責任と自由

自由、誰もが自分で判断し行動する。
確かに素晴らしいことだ。
自由を奪われたとき、人は人でなくなるだろうとも思う。

しかし我々は完全な自由ではない。

国においては憲法、法律。
県や市などの自治体では条例。
学校には校則がある。
家庭によっては家族のルールがあるかもしれない。
野生動物でさえもルールを守って生きている。
我々は自由といいつつも自らルールを作って、さらにそれを破れば罪として罰することも決めている。

では何故ルールが必要なのか?

20才をすぎるまで色々なことに制限がある。
タバコ、酒、自分で電話も買えないし、エロビデオも借りられない(正確には18だが)
自由がないといえるだろう。

なぜだろうか?
我々は自由じゃなかったのか?

それは、責任を自分でとることが出来ないからだ。
10代で捕まっても名前は非公開で刑務所に入ることもない(少年法が多少改正されたが基本的には)
責任を取らなくていいのだ。
その代わりに行動が制限されている。
(親が許可した場合の親の責任は発生する。)
自由ではないが責任はない、ってことだ。

と、いうわけで本題に入るが

その人に責任をおってもらいたいなら、その人の言う通りにしたらいい。

そのかわりに自由は無い。

ってことだ。

自由を制限されたくなければ責任を果たせ。
そうすれば誰も文句は言わない。
やりたいことだけやって楽しかったでは済まない。
責任がとれないならばそこには決まりごとが必要になってくる。
(行動を制約、禁止 etc.)

確かに面白くなくてはいけないがそれだけではダメなんだよ。
逆にそれだけやっていて問題だらけになってしまっては面白くもなくなるだろう。

色々考えてみよう。
人が多くなってきたしルールを明文化させてもかまわないが
基本は行動する前に判断するということ
自分が行おうとしていることがどんな結果を生み出すことになるのか
みんなは楽しんでくれるのか
問題が起きずに終わるだろうか
次回のイベントにも影響があるかもしれない
etc.etc.

もう高校生じゃないしエロビも借りられるし自分の行動に責任を持とう。
ビデオを借りることを許されても借りる借りないは個人の自由だ。
でも、それで「おれの性観念が変わった〜」って文句言っても誰も謝ってくれないってワケ
ちなみに俺は借りるw
悲しいことにもう、僕ら大人なんです。
誰も守ってくれないんです。
自分の行動に責任を持って自由を勝ち取ってください。

もし「俺シラネ〜」とか「私じゃないし」とかいう奴ばっかりなら
「〜は禁止。」「〜は強制」などの規約が必要になるだろう。

何かしたいことがあれば、まずそれが誰かに害を及ぼさないかを確かめてから、
他人がどう思うか気にかけることなく、それをしてください。(ラエルの言葉より)