JON BON JOVI
パート:リードボーカル、バッキングギター
本名:ジョン・フランシス・ボンジォヴィ
誕生日:1962年3月2日
身長:177センチ
目の色:ディープブルー
髪の色:ゴールデン・ブラウン
カソリック教徒として育てられた。
映画にも興味を持ち、脚本を選びながら出演しだしている。
JON BON JOVI 、BON JOVIデビューまでの歴史
| 1950年代終わり〜 | ジョン・ボンジォヴィ・シニア(後にジョンの父)がアメリカ海兵隊に入隊。海軍の事務員をしていたキャロル・キャーシー(後にジョンの母)と恋に落ち、結婚する。ジョン・ボンジォヴィ・シニアは海軍を辞め、ヘアドレッサーの職に落ち着く。キャロルは、ニューヨークのプレイボーイ・クラブでバニーガールとしてお金を稼いだ。そのままエンターテイメントの世界に入ろうとしたが、妊娠によって計画が崩れる。 |
| 1962年3月2日 | ニュージャージー州パース・アームボーイにて、ジョン・ボンジォヴィ・シニアとキャロル・キャーシー・ボンジォヴィの間にジョン・フランシス・ボンジォヴィ(ジョンの本名)が生まれる。 |
| ここからJON BON JOVIストーリーが始まる。 | |
| 1967年秋 | パース・アムボーイのホーリー・ローザリー幼稚園に入園。父方の祖父エリザベス・ボンジォヴィがジョンの人生に大きな影響を与える。 |
| 1973〜74年 | 職業としての野球に真剣に興味を持ち始める。 |
| 1974〜75年 | クリスマス休暇のあいだ、母キャロルが開店した花屋で働く。 |
| 1975年夏 | 友人の家のガレージで、始めてバンドの体験をする。しかしエアー・バンド(好きなレコードをかけて、楽器を演奏するまねをする事)だった。 |
| 1976年3月2日 | ボンジォヴィ夫妻は、ジョンの14歳の誕生日にアコースティック・ギターを贈る。近所に住むギター教師、アル・パリネロから、ジョンはギターのレッスンを受け始める。アニマルズの「House of the Rising Sun」をマスターする。 |
| 1976年初春 | 始めてのアルバム、ボブ・ディランの「Blood on the Tracks/血の轍」を買う。 |
| 1976年夏 | 初の本格的なバンド「レイズ」結成。「Jumpin' Jack Flash」「Strutter」「Johnny Be Good」を覚えて地元のタレント・ショーに出演したが落選。 |
| 1977年 | 高校の廊下でギタリスト、ウィリー・ハーセックと出逢い、10人組のプロのR&Bバンドアトランティック・シティ・エクスプレスウェイ(A.C.E)を結成。キーボード奏者、ディヴィッド・ラッシュバウムがA.C.E.に加入。年齢制限に引っかかるものの、A.C.E.はジャージー海岸沿いのナイトクラブで、プロとしてのライブ活動を開始。 |
| 1980年春 | ジョンはA.C.E.を脱退し、ジャック・ポンティがリーダーをつとめる「ザ・レスト」(時により、ヘクター・ジーザス&ザ・ミラクルズとも呼ばれた)に加入する。サウスサイド・ジョニーらが「ザ・レスト」のデモテープをプロデュースしてくれたが、レコード契約には結びつかなかった。この時期ドロセア(後にジョンの妻となる)と出会っている。 |
| 1981年 | ジョンは身の振り方が問題となり、ジャックから「ザ・レスト」をクビにされる。しかし、ジョンとジャックの親しさは続くことになる。(BON JOVIのデビューアルバムの「Shot through the Heart」はジョンとジャックの共作である)ジョンのいとこ、トニーボンジォヴィがいるパワー・ステーション・スタジオで、住み込みの雑用係として雇われる。マンハッタン在住の音楽講師、ハリー・ガーランドから歌のレッスンを受け始める。また、パワー・ステーションでは、ディヴィッド・ボウイ、スティーヴン・タイラー、ブルース・スプリングスティーンなどの仕事ぶりを観察する機会を得る。ギターのウィリー・ハーセックと共に「ザ・リチャーズ」を結成し、オリジナル曲「Don't Keep Me Wondering」「Don't Leave Me Tonight」など(THE POWER STATION YEARS 1980-1983 に収録)をレコーディングする。「ザ・リチャーズ」を解散し、ディヴィッド・ラッシュバウムと「ジョン・ボンジォヴィ&ザ・ワイルド・ワンズ」を結成し、「Runaway」を含むデモ4曲を録音する。 |
| 1982年 | フランキー・ラ・ロッカ(ドラマー)、ティム・ピアス(ギター)、ヒューイ・マクドナルド(ベース)、ロイ・ビタン(キーボード)、のメンバー(THE ALL STAR REVIEW)で、「Runaway」をレコーディングする。レコーディングし直した「Runaway」とワイルド・ワンズデモを含むジョンのデモを売り込むが、全社から断られる。ザ・ワイルド・ワンズは解散する。ジョンとディヴィッドは西海岸で全力でデモテープを売り込むが、断られ続ける。元パワーステーションの従業員、レイ・ウィラードが「Runaway」をWAPP(FM局)にエントリーさせ、ニューヨーク地区で優勝。 |
| 1983年冬 | ザ・ワイルド・ワンズを再結成する。メンバーはティコ・トーレス(ドラムス)、ディヴィッド・ラッシュバウム(キーボード)、アレック・ジョン・サッチ(ベース)、デイヴ・セイボ(ギター;現在はスキッド・ロウに在籍)。まもなく、デイヴ・セイボが脱退し、リッチー・サンボラ(ギター)が加入する。この最終メンバーで、ニュージャージーのクラブでライブを多くこなしていく。 |
| 1983年6月1日 | レコード会社と契約し、バンド名が「BON JOVI」に決定する。 |
| 1983年9月24日 | マジソン・スクエア・ガーデンで、ZZトップのオープニングアクトを務める。 |
| 1983年後半 | ドグ・マッギーおよびダグ・タイラーとマネージメント契約を結ぶ。 |
| 1984年1月 | デビューアルバム「BON JOVI(夜明けのランナウェイ)」をリリースし、BON JOVIの快進撃が始まる。 |
女性歴
| 1978年 | 高校でミュージカルをやった時の相手役エイドリアン・ピアーと約3年間つきあう。 |
| 1980年 | ドロセア・ハーリーと出会う。(ジョンがドロセアに、歴史の宿題を写させてくれるよう頼んだのがきっかけ) |
| 1984〜1985年頃 | ドロセアとの関係がこじれ、女優のダイアン・レインと一時的につきあう。ドロセアとのこじれによる感情は「7800°FAHRENHEIT」の「Only Lonely」や「Silent Night」にあらわれる。元ラナウエイズでロック・シンガーのリタ・フォードとも付き合ってみたが、進展はなかった。 |
| 1985年 | ニュージャージーに戻ったジョンはドロセア・ハーリーと暮らし始める。 |
| 1989年 | ドロセア・ハーリーと結婚する。 |
参考資料: 「ボン・ジョヴィ」 ラモーナ・ジャン著 小倉ゆうこ訳 CBSソニー出版
|