Band



デュラン デュランは1978年、ニック・ローズとジョン・テイラーにより、バーミンガムのパブ、
「Hole in the Wall」から始まった。ニック・ローズによると―――

ジョンと僕は、「Hole in the Wall」で飲みながらバンド名を考えた。
どのバンドでもするように、今まで読んだ本や映画のタイトル、壁に書いて
あるものや辞書を見たりして、あらゆる言葉を組み合わせてみた。「RAF」
っていうのも候補にあがったな。結構気に入ってたんだけど。そのうち映画
「バーバレラ」の話が出て、ジョンが言ったと思うんだけど、(映画のキャラ
クターの名前をとって)デュラン デュランに決まったんだ。

初期のメンバーには、サイモン・コリー、ステファン・ダフィーがいた。

バンドの実質的なキャリアは、バーミンガムのクラブ「ラムランナー」でスタートした。デュラン
デュランが目指したのは、ロキシー・ミュージック、シック、セックス・ピストルズを融合させた
ような路線で、「ラムランナー」の意向と一致した。オーナーのマイケル・ベロー、ポール・ベロー
は彼らに演奏とリハーサルの場を提供、マネージャーも務めることとなった。

メンバーチェンジを何度か経て、1980年におなじみのサイモン・ル・ボン、ジョン・テイラー、
ニック・ローズ、アンディ・テイラー、ロジャー・テイラーの5人が揃う。

デュランデュランは1981年に最初のレーベルであるEMIと契約した。彼らのトレードマーク
でもあるビデオ作りは、ファーストアルバムから始まった。ここで作られた5本はいずれも先駆的
なものだった。裸の女性が次々に登場する 「グラビアの美少女」 は、当時始まったばかりのMTV
で放送禁止となり、このためアメリカでのブレイクが遅れたといわれる。

ファーストアルバム 「デュランデュラン」 リリースから、イギリスとヨーロッパでの成功は早かった。
そして1982年のセカンドアルバム 「リオ」 発表で、アメリカでの地位をも決定的なものとした。
特にMTVで 「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」 が圧倒的な支持を得たことは、大きかった。

アルバム 「リオ」 について、ジョン・テイラーは―――

僕らは短期間で自分たちのカラーを見つけたんだ。「リオ」 が多分、本当の意味での
デュランデュランのファーストアルバムだと思う。メンバーが張り合って作ったからね。
「リオ」 を作ったときは随分もめたけど、おかげですごく成長することができた。激動の
2年間で、僕ら5歳分くらい成長したと思うよ。「リオ」 を作る過程はたいへんだった。
本当にもめにもめたけど、完成したときは「完璧だ!」と思ったよ。

1982年は、初の来日公演を行った年でもある。

「リオ」 に続き、1983年の サードアルバム「セブン・アンド・ザ・ラグドタイガー」 も大ヒット。
翌1984年のワールドツアーで、デュランデュランの絶頂期が始まる。そのツアーのライブ録音に、
スタジオ録音の「ワイルドボーイズ」 を含むアルバム 「アリーナ」、シングル 「007 美しき獲物たち」
(同名映画の主題歌)も1985年のほとんどのチャートでナンバーワンを独占した。

この絶頂期にあって、デュランデュランはバンドの形態を変えてしまう。
ジョンとアンディーが、ロバート・パーマー、トニー・トンプソンと組んで、ファンク系の 「ザ・パワー・
ステーション」のプロジェクトを始動、「サム・ライク・イット・ホット」 などがヒット。
その一方で、残るサイモン、ニック、ロジャーが 「アーケイディア」 を結成、きらびやかなアートロック
に取り組み、唯一のアルバム 「情熱の赤い薔薇(So Red The Rose)」はハイレベルな仕上がりとなった。

そして1986年、ロジャーとアンディーが相次いでバンドを脱退。
次のアルバム 「ノトーリアス」 は売れはしたものの、ファンク色の強さにファンが戸惑った面がある。

1988年発表のアルバム 「ビッグ・シング」 からは、「アイ・ドント・ウォント・ユア・ラブ」、「オール・
シー・ウォント・イズ」、「ドゥ・ユー・ビリーヴ・イン・シェイム」 がシングルでヒットした。

1989年には初のベストアルバム 「ディケイド」 をリリース。
1990年、アルバム 「リバティ」 を発表。ここでツアーメンバーだったウォーレン・ククルロ(ギター)、
スターリン・キャンベル(ドラムス)が正式メンバーとなるが、スターリンはほどなく脱退してしまう。

こうした不安定期を経て、1993年にシングル 「オーディナリー・ワールド」 が大ヒット。再び彼らに
世界が注目した。初期の名曲 「セイヴ・ア・プレイヤー」 をほうふつとさせる 「オーディナリー・
ワールド」、しっとりとして印象的な 「カム・アンダーン」という、2つの名バラードを含むアルバム
「ザ・ウェディング・アルバム」 は、古くからのファンの心をつかみ、多くの新しいファンを獲得した。

1995年発表のアルバム 「サンキュー」 は、12曲すべてがカヴァーという、思い切ったもの。
バンド結成当初から、すでにアイデアはあったという。ルー・リードのカヴァー、「パーフェクト・デイ」
はルー・リード自身が絶賛している。

1997年のアルバム 「メダザランド」 は、初期のサウンドを意識した面白い作品だが、レーベルとの
トラブルにより、本国イギリスでは発売されなかったという、いわくつき。さらにこのアルバムの制作
途中に、ジョン・テイラーが脱退してしまう。

1998年は、1980年から1997年までの主なシングルを集めたベストアルバム 「グレイテスト」を
発売、あわせてイギリスでツアーを行う。
日本では、ソニー 「MDウォークマン」 のCMに、「オーディナリー・ワールド」 が使われた。
1999年、同じ 「オーディナリー・ワールド」 がトヨタ 「新型レジアス」 のCMに使われる。

1999年はアルバム制作、アメリカツアーの年。また、新レーベル・ハリウッドレコード
(ディズニーグループ)に移籍した。
翌2000年6月、待望のニューアルバム「ポップ・トラッシュ」を発売し、アメリカ、ヨーロッパ
ツアーを展開。日本のファンは、ますます来日への思いを募らせている。

 

 

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