岩音楽の変遷
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其の1 岩音楽の発祥はまぎれも無く庶民の中から生まれた。それまでは上流社会で嗜まれる音楽と生活に溶け込まれ唄い継がれてきた音楽にはっきりと別れていた。今では種別として前者には古典(注1)、後者には民謡という名前がつけられているものの、実際には後者には明確なカテゴリーは無かった。 古典の演奏にはハッキリとした役割分担があった。指揮する者、曲を作る者、演奏する者、そして聴く者。ところが後者にはそれが無かった。演奏する者、聴く者、唄う者全てが本人であり、廻りの人間であった。いかに少人数で音楽を楽しむことができるか。そこに今も息づく岩音楽の原点がある。 |
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其の2 岩音楽は庶民の中からいつしか生まれた。田舎岩音楽(注2)はその代表であろう。ギターと声。それさえあれば岩音楽は成立する。私はこの2大要素を岩音楽のカテゴリーの定義としたい。 やがて1950年代にエルヴィス様が登場する。彼はそれまで決して表舞台に出ることの無かった岩音楽を円盤や電波(注3)などを利用して多くの人にその存在や音楽的価値を知らしめた点で高く評価したい。 1960年代に入るとビートルズ様を筆頭とする岩音楽が登場する。岩及び転がり音楽(注4)という呼称が使われるようになったのもこの時代である。そして彼等の音楽的才能は言うに及ばず集団形態(注5)の確立という点でも高く評価されるべきものである。 そして1970年、80年ともなると様々な亜種が生まれる。破裂岩音楽(注6)、重金属岩音楽(注7)などである。エルヴィス様の影響からか岩音楽はリーゼントをした不良がやるものであるという誤解を彼等は払拭していく。そのかわり新たな誤解も生まれている。岩音楽をやるものは犯罪を犯さなければならないとか、奥さんを何回も変えなければならないとか。 それも岩音楽が生い立ちから裏街道なので誤解は仕方ないのである。岩音楽は主流派であってはならない。主流からの反骨や反逆。 それが岩音楽の神髄であるからである。 |
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其の3 時代が進むにつれ他音楽との融合も見逃せない。古典のような形式美を追求した先進岩音楽(注8)とか、機械との融合を図った技術岩音楽(注9)などである。個人の好き好みはあるだろうがいずれにしても岩音楽の良さはこうした柔軟性の高さにも有るといってもいいだろう。 よく同じ岩音楽を愛する者でも仲が悪かったりする。例えば破裂系と金属系などがそうである。同じ金属系でも仲が悪かったりする。例えば金属系のガ○ズアンドロ○ゼズのアク○ル様とモトリ○クル○のヴィ○ス様がお互いの彼女を蹴り飛ばしたり、スキッ○ロウのセバスチ○ン様がボンジ○ヴィのジョ○様に噛み付いたりしている。 しかしそれは自分達の音楽を愛するが故であって、決して人間的に嫌いとかヘドが出るとか、このマザーファ○カー!とかゆーことじゃないのである。つまり岩音楽は自己表現する手段である。自己主張である。だから音楽演奏するのになんで革ジャン着なきゃならないのとかトサカ頭にしなきゃならないのとか言われても困るのである。岩音楽人は自分の生き方自体に岩音楽を重ねるのである。自分の岩音楽を否定されるということは自分自信を否定されるということである。だから自分自身の存在を主張するように自分の岩音楽を主張するのである。私はそんな岩音楽人を愛おしいと思う。 だから私は岩音楽を愛して止まない。 |
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