
STORY突然、淡い色のページになって驚かれたでしょう。儚くも
寂しい話ですが ちょっと聞いてください。
あれは 今から5年ほど前の夏の日でした。 オレとヨーコは
結婚式を終えて、約一ヶ月ガ経ち やっとハネムーンに出掛けた。
目的地は おばさんの住む 石垣島。人生最高のバカンス気分で出掛けた。
当時 関西空港はまだ 開港前で伊丹から沖縄経由で
石垣島ヘ というコースだった。 伊丹からはファーストクラスで贅沢気分。しかし沖縄に着いてみると
便が遅れて乗り継ぎのジェットは
飛び立った後だった。次の便で遅れて石垣入りしたオレ達を笑顔で迎えてくれたのは
おばさんと60過ぎのジイサンだった。
挨拶も早々にクルマに乗り込んだ。後部座席から前を見ると
ジイサンが被っているノッポさんみたいな帽子にはギターのピンバッチが
くっついていた。
ジイサンは 「京都から客がくる」と思い お洒落したつもりだったらしいが
カッターシャツとスラックスは 全然似合ってなかった。
彼と彼の奥さんそして娘さんは 喫茶店を営んでいて
夜はPUBになるらしい。
店に着いたオレ達を迎えてくれたのは 如何にも温和そうな奥さんだった。
娘さんは どうやら遊びに行ったらしい。
南の島では そんなのはあたりまえで いつもせこせこ働いていた自分がアホらしく思えるほどだった。
また そんな気にさせてくれる大自然がそこにはあった。
ジイサンが 着替えてきた。
ジーンズにピンク・パンサーのTシャツ。 それが彼のユニホームだった。それとホーキンスのサンダルも・・・。
彼は みんなから「ピンク・パンサージジイ」と呼ばれている。
その風貌からそうよばれるように なったらしい。
店の隅には ギターとアンプなどが 置かれてあった。
どうやら この夫婦は 若い頃 米軍のキャンプを
BANDで廻っていたとのことで ほんと びっくり!した。
おばさん曰く「この子も 京都でBANDやってるんよ。」
「じゃ〜 今晩店でなにかやってよ。」と これは
マイッタ。
昼間 Mr ピンクパンサーは いろんな所に連れていってくれた。
それは 観光客が知らない「石垣島」だった。海のなかをジャブジャブと歩いて行き、珊瑚の棚を渡りその先に
あるのは まるで奈落のような深海。 海が綺麗だと透明度がよくどこまでも
底が見えるというのは
少々恐怖を 感じた。しかし 自分の手から餌を食べる魚達は
鳥と見間違うような錯覚もおぼえた。
最初 2・3匹のさかなは 気がつくと 200匹以上に
なっていただろうか・・・。
おれたちの まわりは魚でいっぱいだった。
窯元も 訪ねた。
商店街に たまに並んでいる素朴な紺色の焼き物。それが「南島焼」だった。
ジャングルのような森を ぬけると 自宅と窯があり
迎えてくれたのは 意外にも「外人さん」だった。
お茶を 出してくれたのは 娘さんで 日本人のおかあさんとの間にできたハーフの娘だった。
10歳くらいのかわいい子だった。
飯を 食べに行ったところでも おばさんの顔で丁重なもてなしを受けた。
豚足や豚の耳・ゴーヤなど はやっぱり観光客には
出さない料理方法のものもあった。
好き嫌いのないおれたちは すぐに「仲間」になれた。
食事が終わり ジイサンの店へ・・・・。
昼間の雰囲気と 違って 外人なんかが居て 狭いながらも
いい感じだ。
好きなバーボンを 飲みながら時を過ごす。
おもむろに ジイサンがギターを抱き 音を出す。
おくさんは メガネをはずし マイクを握る。
えっ? これが ふたりで出してる音?
ギターとリズム・ボックスそして ボーカル。
力強いしっかりとした音が 途切れもせず流れる。
歳をまったく感じさせない。
それどころか あの歳でしかだせない音が そこにはあった。
さすが 米軍キャンプを 廻ってた人達である。
3曲ほど 演ってくれただろうか。
石垣島まで来て こんな体験をするとは思わなかった。
テーブルで 飲んでいる俺のところへ ジイサンがギターを持ってやって来た。
「次は 君の番だよ。」と。
身内ばかりのテーブルは リラックスしていて
ギターを抱いて その場でおれは「AFTER’45」を歌い始めた。
人と人の出合いの場に ふさわしい曲だと思い、
この詩を歌おうと 思ったのだ。
一番を 歌い終わった頃 ストップが 掛った。
「もったいないから 前に出て演りなさい。」
ジイサンが 認めてくれたのだ。奥さんもうなずく。
「京都から来た友達と演ります。」
ジイサンが俺を紹介した。
緊張したまま また曲を始める。歌いながらギターを弾く俺に
アドリブで合わせるジイサン。
まるで いつも一緒に 演っているような一体感。
そして 拍手のうちに終わった。
石垣島での 貴重でさまざまな体験を終え おれたちは現実に戻った。
それは 半年あまり後のことだった。
おばさんの報告によると ジイサンは2・3ヶ月の命。ガンだった。
おれとしては なす術が なかった。
誰かが言った「愛するものは いつか壊れる。」という言葉を自分に言い聞かせ、
何もできない日々が・・・・。
そして「悲報」。
おれは考えた。
自分に出来る事?
たった一度のセッションでも 得るものは大きかったと・・・。
ならば ジイサンが与えてくれたモノを 今度はおれが
若い奴等に与えようと。
大袈裟ではないが それが「恩返し」になるのでは?と。
それからは 幅と厚みを自分に持たせるために
着実にいろんな曲に TRYしている。
「イイ歳して」と言われても ギターも弾くし
バイクだって乗りたいし ROCKだってやりたい。
なんといっても おれの目標は「Mr ピンク・パンサー」なのだから。
いまでも街中で ピンク・パンサーのぬいぐるみを見かけると、
天気のいい石垣島とジイサンを思い出す。
南の島のすこし悲しい思い出である。