秘密基地「道楽庵」
雑 記 帳
UFOとネッシーと超能力とノストラダムスの大予言
私が小学生だった1970年代は、不思議に満ち溢れていた。
空飛ぶ円盤は、UFO(未確認飛行物体)と呼ばれ、目撃者の証言や写真等がテレビの「木曜スペシャル」なんかで特集され、その存在を信じる、信じないで、小学校の教室は持ちきりだった。
私自身は、UFOを一度も見た事が無いが、子供の頃、「あんたは私らのホンマの子供やない。山の向うにあった空飛ぶ円盤から拾ってきた子供なんや」とよく言われていたせいか、何となく、嫌な事があっても、「いつかUFOが迎えに来てくれるはず」と何か心の拠り所のように感じていた事もあり、UFOの存在を強く信じている。
今思うと、「あんたはUFOから拾ってきた子や」というのは、昔であれば親の言う事を聞かない子供に「あんたは橋の下から拾ってきた子や」とか言っていたのと同じような意味であり、ウチの母が少しハイカラな人だったという事だろうか?普通の子供なら、自分が両親の本当の子供ではないと言われたらショックだろうし、現代の判断基準で言えば、ある意味、精神的な児童虐待に当るのではないかと思うのだが、子供の頃から変人だった私は、UFOから拾われてきた子というモノがカッコ良い事に思えていたフシがある。
自分が、UFOから拾われてきた子というのを、更に確信させたのが、私が1月15日生まれの当時の「成人の日」生まれであった事が、子供の頃、「セイジン」の意味が分からず、いわゆる特撮ドラマの「ウルトラマン」に出てくる「バルタン星人」とか「メフィラス星人」といった宇宙人を表す「星人」だと勘違いしていた事も大きかった。
いつかUFOが迎えに来てくれると思いながら、その日を心待ちにしていたわけであるが、私も既に46歳を迎え、そろそろ迎えが来るのが遅いような気がしてきた今日この頃である。
最近は、SF映画なんかのSFXとかVFXといったコンピューターの技術を駆使した特撮技術が発達して、アマチュアでもパソコンでUFO飛来のリアルな動画を作れるようになり、UFOが胡散臭さ満天な存在になってきたが、その存在を確実に否定できない以上、未確認飛行物体は存在すると信じたい。
ネッシーとは、イギリスのスコットランドにあるネス湖でたびたび目撃されてきた首長竜プレシオサウルスに似た巨大生物の通称であり、正しくは「ネス湖の怪獣
ロッホ・ネス・モンスター」と呼ばれ、20世紀最大のミステリーと言われてきた。
ネッシーは、私が生まれた1966年の遥か昔から目撃されてきた。1970年代には前述のUFOと同様に特集番組がよく放映されていたものだ。
1934年4月にロンドンの外科医ロバート・ケネス・ウィルソンが撮影したネッシーの写真は、デイリー・メール紙に掲載され、「外科医の写真」と呼ばれる代表的なネッシー写真だったが、何故か1990年代半ばにオモチャの潜水艦にネッシーのオモチャの首を付けた捏造写真であると暴露された。これにより、他のネッシーの写真も捏造ではないかとする動きが現れ、ネッシーの存在は一気にトーン・ダウンしてしまう。
さまざまな科学的調査が行なわれ、ネス湖は透明度が非常に低く、植物性プランクトンが少なく、湖の規模に比べて魚類が少なく、それを餌にする巨大爬虫類は存在できないと言われる。
また、ネッシーが1頭では、繁殖できない事から、同種の生物が複数存在する必要性があると言われ、複数の巨大生物が存在するならば、もっと湖面での目撃例が多くないとおかしいとも言われている。
日本にも同様の首長竜を思わせる水棲巨大生物の目撃例があり、鹿児島県指宿市の池田湖のイッシー、北海道の屈斜路湖のクッシーが有名である。
私が小学6年生の1977年4月25日に、日本のトロール船瑞洋丸がニュージーランド沖で、首長竜を思わせる全長約10mの謎の巨大生物の腐乱死体を引き上げ、その写真が「ニューネッシー(ニュージーランド沖で見つかったネッシーのような生物)」として大きな話題になった。あまりに強烈な腐敗臭の為、すぐに海に投棄されたとの話を聞いて、当時の小学生達は非常に激怒していたのを憶えている。遥か昔に絶滅していたと思われていた水棲恐竜が、それほど遠くない時期に死んだ証拠となる死体である、大人達の学術的にも、子供達の浪漫的にも持ち帰る社会的な価値と責任があったのではないかと思う。
ニューネッシーについては、海に投棄される前に、死体の一部(ヒゲ状筋繊維数本)を取り、それを東京水産大学等が分析された結果、腐乱死体の正体は「ウバザメ」であったと結論づけられた。正直、「嘘やろぉ〜?」という感想しか当時は出てこなかった。「あんな首の長いサメがおるんかい?」という当時の少年達の批判に対して、大人達は「アレは下顎が脱落して、長い首のように見えただけ」と説明した。当時はDNA鑑定ではなかったそうなので、私は未だにあの腐乱死体は首長竜だったと信じている。
ネッシー実在の論拠は、かなり厳しい状況にはあるが、ニュージーランド沖にニューネッシーのような生物の死体があったのだから、ネス湖にも絶滅を免れた恐竜の生き残りがいても良いのではないかと思っている。
ネッシーのような未確認動物はUMAと呼ばれる。
日本には、古来「河童」や「天狗」といった未確認動物の伝説が多く残っている。
ビール瓶のようなズングリムックリしたヘビのツチノコも、日本各地で目撃されているが、生け捕りにされた事は無い。毒ヘビのマムシが、何かの動物を飲み込んだところを見たのではないかとも言われるが、ツチノコには物凄いジャンプ力があると言われており、動物を飲み込んでいる最中のマムシがジャンプするのは難しい気がする。オーストラリアのマツカサトカゲやアオジタトカゲの誤認とも言われているが、その実態は分からない。
ヒマラヤの雪男はイエティと呼ばれ、大型類人猿ギガントピテクスではないかと言われている。アメリカやカナダのロッキー山脈でも同様の大型類人猿ビッグ・フットの目撃例がある。日本の広島県の比婆山でも、もう少し小型の類人猿ヒバゴンが目撃されている。
1970年代半ばは、イスラエルのテルアビブ生まれの超能力者ユリ・ゲラーをはじめ、超能力ブームが巻き起こっていた。
未だに超能力と言えば、「スプーン曲げ」と認識されているように、手の指先で軽く擦るだけで、スプーンがクネッと曲がる様子は、不思議で仕方なかった。
ユリ・ゲラーの真似をして、小学校の給食用の先割れスプーンを曲げようとしたけれども、一向に曲がらず、最後は力づくでグネッと曲げたものでした。ただ、超能力で曲げる様子と力づくで曲げる様子は明らか違い、やはりそういった不思議な力を持つ人がいるのかも知れないと思う。
その後、ユリ・ゲラーと同様にスプーンを曲げる自称超能力者がいっぱい出てきたが、その中には、インチキやイカサマも多く、そういったトリックを暴く、雑誌の記事が載ったりで、興醒めしたものだ。
スプーンを後方に投げて曲げる少年が、ベルトのバックルでスプーンを曲げている写真が暴露されたり、見たくないモノを見せられるのは、とても不愉快な事だ。
2012年4月29日に放映されたバラエティ番組「ほこ×たて」で、ユリ・ゲラーが絶対曲がらないスプーン(山崎金属工業のコブラ)と対決し、結果的にコブラを曲げられず、ユリ・ゲラーが敗北し、悲しくなったものだ。
マジシャンの中には、ユリ・ゲラーの超能力はイカサマであり、手品のタネがあり、雑で稚拙だと批判している人もいるようだが、人間は実際に持っている潜在能力のほんの数%しか使っていないと言われており、残りの潜在能力を引き出す事ができれば、それは超能力と言っても良いのではないか?
1973年11月25日に祥伝社から出版された五島勉の「ノストラダムスの大予言」は、ミリオン・セラーとなったが、16世紀のフランスの医師、占星術師であるノストラダムスが1999年7の月に地球が滅亡すると予言しているというもので、子供心にブルーになったものだ。
1999年7の月、恐怖の大王が空から降ってきて、アンゴルモアの大王を蘇えらせ、マルスの前後に首尾よく支配する為に。
はて?いったい何のこっちゃろ?思わせぶりな、はっきりせん詩やなぁ。
でも、世紀末を描いた映画や漫画なんかでは、核戦争が起こって、世界の文明や秩序が荒廃し、少数だけ生き残った人類は、暴力で支配されるというようなイメージが多く、その場合、恐怖の大王というのは核爆弾という事になる。
ノストラダムスの大予言と同じ頃に、小松左京のSF小説「日本沈没」もベストセラーとなり、映画化やテレビ・ドラマ化され、巨大地震が起こったり、火山がドッカンと噴火して、日本が沈没するというような内容だったので、人類滅亡のイメージがダブって非常に怖かった。
日本は島国なので、津波が来たり、海に沈むというのが、凄く嫌な感じだった。
1995年1月17日の阪神・淡路大震災は、戦争を知らない私ぐらいの世代には、見た事の無いような物凄い破壊の爪痕を見せつけられた。阪神高速道路がなぎ倒され、倒壊したビルからは、窓枠がぶら下がっていた。まるで、ゴジラみたいな巨大怪獣が踏み潰して行った後のように見えた。
2011年3月11日の東日本大震災は、地震よりも津波の恐怖を見せつけられた。ニュースでは、東京のビルの窓ガラスが降り注ぐ映像、液状化による陥没が起こった東京ディズニーランド、あとは港にプカプカ浮かんでいる車、逆に建物の上に乗り上げてしまった船、阪神・淡路大震災を目の当たりにした経験を持っていても、更にそれを上回るような衝撃だった。
地球温暖化によって、北極や南極の氷が溶けて、海の水位が上がり、陸地が海に沈むとか、1999年7月を無事にやり過ごしたはずなのに、未だに不安のタネは消えない。
1970年代は、不思議が満ち溢れていた。
科学が高度に発達した2012年においても、1970年代の不思議は殆ど解明されていない。「幽霊の正体見たり、河童の屁」ではないが、真実を解明しても、つまらない結果を残すだけなら、不思議は不思議のまま残しておく方が、人間にとっては幸福なのかも知れない。
(2012年8月26日)