり、社会人は1年目が2年目、2年目が3年目と
経験など増えていく。どうして4月はこんなふうに、気分をあたらしく
してくれるか知っていますか? それは学校でいう3学期と1学期の間に、
実は思春期があるからです。みんながドキドキし自分を見つめるあの思春期
です。僕にもここでは言えないよう思い出がいっぱいあります。これは大人に
なっても続くと一般的には言われています。だから思春期の影響で、新年度は
とても新鮮で改まった気分がするものなのです。同じように1学期と2学期の
間には夏休みを終わりたくない反抗期。2学期と3学期の間には寒さが原因の
倦怠期があります。以外に知られてないので、みんなに教えてあげて下さい。

 と変な話はこれまでで、「夏休み・冬休みなどは何学期なんだ?」と疑問に
思ったことはありませんか。これは自治体によって違うんですが、多いのが
1学期:4月1日〜8月31日、2学期:9月1日〜12月31日、
3学期:1月1日〜3月31日と言う分け方です。だから夏休みは1学期で、
冬休みは2・3学期を春休みは3・1学期をまたいでるんです。
「いつから新しい学年なんだ?」とよく不思議に思いますが、4月1日から
1学期なので新学期が休みから始まると思えば納得です。それでも納得でき
ない人は、4月1日〜始業式までを思春期休みだと思えば準備万端。

 最近知ったことなんですが反抗期と言うのは、中学高校で始めて起こる
ものではなく第1反抗期は3才ぐらいで、「ぼく」「わたし」という自己意識
が芽生え、自己領域の拡大することにより親などに反抗するようです。
思えばなんでも自分でやりたかったりして、親にしてもらうのを嫌がるような
気がします。

 ということで、今回は「〜期」について考えてみました。最後に夏休みに
出校日があるのは昔先生が学校にボーナスをとりにくるから生徒も呼ぼう
というのがはじまりみたいだということをお伝えして、コラムを終わろうと
思います。


第18回 5月11日 やる気

 みなさんは何かしようと思っている時、誰かに「〜しなさい。」と言われて
やる気が無くなってしまったという経験はありませんか? よくありそう
なのが「勉強しなさい。」ですね。こんなふうに人にいわれてやる気が
無くなるのもちゃんと心理学的に研究されているみたいです。ということで、
ゴールデンウイークも終わり普通の生活がんばるぞという今日は、『やる気』
について考えようと思います。

 やる気とはそもそもなんなんでしょう。感情なのか意識なのか。もしか
したらその両方であり、どっちでもないかもしれない。僕的には感情に近い
物だと思う。意識的にやろうとしても、集中できなかったりすることが多い。
自然にやろうという気分になって、体もそうなんだーと言わんばかりに
思った通り動く。これがやる気のある状態であり、やる気は意識とは別の
体や心を動かす原動力になるのだと思う。だから人からやろうという時に
声をかけられると自分のやることを意識してしまって、自然じゃ無くなり
やる気が小さくなってしまう事があるのだと思う。

 次にやる気を起こすにはどうしたらいいか考えてみましょう。それはたぶん
自然任せだと僕は思います。人それぞれ生活する環境が違い、求めるもの
希望などその瞬間瞬間で変わってくるものだと思うからです。体が自然と
反応してくれると僕は期待も込めて思っています。今少し将来(進路)に
迷っているため余計そう思います。これからの経験がいい刺激になればとも
思っています。

 最近少年犯罪が多くよく見られます。原因は学校であったり、家庭や友人
関係にあるなど色々いわれますが、いまだ良く分かっていません。僕も心理学
の特別な知識があるわけではありませんが、豊川の主婦殺害、バスジャック
にしろ計画的なものであり、そこにはやる気があったはずだと思います。
やる気が起きた原因はやはり周りの環境にあったのかもしれませんが、
それを押さえることも日常はできたはずです。それにバスの乗客は事件前
バスを待っている時にバスターミナルうろつくを少年を見て、不振だと思った
そうです。もしそのとき「どうしたの?」と声をかけていれば、やる気も
小さくなり事件は未然に解決したのかもしれない。だからこのような問題は、
ただ単に犯人となった少年だけでなく、社会全体を通して考えなければ、
根本的な解決にはならないということで、コラムを終わろうと思います。



第19回 5月22日 スラダン

 『スラダン』と聞いて何か分かる人はどのくらいいるでしょうか。こんな
ふうにみなさん略さないかもしれませんが、僕はいつもこうやって呼びます。
それは今までで読んだ中で一番面白いマンガの1つであり、僕がバスケットに
興味を持つきかっけになった。そう『スラダン』=『スラムダンク』です。
最近一気に全31巻を読んでまた感動してしまったので、それを伝える事が
出来たらと思いコラムのテーマにしました。

 知らない人もいるかもしれないので少しだけ紹介をしましょう。スラム
ダンクは少年ジャンプに平成2年の42号から平成8年の22号まで連載され
テレビでもアニメ化された作品です。内容は、その当時では絶対に読者ウケ
しない漫画界のタブーと言われていたバスケットボールを中心にしたもので、
バスケ初心者の問題児『桜木花道』の成長と全国への道を追っています。
タイトルであるスラムダンクとは、バスケットのゴール(リング)に直接
手でボールを入れるダンクの、ものすごい(リングが壊れそうなまでの)
ものの事です。タイトルの響きもかっこいいですよね。

 どうしてタブーと言われたバスケマンガがこんなに多くの人に受け入れ
られたか考えてみると、NBA人気のせいもあったりするかもしれないが、僕は
やはりマンガ自体のおもしろさ・リアルさだと思う。登場人物のおもしろさ、
人間関係、性格などひとりひとり本当の人間のように細かい所まではっきり
個性というものが出てて、素人がすごいスピードでうまくなっていくという
ストーリーとも相まって、まんがとしてのおもしろさが凝縮されている。

 それに作者井上雄彦のバスケットに対する愛着が、本当のバスケットって
こうなんだというリアルさを教えてくれる。試合展開や、個人の能力なども
人の限界をこえる事(NBA選手並の能力をみんなもってるが)がなく、
必殺技というようなすごいものもない。しかしそれ以上にストーリーは派手
であるし、人を引き付けるものがある。このリアルさによりたくさんの人が
バスケットに興味を持ち、部活などに入らないにしろバスケを体育などで
やるときにはスラムダンクを意識したでしょう。

 僕はスラダンが大好きです。毎回最後の湘北対山王を読むと涙が出てきます。
そのたびもっとバスケうまくなりたいなと思い、練習が待ち遠しくなります。
サークルでもスラダンのネタでよくしゃべります。なんでそんなところまで
読んでいるんだという感じで、毎回ストーリーには関係ないですが発見が
あります。いろいろな問題があるみたいですが、続きを見てみたいです。
でもそうすると湘北にゴリ級の助っ人が必要になりそうだからなぁ。もしか
したら角田が進化するのか。とこんな感じでストーリー的に無理が出そう
だから続かない方がいいかもしれないとどっちがいいんだろなーとい感じで
コラムを終わろうと思います。

第20回 7月2日 教育実習


 「久しぶりにコラムの時間です。」本当に久しぶりで1ヶ月ちょっと休んで
しまいました。今回は気合いを入れて書いてみたいと思います。知ってる人も
いると思いますが、僕は6月12日から23日まで母校(高校)に教育実習に
行ってきました。おわって1週間が経ち、大学に提出する書類にいろいろ感想
を書きましたが、それに書けなかった事、書けない事などこの場を借りて最後
のまとめをしようとと思います。

 最初に感想を言うと「すごく楽しかった!!」。生徒とも仲良くなって充実し
た2週間を過ごす事が出来た。しかし本当に生徒は僕の事を先生だと思ってくれ
たのか疑問だ。実際自分も先生であり生徒(大学生)である教育自習生という
立場で、どう生徒と接するか悩んだし、母校という事もあって気持ちがどんどん
高校時代の自分に戻り、生徒と先生という付き合いができなかったかもしれな
い。このような関係が本当はいいかもしれないが、僕が生徒の先輩であるとか、
年が近い大学生だからという要因でそれが実現した感じが強いので、本物の教員
になれたときどうなるのか、この思い出を引きずってしまわないか、不安では
ないけども、少し考えさせられた。

 次に先生という仕事について。教育実習でほんの少しだが生徒には見せない
先生の仕事というのを見れたと思う。授業もその1つだが、それ以外にも学校
がうまく機能するよういろいろな役割を受け持って仕事していた。大変の一言
だが、そんな仕事に僕は憧れ密かに自分が向いてるのではないかと思っている。
今回の実習ではそのような仕事をすることはもちろんなく、授業を成り立たせる
というのが一番の課題だったと思う。僕は授業を行う上でこのようなことを
考えた。このコラムでも取り上げた『理科離れ』を微力ながらも食い止めること
ができないだろうか。これを実現するには2週間は短すぎるが、少しでも生徒
に刺激(インパクト)を与えられたらと思っていた。

 どうやってかと言うと、授業中教卓の上でちょっとした実験をして、
「おぉー」「すげー」と思わせることにより刺激を与えようと思った。でも
それだと今までの授業と余り変わらない。もしかしたら注目されないかもしれ
ない。そこで僕は自分の個性を全面に押し出して授業をしようと思った。別に
ウケ狙いというわけではなく『楽しい授業』をしたかった。その甲斐あってか、
授業の最後にとったアンケートでは『おもしろかった』『良く分かった』という
回答が結構あってすごく嬉しかった。なかには『小ネタばっか』『ネタをみがこ
う』という僕は芸人かと思ってしまうのもあったけど、これはこれで僕の授業
を肌で感じてくれたんじゃないかなとポジティブシンキング。授業自体もみんな
ちゃんと聞いてくれて授業しやすかった。本当に授業は生徒との共同作業。

 こんな風にいいことばかり書いているが、小ネタを不快に感じた生徒もきっと
いるだろうし、僕の説明が悪くて一生懸命聞いてくれたにも関わらず理解でき
なかった生徒も多いかもしれない。理科離れ防止ネタをやれたという充実感は
十分すぎるほどあるが、生徒の理解と言う点ではまだまだ本物にはかなわない
という力の無さを感じた。でも教育実習生としてはきっといい授業が出来たと
信じたいし、刺激を与えれたと思う。これから本物の先生になるためもっと
がんばらないといけないし、なってからもよりよい先生になるため教育実習で
感じた事を忘れないようにしよう。以上コラムでした。


BACK!!