僕はまだまだ村上春樹を語るに足る力量があるとは思えないのですが、今僕がどう感じるかを何とかそれなりに形にしてみたいと思います。
まず僕が最初に書いておきたいのは、僕の中でこの作家への評価がとてもとても高いことです。なぜそう思うかというと
1、難しい言葉を使わない。
2、視点が鮮やか
3、オリジナル
この三点が理由です。 まず第一の点ですが、これは彼の文章を読んでみればすぐに分かります。彼は特に難しい四文字熟語を使うわけでもなく三島由紀夫のように一般人にはわかりずらい仏教用語を使うわけでもありません。日常的に使っている単語を駆使することによって彼の作品世界を構成していっています。これは村上春樹の優れた点であり、また攻撃される点でもあります。なぜこれが彼の優れた点かというと、難しいことを難しい言葉で書くとは簡単であり、かれはそれを敢えて放棄している、と僕は考えるからです。例えば最近日本人でノーベル賞をもらった人ですよね(誰とは書きませんが)。彼の文章は非常に読みずらいです。ひょっとしたらただ単に僕の頭が足りないだけなのかもしれませんが、それにしても難しすぎると思います。彼の文章はインテリ層には受けるかもしれませんが、一般人に向けて書かれたものとは思えません(ただ僕も全部読んだわけではないので、これも偏見かもしれませんが)。内容は確かにいいのですが、「もっとわかりやすく書けよ」というのが僕の正直な感想です。
それとは対照的に、村上春樹に日常的な言葉を普通に使ってとても有効に文章を作ります。例えば彼の比喩です。何故彼がたくさんの比喩を使うかというと「難しい言葉を使わない」というところに理由があると僕は考えます。彼は比喩やその他の文章的テクニックを使って世界の厳しさ、生きることの辛さ、人間関係、そして男女関係を効果的に表現していくのです。その辺が「現代の夏目漱石」と村上春樹が呼べれるゆえんなのです。
第二の点ですが、これもちょっと読んでみればすぐに分かります。歴史的な事実や、現在そこにある事実をちょっと他の人とは違った視点から村上春樹は見ていきます。例えば、彼の小説の主人公がなぜ友達を持たないのか、と誰かにきかれたとします。ここで、凡人は「一人が好きだから」とか「誰かと一緒にいると疲れるから」などというのでしょうが、村上春樹の小説の主人公は少し違います。彼の答えは「がっかりしたくないから」。いいですねえ。この圧倒的に否定的なところが。他でもちょっと社会的に見てみれば、彼の主人公は今の社会が無駄(ごみやら無駄な道路を作る政策など)に対してもシニカルに対応します。何故無駄があるのか?ときかれれば主人公は「それが高度資本主義社会の原則だから」と簡単に切って捨てます。つまりもし日本人が無駄をまったく生み出さなくなればそれは東南アジアの人々への多大なダメージを生み出すだろう、ということです。これらはほんの一部なので是非とも村上春樹の本を読んでその全貌を見ていただきたい。
村上春樹はオリジナリティについて語るときにいつも「他人と違うことを語りたければ、他人と違う語り方をすればいい」というスコット=フィッツジェラルドの言葉を引用します。これはまさしく村上春樹の作風の根底を作っているのですが、短編や初期の長編にそれは如実に表れています。今までにないものを作る、という姿勢のもと彼はかなり冒険した作品を作りました。それらが初期三部作ともいわれるものです。あまりに日常的なことや、かと思うと妙に観念的なことが同時に書かれているので読む方は少々当惑しますが、そこにはそれまでにない作風があります。今でこそ「普通っぽい」作品もありますが、それらも昔からの積み重ねがあってのものではないかと思います。
これらは村上春樹を考える上で本当に入門でしかないのですが、とりあえず書いてみました。もっと詳しいことはこちらでどうぞ。