素晴しき御言葉


村上文学の素晴しさを表現するのには、実際に彼の言葉いくつか選んでいくしかないのではないかということで、ここでは彼の言葉を(作品順に)並べていきます。



風の歌を聴け(文庫) P12

。。。文章を書くことは楽しい作業でもある。生きることの困難さんに比べ、それに意味をつけるのはあまりにも簡単だからだ。(文章について)

-----素晴しいの一言につきます。処女作にしてすでにこれだけのことを書いてしまうのだからさすがです。この一節のあとになぜ文章を書くかについての説明がきて、それもまた素晴しいのですが、それを抜きにしても充分です。このフレーズを読む度に、もう少し生きてみよう、と思いますね。彼は文章を書くこと、つまり言葉を他者にたいして発することに悲しいまでの絶望を感じているように思えます。それはこの「高度資本主義社会」では仕方のないことなのかもしれませんが、彼はその絶望を内包したまま文章を作り出していきます。ではなぜか?その答えは後期の作品で出されているような気もしますが、まだ撲には良くわかりません。

風の歌を聴け(文庫) P27

「ねえ、人間は生まれつき不公平に作られてる。」
「誰の言葉?」
「ジョン・F・ケネディ」

-----これもまた人には(現実社会では)理解されにくい冗談のひとつです。村上作品の共通項として「笑えない冗談が多い」というものがありますが、これもそのひとつでしょう。彼の作品では苦笑はできるものの気持ちよく笑える冗談が非常に少ないです。ちなみにこの冗談は何が面白い(はず)かというとケネディの政策のひとつに公民権運動があり、ケネディはこの運動を通して黒人にも選挙権を(だったかな?)公平に与えようとしたのです。つまり「人間は生まれつき不公平に作られてる」というセリフからは遠いところにある人なんですね。つまりそこで「なんでやねん!」とツッコミが入るはずなのです。しかしながら正直いって実社会では面白くない冗談です。しかしながらこのちょっとしたインテリジェントな冗談がまた魅力なのです。

ねじまき鳥クロニクル 3 (文庫)P49

もちろん金には名前はない。もし金に名前があったなら、それは既に金ではない。金というものを真に意味づけるのは、その暗い闇のような無名性であり、息をのむばかりに圧倒的な互換性なのだ。(赤坂ナツメグとの会話のあとで)

-----この一節は村上春樹世界における「僕」の金に対する姿勢を表現しています。「僕」は決して金に依存することはありません。なぜならそれは「暗い闇」に依るのにも似た意味のない行為だからです。しかし、それと同時に「僕」は金の圧倒的な「互換性」ゆえに頼らずには彼の必要とするものをてにいれることは永遠にないのです。この「依存したくはないが頼らなければいけない存在」としての金というものが、高度資本主義社会で生きていくことを運命づけられた「僕」の哀しさを表わしていると僕は思います。

ねじまき鳥クロニクル 3 (文庫)p60

彼は口元に楽しげな微笑みを浮かべていた。ついさっき何かとても愉快な冗談を聞いたばかりというようなとても自然な微笑みだった。それも下品な冗談ではない。一昔前の外務大臣が園遊会で皇太子に向かって口にして、まわりの人々が小さな声でくすくす笑うような洗練された冗談だ。(赤坂シナモンの笑顔を形容して)

-----いいですねえ。絶妙です。凡百の作家であればさらっと済ましてしまうようなところも村上春樹はとことん追及していきます。世の中にはたくさんの表情を形容するための言葉がありますが、実際にはそれだけでは表現しきれないだけのの表情が状況によって存在します。村上春樹という作家はそれら一つ一つにうまくあった表現をつくっていくことのできる希有な作家なのです。これひとつとってみても「それってどんなんやねん」とつっこみたくもなりますが、とてつもなく上品ということだけは理解できます。こういう表情をつくれるような俳優がいるでしょうか?おそらくいないでしょう。だからおそらく村上春樹は自分の作品を映画化するのを嫌うのでしょうね。


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