秘密基地「道楽庵」

クワガタとの再会
数年前の夏、近所のスーパーで買い物をしたら、福引をしていた。
私が引いたクジが何等だったのか、もうすっかり忘れてしまったが、景品はクワガタ飼育スターター・セットだった。夏休みの子供達が簡単にクワガタの飼育ができるように、お惣菜入れのような透明の容器に入ったノコギリクワガタの雄雌のペアとプラスティックの飼育ケースの中に、クヌギを粉末にした昆虫マット、のぼり木、餌ゼリーが入っていた。
私が子供の頃は、クワガタの餌と言えば、スイカやメロンの皮、砂糖水、ハチミツのような物と相場が決まっていた。クワガタやカブトムシの餌専用のゼリーなんて、いつできたのだろう?昆虫マットなんて知らなかったから、近所の製材所に木屑を分けてもらいに行ったものだった。でも、それは単に私が知らなかっただけで、昔からペット・ショップには置いていたのかも知れない。
それに子供の頃は、クワガタはノコギリクワガタであれミヤマクワガタであれコクワガタであれヒラタクワガタであれ、ごった煮で同じ手作りの飼育箱で飼っていた。当然の事ながら、毎日クワガタ同士が喧嘩して、羽根がボロボロになったり、脚が取れてしまったり、最悪の場合には殺されてしまう事もあった。そう言えば、当時はデパートのペットショップですら、大きな金網のケースに多頭飼育していたように記憶している。今は大抵同じ種類のクワガタの雄と雌のペアを小さなプラケース入れて売っているのが普通になっている。
そこで、30何年ぶりにクワガタを飼うにあたって、インターネットでクワガタ飼育の情報を検索してみた。びっくりした。物凄い量の情報が溢れていた。クワガタ専門店の情報もさる事ながら、一般のクワガタ・マニアの情報のあまりの多さにびっくりした。卵を産ませて、幼虫を育て、蛹から羽化させる「累代飼育」の情報が山のように掲載されていた。その中で、オオクワガタをはじめとするドルクス系のクワガタの成虫は越冬して、数年間生きられるのを初めて知った。私の子供の頃は、お盆を過ぎると、クワガタは山に帰してやるものだったので、容易に卵を産むカブトムシと違って、クワガタの累代飼育や成虫の越冬なんて、考えもしなかった。そして、私も是非クワガタを累代飼育してみたいと強く思った。
もっと驚いたのは、私が子供の頃は図鑑でしたお目にかからなかったような10cmを超えるような巨大な外国産のクワガタが、本当に手の届くような距離に置いてあるのだ。日本のクワガタと比べると、大人と子供のような、その縮尺を間違えたような巨大なクワガタは小さなプラケースの中で、もぞもぞと蠢いている姿は何か哀れな気がした。東南アジアの豊かな自然の中で巨大化したクワガタが狭いプラケースの中で一生を終えるというのは、可愛そうな気がする。現にスーパーやホームセンターで季節商品的に扱われているクワガタは、ケースの中で転倒して死んでいるモノも少なくない。ペットショップやクワガタ専門ショップですら、大量のクワガタ全てに目が行き届くはずもなく、弱っているモノや死んでいるモノもいるのだから、専門店でない所で、満足な世話ができるはずがないのは当たり前の事だ。
とにかく、こうして私のクワガタ累代飼育は始まった。
ノコギリクワガタはオオクワガタ等のドルクス系とは違い、越冬しない短命種であり、10月には雄が死に、雌も11月下旬には死んでしまった。夜な夜な飼育ケースを覗くと、雄が雌に覆いかぶさるようにしていたので、恐らく交尾をできていたはずなので、あとは雌が上手く産卵しているかどうかが問題だった。産卵木に穿孔して産卵するオオクワガタと違い、ノコギリクワガタは産卵木と昆虫マットの両方に産卵すると言う。マットの中にはそれらしき物は見えない。のぼり木の方には雌が穿孔していたので、こちらの中に卵を産んでいる可能性がある。
クワガタ飼育者の間で「割出し」と呼ばれる産卵木を割って、卵や幼虫を取出す作業は、マイナス・ドライバーなんかを使って、産卵木をバリバリ割っていくので、卵や幼虫を潰してしまいそうで、正直言って怖い。卵で割出すより、孵化した初齢幼虫の状態で取出した方が、その後の生存率も高いそうだ。
結局、幼虫が3匹見つかったので、クヌギの粉末を発酵させた幼虫用の昆虫マットをギュウギュウ瓶詰めしたガラス瓶に1匹ずつ移し変えた。このままずっと放置すれば良いというものではない。マットが乾燥しないように、霧吹きで加湿する。ノコギリクワガタの幼虫は水分多めが良いという情報があったが、どの程度が適量なのか判らない。瓶の中の幼虫の様子を見ながら、水分量を調整していく。発酵マットは3ヵ月程度で栄養価が落ちるらしく、その都度、マット交換しなければならない。
特に温室などは使わず常温飼育していたのだが、1匹が越冬に失敗し、もう1匹は初夏のマットの水分管理に失敗し、結局、夏に無事蛹になったのはたった1匹だけだった。これも初めて知ったのだが、クワガタというのは成虫になると大きくならないという事実である。したがって、クワガタを大きく育てる為には、幼虫の間にいかに餌を多く食べさせるかが成否のポイントとなる。かと言って、どうすれば幼虫がたくさん餌を食べてくれるのかなど、素人の私に分かるはずもない。蛹になる直前に夏の暑さのせいか、幼虫が暴れるような動きがあり、前蛹(ぜんよう)と呼ばれる蛹の前段階の幼虫はかなり小さくなってしまった気がした。クワガタは夏の虫というイメージが強いが、実際には暑さには非常に弱い事が分かった。30度とか35度を超える超高温は彼らには地獄に等しい環境である事が分かった。彼らの快適な温度というのは、おおよそ20度代の前半らしい。その後、幼虫の頭が割れて、中から真っ白な蛹が現れた。その後、飴色に変化し、数週間で羽化した。神秘的なクワガタの変態の様子を見ていると、それだけでクワガタ飼ってて良かったと思う。
しかし、羽化後、何日経っても、内羽根が上手くたためないようで、外羽根も上手く閉じ切っていない。新成虫が日に日に弱っていくのが分かる。クワガタ専門店で訊いてみると、羽化不全という事で長生きしないと言われた。事実、1週間程で死んでしまった。
初めてのクワガタ累代飼育は失敗に終わったのだ。
しかし、夏に活動するクワガタが夏の真っ盛りに羽化して、新成虫になるというのは、地中で何年も過ごして、地上に出て1週間から10日間程度で死んでしまうセミと同様に短い命という気がする。もっと凄いと思ったのは、秋に羽化した新成虫はそのまま蛹室の中で、じっと餌も食べずに翌年の初夏まで過ごすらしい。ノコギリクワガタの成虫は越冬しないと言ったが、このように条件によっては人知れず越冬しているモノもいるのである。
失敗して、クワガタ累代飼育の奥深さを知ったと言える。ほんの小さな卵が初齢幼虫、二齢幼虫、三齢幼虫(終齢幼虫)、蛹という段階を経て、成虫という完成形に到達するまでの気が遠くなるような劇的なドラマが、クワガタという小さな甲虫の中に受け継がれているのである。「一寸の虫にも五分の魂」という言葉があるが、まさにミラクルの塊のような存在である。
小さいからこそ生命を感じると言うのか、上手く言えないが、もう一度、累代飼育に挑戦したいと強く思った。
そして、どうせやるなら短命種のノコギリクワガタではなく、越冬し2〜3年、上手に飼育すれば5年も生きると言われるクワガタ界の王様オオクワガタの累代飼育に挑戦しようと決心した。
天然物のオオクワガタはなかなか素人には採集できない希少な昆虫である。1980年代後半のバブル経済の頃は、「黒いダイヤモンド」と呼ばれ、クワガタ好きでもない、金持ちの投機の対象となり、天然物が乱獲され、余計に希少な昆虫となったが、逆に人工飼育の技術が発達し、オオヒラタケやカワラタケといったキノコの菌糸を幼虫の餌にする飼育技術が発達し、累代飼育や大型個体の作出が容易になったのは皮肉な事だと思う。
でも、人工飼育技術の発達が我々のような庶民のクワガタ飼育者にもオオクワガタの累代飼育を身近なものにしてくれたという面もある。山や雑木林で天然物のオオクワガタを見るといのは一生無くても、家庭で人工飼育されているオオクワガタが増えれば、オオクワガタの絶滅は回避できるという考えで「オオクワガタ鈴虫化計画」なるものを考えている人もいるようだ。
オオクワガタの価値は、その名のとおり身体の大きさで決まる。70mmを超えると急に価格が上がる。今は80mmを超える固体も珍しくない。
そして、マニアの間では産地というもの大事なのだそうだ。日本のオオクワガタの三大産地は、山梨、能瀬、佐賀と言われている。オオクワガタは、ノコギリクワガタ、ヒラタクワガタ、コクワガタ、ミヤマクワガタなどの一般的なクワガタとは異なり、早朝にクヌギの木をドンと蹴って、落ちてくるような代物ではない。当然、餌となる樹液を吸いにクヌギやコナラといった広葉樹の表面にくっついている事はあっても、殆どは木の洞の中に隠れているらしい。洞に手を突っ込んで採集するだけではとどまらず、幹や枝にナタを入れる材割り採集が行なわれ、問題になっている。
素人考えでは、何故羽根を持ち、自由に空を飛ぶ事ができるオオクワガタであれば、例えば佐賀から福岡に飛んで行ったり、大阪の能瀬から京都あたりに飛んで行く事ぐらいありそうに思うが、オオクワガタは余程の事が無ければ、そんな長距離を飛ぶ事は無いらしい。それ故に、各産地ごとに体格、形状に特徴があると言われているが、累代飼育下では自然界の生活環境が異なる為、累代が進むにつれ、産地固有の特徴が消えていくという説もある。
したがって、産地間の雑種や産地不明のオオクワガタは70mmを超えない限り、市場価格はかなり低く設定されているようだ。だから、外国産の牛肉を和牛と偽るように、有名産地に偽装されるケースもあるようだ。
私が初めて入手したオオクワガタも産地不明という事で、雄雌ペアで4千円だった。数mmの違いだけで、有名産地のペアが1万円超で売られていたのを見て、不思議な気持ちになる。マニアの間で言われる産地固有の特徴も怪しい気がする。山梨産のオオクワガタに比べ、佐賀産は体幅が広いと言われるが、クワガタ専門店で見ても、佐賀産より体幅が広い山梨産もいるので、産地固有の特徴なんて、いい加減なもののような気がする。九州男児は眉毛が太く、濃い顔だというが、眉毛の薄い純日本的なのっぺりした顔の人がいるように、その程度のものではないのだろうか?
オオクワガタを飼って驚いたのは、その性格の大人しさだった。オオクワガタに先立って入手したインドネシア産のセレベスオオヒラタクワガタがとにかく終始大顎を広げて威嚇するように、非常に気性の激しさを見せたのに対し、オオクワガタはとにかく隠れる。威嚇する事も殆ど無い。すぐに隠れてしまうので、観賞用ペットとしては、最低レベルとしかいいようが無い。なにせマットにもぐっているか、産卵木の陰に隠れて、姿を見せてくれないのだから、家で飼っているにもかかわらず「幻のクワガタ」状態である。
マニアは、雄雌のペアをあらかじめ小さなケースでペアリングして、交尾を済ませてから、産卵セットと呼ばれる飼育ケースに交尾済みの雌だけを入れて産卵させるそうだが、私はいきなり産卵セットに雄雌ペアを投入し、その中で自然に交尾するのを待つ事にした。まぁ24時間、四六時中、産卵セットを監視しているわけにもいかないので、1週間ばかり様子を見る事にした。それでも、交尾したのか、しなかったのか、私には分からなかったので、もう暫く経過観察していると、雌が産卵木に穿孔を始めた。これはノコギリクワガタの時と同様に、雌の産卵の兆候である。
産卵が始まると、もはや雄は産卵の邪魔をするだけの存在である。酷い場合には、産卵に忙しい雌に交尾しようとして、雌に拒否され、「可愛さ余って、憎さ百倍」の諺があるように、雌を殺してしまう事もあるらしく、雄を別の飼育ケースに隔離した。
ドキドキの産卵木の割出しで、1本の産卵木から幼虫を12匹取出した。初めてのオオクワガタの幼虫である。オオクワガタの幼虫を大きく育てる方法として、キノコの菌糸をオガ粉に混ぜた物を幼虫の餌として瓶詰めする「菌糸瓶飼育」という方法があるが、今回はノコギリクワガタの幼虫飼育の時の発酵マット飼育ではなく、菌糸瓶飼育に挑戦する事にした。これも幼虫を1回瓶に投入すれば終わりではなく、白い菌糸が見えなくなってきたら、新たな菌糸瓶に交換しなければならない。しかし、同時に割出した幼虫であっても、産卵のタイミングによって、大きいモノ、小さいモノがいる。したがって、菌糸の減り具合を示す食痕の大きさもまちまちで、菌糸瓶の交換タイミングの判断が鈍る。
菌糸瓶というのも、結構数が増えると、金額も馬鹿にならない。しかも三齢幼虫(終齢幼虫)が蛹に変態するタイミングが分からず、菌糸瓶を交換しようとした段階で既に前蛹状態になっていたりで、ついつい交換のタイミングが先延ばしになってしまって、結果的に大きな成虫に羽化させる事ができなかった。
オオクワガタというのは、その名のとおり大きなクワガタであって、小さくなってしまったクワガタはコクワガタか?と言えば、さにあらず。小さく育っても、オオクワガタはオオクワガタなのである。逆にコクワガタが大きく育っても、オオクワガタにはなれないのだ。ただ、自然界には、非常に稀にオオクワガタとコクワガタの雑種「オオコクワガタ」がいるらしい。ただ、その形質が定着する事が殆ど無く、オオコクワガタがそこら中に繁殖する事は無いらしい。