Column 16 2003.12.31.WED
不定期すぎるコラムVol.16 〜旅日記Vol.5と一年を締めくくる挨拶に代えて〜
12月18日、出発。ライブで配るはずのチラシがなかなか届かなかったために、予定より約2時間遅れでの出発となる。今回は19日に埼玉HORIZONと、20日に原宿RUIDOの2ヶ所。どちらも初めてのハコです。 出発は遅れたもののでかい渋滞もなく、わりと予定どうりに東京まで行けました。明日のライブは埼玉からだけど、宿は上野に二泊とった。たまたま前回泊まったホテルの近く。でも今までで一番の安宿です。3人部屋で、朝食付きで一泊一人4000円!。カプセル並みのお値段です。もともとはもっと高いホテルなんだけど、ネットで旅行会社を通して予約したらメチャ割引。いざ着いてみると、お世辞でも新しいとは言い難い、いや、言えないホテルだった。 一階の駐車場入り口はやけに狭く、各部屋のドアの上には部屋番号の書かれたランプが赤く灯っていた。エレベーターが何処かへ辿り着くと派手なブザー音が鳴り響いた。どう好意的に見ても、元モーテルだった。シャワーの蛇口はまるでスプリンクラーのように広範囲に水を撒き散らし、トイレはすごく寒くて、ホテルなのに今どき和式で、鍵が無かった。これだけ読んだ人は、一体どんなとこよ!?って思うかもしれない。でもまあ部屋は広めでテレビもでかくてなかなかに快適だった。次もここに泊まってもいいぐらい。朝食付きだし。ああー、朝食付きと行っても時間が決まってて、朝7〜9時の間にホテルのレストランまで行かなくてはいけない。他のメンバーは当然のように二泊とも食したが、僕は朝が弱い。とゆうか夜寝るのが遅い。予想通り、僕だけ2食分食い損ねた。やれやれ。
12月19日ー。埼玉HORIZONはクレヨンしんちゃんの町、春日部にある。典型的な一地方都市。駅前だけにすべての必要な店舗と施設が集中して建つ。そして典型的に、駐車場が安い。ホライゾンはまだ一周年の新しいライブハウスで、六階建てぐらいのマンションの一階にある。たたずまいもまだ、どこかの紳士的なブティックのようにピカピカだった。楽屋はなんと2Fの1Rの部屋が二つ用意されていて、今までで一番贅沢な楽屋だった。ライブハウスでキッチンのある楽屋なんてそうはない。 もともとここでお世話になることとなったのは、広島での出会いから。6月頃に広島のナミキジャンクションでやった時に、対バンだった『ドルポッツ兄弟』さんと仲良くなった。後々メールなどしてたら、Drの横山氏が埼玉でとあるライブハウスのブッキングもやってるとのこと。そしてまた関東くる時は是非うちにも寄っていって欲しいとのお誘いを頂いていたからだ。この日も楽屋に栄養ドリンクの差し入れまでもらった。終わってからも、やっぱりまた一緒にやりたいねーって言って頂き、もしかしたら今度は4月ぐらいに大阪で対バンするかもしれない。この話は少しずつ具体化しつつある。ただまぁ根本的なところに、はたして一緒にやっていいジャンルか?って疑問がない訳ではないが(笑)。でも、ジャンルが違うのにここまでお互いにリスペクトとゆうか認め合えるのも素晴らしいし、その後も関係を深めていけるってのも宝だと思う。そしてその偶然の出会いは互いのホームから遠く離れた広島の地なのだ。とゆうわけで今度は大阪で一緒にやるかもしれないし、またここへもくる事があると思う。これからもお世話になります。 そして宿のある上野への帰り道は、もはや恒例となった「ラーメン花月」探し。願いは叶う。またもやゲット。ヘンテコなとこに入って、いらぬ冒険をするよりよっぽどいい。だってうまいのだから。
12月20日ー。原宿RUIDO。この日は『Acma』主催のイベント、HO-K COMPUTER vol.34。このイベントはUKロックに影響を受けたバンドを集めて開催される。なぜここへ参加することとなったかとゆうと、5カ月ほど前に逆上る。僕はバンドの資料をいろんなとこに配ったり送ったりしていて、その中の返事の一つがAcmaさんだった。すぐにイベントへの参加を進めて頂き、この日を迎えた訳です。パソコンでのメールのやり取りがほとんどでしたが、いつもほんと丁寧。Acmaさんとは共通の知人である音楽関係者もいて、そうゆうのもあったのかもしれない。でも当日知ったのだけど、メインスタッフの渋谷氏が昔、一度大阪で僕らのライブを見た事があったとか。オドロキ。もちろん偶然になんだけど、かなりはっきりと憶えててくれたことにびっくりした。タウンページじゃないけど、世の中つながってる。この日のライブがあるのも、ほんの小さな出会いからだし。世界は実に色んな示唆に満ちている。 Acmaはもともとはちゃんとメンバーがいてスタートしたのだけど、今はvo,g,progの石谷氏以外はサポートメンバーで構成されているバンド。そして、Acma(デビューこそしていないものの、ちゃんとファンもいっぱいいるし、色んな雑誌にもちょくちょくのるし、レギュラーのラジオ番組だって持ってるし、時々某プロレスラーの入場曲にも使われたり、Acmaがプロデュースして曲提供とかしてるバンドだってある。すなわち、今の僕らよりもっとビックなバンドなのだ。)に関わるサウンド以外のことまでほとんど石谷氏一人がやってる。もちろんスタッフは何人かいるが、人を使うのは氏なのだ。ライブの作り方を見てても、このライブまでのメールでの対応を見ても、なんとゆうか、すごくバイタリティとか行動力のある人だと思う。本人と直接話してても、そう思った。いかにこのバンドをでっかくするか、またはそう見せるか。常にそれを頭において、かつ、やりたいことをやる。言葉でゆうより遥かに難しい。この日に学んだ事は僕の中ではでかい。僕なんてほんとまだまだなのだ。でももちろん諦めない。僕は諦めがとても悪い。僕らは僕らのやり方で、やりたい事をやっていく。 この日、Acmaのライブ前にスクリーンに何分かのビデオが流された。良くできてて、なかなか面白かった。その冒頭は幾つかの言葉から始まった。「泣けるロック」、「悩めるロック」、「進化したロック」。一つずつ順番に映し出されていった。その言葉だけみると、もしかしたら月並みな表現で、使い古されたものかもしれない。でも単純に、いいなって思った。いい響きだし、いい言葉だし、何よりも、言い当ててる。いいと思いません?特に後の二つ。「悩めるロック」、「進化したロック」。やっぱUKロック的なところってそうゆうところが魅力なんじゃないでしょうか。複雑な時代背景の中から生まれ、悩みながら、それでも独自に進化して来たUKロック。そしてこれからも悩みをいっぱいかかえて、進化していくのだろう。僕はそうゆうのが好きだし、やりたい。うん、いいと思う。悪くない。僕は好きだな。 イベントの最後は、この日の出演者全員によるセッションで締めくくる。radioheadの「creep」とBULRの「SONG 2」の二曲。楽器は数に限りがあるので代表者がやって、セッションとゆうより全員での大合唱となった。すこしテンポがまったりとしたcreepだったけど、かなり楽しかった。イベントでもこうゆう試みは初めてだったので面白かったし、また是非このイベントにも参加したい。ほんとありがとうございました。楽しかったです。
さーて、大阪へと帰りますかぁ。が、しかし、問題が二つ発生している。ひとつは東名高速での一部工事通行止め。もう一つは前日から全国的に降り出した雪。ふぅー。東名の一部通行止めは一日限りの工事らしい。なのになぜそれが今日なのか。なぜいつもピンポイントにこうゆうやつに当たってしまうのか。当然渋滞が予想される。僕らはいつも宿命的に雨に降られ、僕らはいつも宿命的に渋滞に巻き込まれる。かといって中央道はひどい雪。やれやれ。東名で渋滞。嫌が応にも前回の悪夢が頭をよぎる。悪夢。あれを悪夢とゆうのだろうか。ツルゲーネフなら幻滅と呼ぶかもしれない。ドストエフスキーなら地獄と呼ぶかもしれない。サマセット・モームなら現実と呼ぶかもしれない。もしかしたらヘミングウェイは鐘を打ち鳴らし、シェイクスピアは嘆きの愛を3つばかりさっと絡めてしまうかもしれない。世の中には実に様々なモノの捉え方と考え方がある。 出発前にハイウェイセンターに問い合わせてみる事にした。したら渋滞の方は致命的ではなく、ほんの短いやつが2つ3つあるだけらしい。東名なら雪は今んところなんとかいけるみたい。雪は生き物だから安心はできないけど、東名で帰るしかなさそうだ。前にも書いたけどこの機材車はつるっつるの、どノーマルタイヤなのだ。 渋滞はほんとにたいしたこともなく、静岡に入った頃にはもう快適だった。しかし、名古屋を過ぎた辺りから少しずつ降り出した小粒の雨は、やがて滋賀へ入る頃には確かな雪へと変わった。視界に入るものがどんどん白さを増していった。山あいに一瞬現れては過ぎるささやかな集落は、まるで誰かがうっかり色を塗り忘れてしまったように真っ白だった。僕は、冬が来ればきちんと雪の積もる土地の育ちなので、こうゆう風景を見るとひどく懐かしくなる。それは僕の記憶の中に、まるでたき火の前で語る年老いたインディアンのシワのように深く、宿命的に刻まれている。夜が明けて空が白んでゆく時の薄紫の空気の中、薄く雪化粧の山々からゆっくりと水蒸気がのぼる。やがて頂上に集まりまるでそこに何か大切なものでもあるように、しばらくとどまってから上空へと柔らかく消えていく。 本当に久しぶりにちゃんとした雪景色を見れた気がした。道路上ではまだ50キロ規制が続いていたが、雪は止み、風は無く、空はトルコの空のように青かった。遠くの山々はまるで、惜しみなく粉糖を降ったイビツなシフォンケーキみたいに並んでいた。道路脇に規則正しく植えられた植林は枝の先まで雪を背負い、10月の稲穂のように垂れていた。外の空気と車内との温度差が現実味を無くさせ、まるでスモールライトか何かで小さくなって手の込んだ模型の中を駆け抜けているみたいだった。僕らの旅はいつも太陽を背にして進む。日の沈む頃に東を目指し、日の登る頃に西へと帰る。背後にある朝日が僕らの行く手にある銀世界に光を与えていた。どこまでも白かった。つい急いで生きてしまう僕らの前に突然現れた景色はどこまでも幻想的で、時間なんて止まってしまったように不思議な光景だった。 しかしどれだけ辺り一面を覆ったとしても、一夜酢けの雪の大半はその日のうちに太陽が溶かしてしまう。世界はかくも美しく、危ういのだ。そして次に、本当の冬がこの土地へやってくる。
2003年、今年は忙しく動き続けた一年だったかもしれない。ライブは地元の大阪以外でやる方が多かった。去年の暮れから始めた関東ツアーへも、今年は5回出掛けた。何度か西へも行った。新しい機械を幾つか取り入れ、新しい事へチャレンジした。メンバーが一人抜けた。さらにチャレンジは大きくなった。困難なところから可能性を探り、一つずつ形にしていった。 でも、まだまだこんなもんじゃない。来年はもっとやる。2004年は2004年のチャレンジを新たに見つけて、またそれを新たな形にしていく。もちろん、それに向けてすでに動いてることもある。僕らは悩み、進化する。 ともあれ03年、今年ももう終わり、一つの区切りです。去年も同じような事を書いたかもしれないけど、一年間ホント色んな方々にお世話になりました。ありがとうございます。僕らはまだまだ未熟ゆえ、04年も様々な方に支えられていく事になるかと。その折は皆様、この message from otherside をどうかよろしくお願いします!
最後に、いつもこの幼稚な乱雑文を最後まで読んで下さっている少数のレアでコアでマニアな方々、心から感謝します。
よいお年を。
by.taka