秘密基地「道楽庵」
雑 記 帳
レッド・ツェッペリン復活 奇跡の一夜「祭典の日」
イギリスの伝説のロック・バンド「レッド・ツェッペリン」を知ったのは、ちょうど洋楽のロックを聴くようになった中学生の時だった。ラジオから「コミュニケーション・ブレイクダウン」が流れてきた時、全身に電撃が走ったような衝撃を受けた。
構成美の極致、名曲「天国への階段」を聴いた時の感動、地を這う地響きのような「カシミール」の背筋がゾクゾクするような感覚、ハード・ロックというカテゴリーに収まり切らない多様性は、他のバンドでは味わえない。
それだけに、1980年9月24日にドラマーのジョン・ボーナムの死によって活動を停止した時は、残念でならなかった。
ディープ・パープルとかレインボーといったハード・ロック・バンドといのは、メンバー・チェンジを繰返し、サウンドを変貌させながらも、存続していくというイメージが強かったのに、レッド・ツェッペリンはオリジナル・メンバーを失った途端、活動を停止してしまった事で、余計に強く聴きたいと思うようになった。
それだけ、ジョン・ボーナムのドラムスが重要だったという事であって、メンバー同士の信頼関係を窺い知る事ができる。
メイン・コンポーザーであって、数々の名ギター・リフを作ったギタリストのジミー・ペイジ、驚異的なハイ・トーンのボーカリストのロバート・プラントの二人の花形フロント・マンに注目しがちであるが、実はレッド・ツェッペリンの屋台骨を支えているのは、ドラマーのジョン・ボーナムとベーシストのジョン・ポール・ジョーンズの二人のリズム隊であった事を、レッド・ツェッペリンの曲を聴けば聴くほど理解できる。特にヘッドホンで聴いている時、ジョン・ポール・ジョーンズのベース・ラインの凄さに気づかされる。コードを使ったギター・リフはジミー・ペイジの独断場であったが、単音のギター・リフはジョン・ポール・ジョーンズのアイデアも少なくなかったという音楽雑誌のインタビュー記事を読んだ事がある。
高校生の頃には、ライブ盤のブートレッグを買い漁り、そのたびに演奏より観客の声の方が大きいような音質最悪のハズレ盤ばかりに当り、何度泣かされた事か…。
高校2年生の1982年11月に、突如レッド・ツェッペリンのスタジオ・アルバム「コーダ(最終楽章)」が発売され、涙が出る程、嬉しかったのを今も憶えている。それが例え過去にレコーディングされたアウト・テイクの寄せ集めであったとしても、未発表の曲を聴けるだけで単純に嬉しかった。ただ、逆に「コーダ(最終楽章)」というタイトルが示すように、これでレッド・ツェッペリンは終わりだよという止めの1枚という性質もあり、胸中は複雑だった。
その後も、1985年の伝説的なチャリティー・コンサート「ライブ・エイド」では、ジェネシスのフィル・コリンズをドラムスに、ボーカルのロバート・プラント、ギターのジミー・ペイジ、ベースのジョン・ポール・ジョーンズの3人のメンバーが「ロックン・ロール」、「天国への階段」、「胸いっぱいの愛を」を演奏したり、1988年のアトランティック・レコード40周年コンサートではジョン・ボーナムの息子ジェイソン・ボーナスをドラマーに演奏をしたが、伝説的なバンドの復活というには程遠い演奏で酷評された。
その後も、BBCラジオのスタジオ・ライブCDとか、ライブDVDが発売されるなど、幻の音源が小出しで発売される。
ギタリストのジミー・ペイジは、1982年にはチャールズ・ブロンソンの主演映画「ロサンゼルス」のサウンド・トラックを作ったり、1985年にはバッド・カンパニーのボーカリストのポール・ロジャースとザ・ファームを結成したけれど、スタジオ・アルバムを2枚で解散したり、1988年にはソロ名義のスタジオ・アルバム「アウトライダー」を発表したり、1993年にはホワイトスネイクのボーカリストのデイヴィッド・カヴァーデイルと「カヴァーデイル・ペイジ」というバンド(ユニット?)を結成しスタジオ・アルバムを発表したけれども、非常に残念ながらレッド・ツェッペリンの活動を上回るような活動は無かった。
1994年には、ギタリストのジミー・ペイジとボーカリストのロバート・プラントが久々に合体し、「ペイジ・プラント」でスタジオ・アルバム2枚を発表し、ツアーも行なっている。レッド・ツェッペリン時代の楽曲を民族音楽風味に味付けしたようなアコースティックなサウンドで、レッド・ツェッペリンとは全く別物の活動だった。
2007年12月10日にロンドンのO2アリーナにて、アトランティック・レコードの創始者アーメット・アーティガンの追悼チャリティー・ライブとして、レッド・ツェッペリンが一夜限りで復活するという噂が駆け巡った時、先の「ライブ・エイド」や「アトランティック・レコード40周年コンサート」の失敗が頭の中をよぎり、やめた方が良いんじゃないかと思った。
自分の大好きなバンドが、復活して演奏するたびに評価を落とすのは、ファンとしては耐え難い苦痛だったからだ。
全世界から2万人を超える応募者から抽選で選ばれた1万8千人のオーディエンスを前に披露されたライブ・パフォーマンスは、私の事前の不安を覆し、非常に高評価だった。
このライブは、1週間もしない内に、動画配信サイト「ユーチューブ」にアップロードされ、世界中に配信され、あっと言う間にブートレッグCD&DVDが駆け巡った。
ユーチューブで見た動画で驚いたのは、ジミー・ペイジの髪が真っ白になっていて、ショックを受けた。まぁ、当時63歳のジミー・ペイジの髪が白かっても何の不思議でもないのだが、ジミー・ペイジと言えば、若い頃の黒髪のカーリー・ヘアのイメージが強過ぎて、私の目には白い髪が衝撃的に映ったのかも知れない。かつて、ジミー・ペイジと共に「ブリティッシュ・ロックの3大ギタリスト」とか「ヤードバーズの3大ギタリスト」と呼ばれたエリック・クラプトンは若い頃から髭面で上手く年齢を重ねてきたなぁという印象があり、ジェフ・ベックの容貌は若い頃から殆ど変化ていない不老不死的な「ロック界の七不思議」に数えられているが、ジミー・ペイジは体型的には殆ど変わらないのに頭髪だけが一気に真っ白になってしまった。若い頃に凝っていた黒魔術の影響か?
私もブートレッグをいくつか入手し、見聴きしてみて、思ったのは「伝説のベテラン・バンドが昔の名前で出ています的な演奏」あるいは「大ヒット1曲で毎年ディナーショーで何万円もいただきます的な演奏」ではなく、それとは正反対のマジなパフォーマンスにびっくりした。
細かな事を言えば、ジミー・ペイジのギター・ソロは現役バリバリの1970年代とは違い、指が動いてないとか、ロバート・プラントは昔はこんなもんじゃなかったぜとか、いろいろあるけれど、そんな事が些細に思える程、良い演奏で、ライブが進行していくと、どんどんノッてくるのを感じた。
この勢いで、ワールド・ツアーに出るのではないかという噂もあったが、実現しなかった。
伝説のライブの事もすっかり忘れた2012年、突如当日のライブ・アルバムCDとDVDが出るという告知がされる。
普通なら、ライブ直後に商品化した方が商売上手だと思うが、既に70年代の成功によって巨万の富を得ている彼らにとって、CDが売れようが、売れまいが関係無いのかも知れない。
2012年11月21日、本当にライブCD、DVD、ブルーレイ「CELEBRATION DAY(祭典の日)」が発売された。
改めてオフィシャル版のブルーレイ・ディスクでライブ映像を見て、先程のジミー・ペイジとは違う意味で、ボーカリストのロバート・プラントは普通に歳をとってしまったなぁという印象を受けた。かつて、「世界一美しいロック・ボーカリスト」であった男は、標準的に経年劣化してきたのであるが、若い頃の美しい容貌を知っている者にとっては、歳月の残酷さを感じずにはいられない。
まぁ、聴き手である私自身もかつての十代の思春期の少年ではなく、ウエストの周りにはコッテリ脂肪が乗り、髪にも白い物が目立ち、血圧も高めの40代半ばを回った身も心も薄汚れた中年男に過ぎないので、他人の事をとやかく言う資格は無いのだが…。
ライブは「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」で幕を開ける。ブートレッグで、このライブを聴いた時も意外な選曲だと感じたのだが、ファースト・アルバムの1曲目という選曲は、ある意味、理にかなっていたのかも知れない。若い頃であれば、勢いのある「ロックン・ロール」とか「移民の歌」あたりから始まりそうであるが、メンバーが60代であれば、こういうスタートもありなのかなぁと思えるようになった。
セットリストは、@グッド・タイムズ・バッド・タイムズ、Aランブル・オン、Bブラック・ドッグ、C死にかけて、Dフォー・ユア・ライフ、Eトランプルド・アンダー・フット、F俺の罪、Gノー・クォーター、H貴方を愛しつづけて、I幻惑されて、J天国への階段、K永遠の詩、Lミスティ・マウンテン・ホップ、Mカシミール、N胸いっぱいの愛を、Oロックン・ロールの全16曲。
良い意味で緊張感のある演奏の中、ジミー・ペイジの笑顔が多く、メンバー間の信頼感に基づくリラックスした雰囲気が感じ取れる。ジョン・ボーナムの息子ジェイソン・ボーナムのドラムスも完全にバンドに溶け込んでいる。ジミー・ペイジとジョン・ポール・ジョーンズが、ジェイソンのドラム・セットの前で、アイ・コンタクトをとっているシーンが見られる。半年間にも及ぶリハーサルは、伊達ではなかった。過去に一世風靡したバンドが、同窓会的なライブを演るのとはワケが違う。ここで、コケれば、レッド・ツェッペリンの再結成ライブは二度とは行なわれなかっただろう。
レッド・ツェッペリン独特の重たいうねりを伴うバンドのアンサンブルで織り成される名曲の数々、「ハートブレイカー」、「移民の歌」、「祭典の日」、「レイン・ソング」、「コミュニケーション・ブレイクダウン」、「モビー・ディック」等、セットリストから外れた曲も、このメンバーで演って欲しかった。
商品化にあたって、どの程度、演奏に手を加えられたかは知らないが、ライブ直後のブートレッグでも、そのパフォーマンス自体の素晴しさが理解できたのだから、そんな事はどうでも良い事だと思う。
歴史的なパフォーマンスを生で見られた1万8千人のオーディエンスは幸運だった。
(2012年11月25日)