半年を振り返る
 やっと10月。今まで生きてきた中で、「やっと○○」ということは結構あった。例えば、マラソンのゴール、これはちいさな“やっと”ではあるが、それもやっとである。  話が逸れてしまったが、本当に、この半年を振り返ると大きなコトが沢山あった。様々な感情が入り乱れる中で色んなコトをした。人生を見つめ直して、仕事について色々悩んだ4月、長男としての自覚を嫌と言うほど見つめ直させられた5月…その後も様々な問題や岐路を越えて、色んな意味で成長出来た半年かもしれない。勿論、この半年の中で沢山の自暴自棄もあった。人間としてしてはならないことも幾つか経験した。ここで発表出来ることから発表出来ないことまで…。そして、そんな反社会的な経験を積むことで成長した部分もある。  兎に角、長く、重い6ヶ月だった。でも、この半年を過ぎ、振り返ってみると、本当に自分にとって大きな半年だったなぁと思う。  そういう意味で『やっと半年』。マラソンはゴールが定められている。だから、ゴールが見えた時、「やっとゴールだ」と思えるが、人生のゴールは見える物ではない。結果的に自分が望んだ結果に辿り着けるまでは「やっと」なんて思えない訳で、「まだかなぁ?」と不安に包まれ続ける訳だ。でも、結果にたどり着いた今、やっと“やっと”が言える訳だ。そして、そのゴールした瞬間から、次の結果に向けてまた新たなマラソンが始まる。  この半年を振り返って、様々な人に迷惑をかけ、そして、様々な人に救われたことを、心から感謝しています。そして、今後もDieと付き合い続けてくれる人たちの期待に応えられるよう、日々努力をして生きていきたいと願っています。辛いことがあったら、多分思い出すのはこの半年でしょう。凄く貴重な時間だったなぁと、結果論ながら思うのでした。
2003年10月02日


信号機の意味
 いやぁ、久々の更新になりました。書くことが多い時に使用する目的で作ったこの独り言+ですが、結構書くことが多いという機会が少なくて…。さて、本題に入ります。
 昨日、Dieは2度程車にはねられそうになりました。まぁ普通の人なら間違いなくはねられていたと思いますが、私の場合、青信号でも細心の注意をはらい横断している為、何事もなく横断出来ました。
 さて、みなさんに質問です。信号機の意味をご存じですか?多くの方が「青=進め、黄=注意、赤=止まれ」と思っているでしょう。しかし、実際は違います。だいたい、『青=進め』だとしたら用もないのに信号を渡らなくてはいけないことになりますよね?青は簡単に言えば「進行することができる」です。また、『黄=注意』、これも大きな間違いです。黄は簡単に言えば「道路の横断を始めてはならない」です。横断中の車両、歩行者のみ、“速やかに”横断をおえることが許されている訳です。
 さて、昨日の事に話を戻します。昨日、Dieは、右折車両に巻き込まれそうになりました。この場合、車両は『赤色の灯火』の項にある「交差点において既に右折している車両等は、そのまま進行することができること。この場合において、当該車両等は、青色の燈火により進行することができることとされている車両等の進行妨害をしてはならない。」を守らなかったことになります。また、その直後、赤信号を無視した原付が目の前を通り過ぎました。これは「車両等は、停止位を越えて進行してはならないこと。」に違反しています。信号機が黄色だったのでついスピードを上げてしまった。と弁解する人もいるでしょう。しかし、先に述べた様に黄色の灯火は道路の横断を始めてはならない」です。よって、信号機が黄色の灯火だったとしても、この車両は違反となる訳です。
 日本中には多くの無法車両が溢れています。更に、免許証を取ったばかりのドライバーの中には規則に従っている余裕のない方もいます。青信号の横断歩道を渡る時は、必ず、周りの車両の停止を確認してから渡る様に心掛けましょう。殆どの事故の場合、車両側の責任が大きくなります。しかし、死んでしまっては意味がありません。やはり、自分の身は自分で守る様に心掛けましょう。また、ドライバーの方は無理な走行をやめ、歩行者を安全に通行させる姿勢を取りましょう。
 と、真面目に書き連ねましたが、最後にひとつ、横断歩道の無い車道を無理に横断する歩行者が目立ちます。Die的に、こういう奴らは死んで悔やめ!と思っていますのでガンガンひいたりはねたりして下さい。馬鹿は死んでも治らないってね。
2003年06月20日


戦争反対!!って言うけど…
 何処のサイトに行っても最近は戦争の話題が多い。あれだけTVで戦争の話をしていれば、戦争を知らない人間も、また社会情勢を知らない人間も『戦争について』なんて考え初めて当然だ。
 戦争=悪いこと。戦争=人殺し。その程度の知識は親や祖父母などから植え付けられた人も多いだろうし、TVで戦争反対!と繰り返されれば、やっぱり戦争を肯定する意見は出にくいだろう。
 ただ、Dieが思うことは、「始まりそう」、「始まりました」の後で『戦争反対!!』と書くのはどうかということ。これはTVや何かに触発されて、初めて考えて思いを述べたに過ぎないのでは?と思ってしまう。また、中には常日頃から「戦争について」などと考えていたが、ここが良い機会だからと意見を述べた人もいるだろうが、これも今更である。
 また、一方的に戦争反対意見を言うのではなく、アメリカの戦争肯定意見を分析し、戦争が何故この時代に必要とされてしまったのか?ということも考えるべきだろう。戦争はいけないこと。だから駄目。そんなことは誰だって言えることだ。アメリカは今何の為に(名目で)戦っているのか?
 戦争を反対というならば、戦争以外の解決策をシッカリ述べることも大切なのではないだろうか?『戦争万歳!!』などと言わない限りは誰もが反対しているという事位は伝わっているはず。そう思うのはDieだけだろうか?
 と、こういう意見を書いている時点で、Dieも戦争に触発された人間のひとりに過ぎないのだろうが。
2003年04月02日


他人の個性を理解する心
 昔、私の部屋に貼ってあった、言うなれば音楽(BAND)活動をするに当たっての軸となる姿勢。多数の人間が集まって、ひとつの物を作り上げる時、それぞれの個性は尊重し合うべきである。しかし、私にはそれが欠落していた。その為か、相手の個性に着いていけず、解散することもあった訳だ。
 では、個性とは何か?貴方の個性は何ですか?という質問に即答出来る人間がいたとしよう。「文学」「音楽」「道楽」…なんでも良いが、人より秀でた才能、また、得意、好み、これらを個性と言うが、これらは、初めから自覚するのではなく、周りの人間が指摘することによって、徐々に自覚していく物である。つまり、他人の個性とは、基本的に周りの価値観であり、また、他人の育ってきた環境でもある。
 私が、誰かの個性を理解出来ない、または尊重出来ない場合、私の価値観が、その他人(人間)の周りの人間と反していることを意味する。
 これらを踏まえて考えた時、集団生活(活動)において、他人の個性を理解する心というのは、それ程意味を持たないと感じる。自分の価値観で、その他人の自覚している個性より、更に秀でた才能を見つめているからこそ、私は他人の個性を理解、納得することが出来なかったのである。と、私は確信している。
 今、私はBANDを組んでいる。個性の強いメンバーであるが故、全ての個性を認めてはいない。しかし、それは『解散』を意味してはいない。更なる『成長』を意味しているのである。今、共に組んでいる仲間の中に、私の個性を否定する人間が存在していると、喜ばしいと思う。
2003年01月30日


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