
執着心の色々
平成十(西暦1998)年十一月一日 旧九月十三日(日)
霊主体従子の巻第三九章白玉の行衛に記された物語は、悪神が如何にして人間の執着心を利用して目的を達そうとするかが描かれている。 本来はその精霊の中に無上の御霊を宿しているのが人の性であるが、目に見えず、手にも触れず、臭いも味もない玉であるから、どうしても目に見え、手に触れ、臭いも味もある玉に心奪われてしまうのが顕身の弱さである。 この章には田依彦の持つ白色の玉を武熊が如何にして手に入れたかが記されている。 先ず始めに美飾の執着を魔子彦・草香姫の登場で臭わせ、恋病と病を癒そうとする家族の情でさえ、物事を正見しようとする心眼を曇らせてしまう事の恐ろしさを説いている。 この章で学び取るべきことは、第一に神示を得ることに容姿の優劣は影響しないということである。 第二に病は気からということであり、第三に人は身辺の異常に対して悪戯に騒ぎ固執して己を見失ってはならないという事である。 身を飾り香料によって素地を隠して上辺だけの美が備わっていても、心の中に美があるかどうかは即決出来ない。 また表面的に相手を気遣う様な優しさを見せていても、「魚心あれば水心」という様に下心がないとは限らない。 かえって親切そうに近寄る者の中には野心家が多いものである。 また、家族だからといってその生命に関わる問題は一秒たるとも神様の御配慮なしに延長出来るものではない。 もし、田依彦に徹底した神への信仰があったならば、家族の異変で惑わされることもなく、玉を取られる事もなかったであろう。 人として一端神様から御用を承ったらたとえ最愛の人を失おうと、自らの所有物を全て失おうと狼狽え騒いではならない。 御用など承らない方が好いのであるが、縁あり承った以上は先ず覚悟せねばならない。 しかし悪神に仕えれば、如何に優れた策士であっても身を滅ばされる事になることを魔子彦の暗殺によって訓示している。 悪い奴ほど手が白い。 蜥蜴の尻尾か鼻紙に使われるだけである。 続いて第四〇章黒玉の行衛には名誉欲と自愛と芸妓に対する執着心への戒めが描写されている。 名誉欲も自愛も芸術も、先に述べた情も恋もあらゆる欲望は全て均等に程良く持っていなければならないが、何れかに偏り執着する事は一つの玉に慢心することに等しい。 黒玉を得た玉彦もそれによって名誉欲が突き出てしまい悪神に取り入られる隙を作ってしまった。 その上妻女に嫌われたくないという屈折した自愛心が命取りとなった。 竹熊の間者鳥熊は長彦の野心につけいり彼を抱き込み、玉彦の妻坂姫を舞曲によって引き付け、坂姫の言により黒玉を持ち出させた。 体よく黒玉を奪った鳥熊は更に長彦から玉を奪い暗殺したが、大虎彦(アケハル)に黒玉を渡した直後に魔子彦同様暗殺される。 続いて第四一章八尋殿の酒宴の一では、竹熊、大虎彦が帰順を装い大八州彦命に近づき芳彦(紫玉)、神彦(黄玉)、倉高、杉生彦、猿彦の玉五個を侠気を煽って騙し取る。 更に第四二章八尋殿の酒宴その二で尚残る五個の玉を同席する高杉別、森鷹彦、鶴若、亀若、時彦から奪おうと悪食をもって責めたてたが、ついに耐え抜き天上から金色の八咫の烏(石工)が数百千とも限りなく表れ彼等五神を救出し、前章の玉を差し出した五神を悶死せしめた。 この時点で十二個の玉は七個まで竹熊の手に堕ちてしまったのである。 さて余談になるが、救出された五神の内の高杉別が高杉晋作、森鷹彦が西郷隆盛、亀彦が亀山社中を創設した坂本龍馬だとすると、大八州彦命は天皇陛下に相当する。 そうして大八州は日本列島であるから顕国の玉を聖師様とすれば一つの解釈が出来る様に思う。 |
鶴は千年、亀は万年、時は無常
平成十(西暦1998)年十一月二日 旧九月十四日(月)
霊主体従子の巻第五篇第四三章丹頂の鶴からは酒宴で耐え抜いた五神司のその後が記されている。 赤玉の持ち主鶴若はよく精進してシオン山頂での修行の末に神通力を得たが、修行飛行中に紫雲棚引く高山の紫雲から発生した紅色の玉から現れた鶴姫を妻に迎えて神通力を失い地上の人となる。 年老いた夫婦は後継者を望み、竹熊の部下鶴析姫の妖力から現れた鮮花色の玉を二つに千切って食したあとに情欲を覚えて結ばれ初娘を得る。 この娘を溺愛した二人は玩具代わりに赤玉を差し出すが、娘鶴子姫は黒竜と変じ赤玉を奪い両親を捨て飛び去る。 夫婦の無念は頭上に赤玉となって現れ丹頂鶴の由縁となった。 第四四章緑毛の亀では酒宴の悪食で短命に終わった亀若を忍びつつ緑玉を守っていた亀姫も、ガリラヤの海から現れた異様の動物の化身高津彦を亀若と見誤り、夫婦生活を再縁したが高津彦は風邪をこじらせ病床に伏す。 その時高津彦の双子を名乗る高倉彦が現れ、偽の神示を授け遂に緑玉を奪取する。 亀姫の無念は緑毛の亀と変じ、万年の亀の由縁となった。 この二章で語られるのは鶴亀の因縁であり、言霊学上妻にちなんだ執着心を描いている。 私はこの時ツルをルツと返したらロンドンの霊反しになるなあと思った。 ロンドンと云えば明治帝国王制の見本でもあり、現在は女王陛下が頂点にある。 幕末当時薩長の側についたのが、ヘンリー八世以降カトリックと絶縁して国教会と新教各派を布き、海軍を育成して絶対君主制を確立していた女王陛下のイギリスだったのも、神州日本がその神性を失う機縁となったなあと感じ、鶴子姫は女神天照大神の事かなあと思うと、深入りは禁物という気がしたので次に進んだ。 紅色は好色、千切るは契ると読むと、まるでエデンの園での失楽園の物語の様でもある。 アダムとイブの長男カナンはアベルを殺した後東方に追放され鉄文化の祖となった。 今は黒鉄時代に相当するが妙な話しだ。 短命で亡くなった亀若もカメをメカと反してマと読むわけだが、今日メカといえば機械である。 前稿で亀若を坂本龍馬になぞらえたが、彼等が食した毒虫の正体は「西洋かぶれ」という虫であったのかもしれない。 そういえば坂本龍馬はギリシャ正教ニコライ堂の建設に尽力した沢辺琢磨の命の恩人で、彼はローマ教皇を認めないキリスト教派で同系のハリストス正教会とともに明治維新以降の日本キリスト教の軸となった。 龍馬の短命をローマン・カトリックが聖書を再構成して異邦人に都合の好い宗教を作り替えた事に比せば、ガリラヤの海より現れた偽亀若の正体も伺える。 縁は異なもの味なものである。 要するに鶴は真正の神の系統であった皇室であり、それが竹熊の手先であるイギリスに偽りの後継者を与えられ神力を失い、丹頂鶴に象徴される日の丸の旗だけが残り、亀姫に例えられる天照大神の国は我を忘れて西洋かぶれに陥り、偽りの神を信じた為に緑玉に象徴される水の嬰児を奪われてしまったということではないかと、ふと思ったのである。 第四五章黄玉の行衛では時彦が黄金の玉を騙し取られるが、これは私には耳が痛い様な話しである。 竹熊がデカタン(印度のデカン)高原に偽高天原を定め祭典を行ったのは近年印度を中心に発生したヒッピー・ロック・ムーブメントを想起させられる。 日本でも芸能界が盛んだった頃は清水の次郎長に象徴される恐い人達が興行主になっていられた頃だ。 また奪われた黄玉は時期尚早だった満州国家だった様な気がするのである。 ヒマラヤのある中国を挟んで印度があるなら、その対極には蒙古がある。 とても気になる。 |
三羽烏と型の仕組
平成十(西暦1998)年十一月三日 旧九月十五日(火)
霊界物語第一巻第五篇御玉の争奪第四十六章「一つ島の一つ松」には遂に竹熊の魔手から、高杉別と森鷹彦が所有する二つの玉を守り抜いた経緯が記されている。 其の方法は二つの玉の偽物を表面帰順を装って竹熊に渡し、森鷹彦は大八州彦命に本物を渡し、高杉別は杉高に命じて地中海の一つ島に秘蔵させたのだが、これは大八州彦命は即ち日本であり地中海は黒海と合わせて日本海を意味するものであるから、能登半島から以南の日本海上にある島であると思うのである。 これはイスラエル十二氏族の内の二つが、辛うじて守られた事の神示である様に思うのである。 森鷹彦の玉が日本の何処に渡されたかといえば、それは紛れもなく聖師様の御霊である。 此の玉は世嗣問題に関わるのだろう。 高杉別の玉は一端地中海(日本海)の一つ島に秘蔵された後、聖師様に納められたものと私は理解している。 また「八尋殿の酒宴」の章に対する原稿に記しておいた様に、高杉別は長州の高杉晋作であると同時に桂小五郎であり、森鷹別が西郷隆盛であるとすれば、明治時代の三羽烏の三人目は大久保利通であるので、これは竹熊別に相当すると思うのである。 第四十七章「エデン城塞の陥落」での竹熊別の謀反を考えると、戊辰戦争の因縁を感じるのだが、考え過ぎであろうか。 勿論これらの全てが明治維新についてのことばかりを言っているとは思えない。 たまたま私の心の中に明治維新が大きな位置を占めているので、それに引かれての感想である。 また、エデン城塞の陥落はユダヤが異邦人に制服された事の比喩の様にも思えるのである。 第四八章鬼熊の終焉では、ウラルの因縁が記されているが、ここは日本の伯耆の大山に関係があるのであろうか。 第四九章「バイカル湖の出現」に記された事は日本における猪苗代湖の出現と相関関係にあるのであろうか。 第五十章「死海の出現」では竹熊の血で汚れた十二個の玉(偽物二個を含む)の精は邪気となって世界の各所に納まり多くの生物を困しませた。 これは偽の宗教の事をも象徴しているのであろうと思う。 死海はヨルダン川の川沿いにあるが、ここから死海文書が出てきた事は未来に対して警鐘を鳴らすべき事であるのかもしれない。 「付記」では聖師様が霊界物語を刀剣の鯉口に例えて解説しているが、全く発端さえよく念頭に入れておけば、その名刀である事が判るのであろう。 全て発端を基本にして読み直せば、全巻に秘められたとんでもない内容が読みとれる様な気がする。 私の発想は時代考証的に実際の歴史を前後していることや空間的に飛躍する事が多くあるが、何分霊界での事象は時間空間を持たない為に、時空間に現実化する時には順序が入れ替わる事があると聞く。 それから世界の汚れを立て直す仕組みを、聖師様が日本で行ったのだから、世界としては悪神の拠点となった場所も、日本では立て直されて聖地に改められている場所も多くある様に思う。 トルコが出雲であるならヨーロッパは津軽を中心とする東北地方であろうし、アラビアは中国地方南部であろう。 ペルシャ湾が大阪湾なら印度半島が紀伊半島だろう。 南京と北京は東京に凝縮され、上海と香港は横浜に凝縮されるだろう。 蒙古が信濃であるなら北朝鮮は茨城県で、大韓民国は千葉県であろう。 ソ連は会津、ロシアは福島であろうし、モスクワは仙台に当たるだろう。 私の視点も十年で傾斜運動を始めたらしい。 前原稿のデカン高原も伊勢に関わる事であるとすればもっと明確に解釈できるであろう。 |
未曾有の神書
平成十(西暦1998)年十一月四日 旧九月十六日(水)
愈、霊界物語第二巻に参入する。 先週十月二十七日からは物語を拝読してからの原稿作成となったので、夜中に送信する毎日が続いている。 十日間も外からの送信であったのも、本日から我が家からの送信を再開するのも御神慮のあることであろう。 ドイツでの電話通信ストライキのコラムを聞きながら思わずにんまりしていたが、昨日は送信先のコンビニの前で張り込み中の様な二人連れを目撃していたく感心した。 本文「序」に於いては、霊界物語御口述迄の経緯を記されてあるが、二十三年間もの間神命の降るのをお待ち為された聖師様の御苦労と忍耐の素晴らしさに改めて畏敬の念を感じさせられる。 抜け駆けの功名は手柄にならぬという教訓を得る事が出来る。 「凡例」には、ただ編者記すと銘打って、聖師様そっくりの論調で瑞月大先生のお示しが記されてあり、霊界物語の拝読の基本姿勢と手引きが記されてある。 神代言葉と数字の意味について非常に参考になることが記されている。 「総説」には神代の服装とその変遷や、霊衣、御神名、頭髪、善神と悪神の経緯等が記されている。 国治立命の服装は上衣が紫の無地、中衣は純白、下衣が紅の絹物ということでるから、これは顕国の玉の外皮の様であり、国大立命の服装は上衣は青色の無地、中衣は赤色、下衣は白色絹物であるから、真澄の玉、潮満の玉、潮干の玉の様で二神合わせて顕国の玉という謎であろう。 稚桜姫命は上衣は水色に種々の麗しき模様があり、たいていは松や梅のついた十二単衣ということであろうから、黄金水の精から現れた十二の玉や十二の国魂石の謎かけであろう。 天使神は上衣は黒の無地、中は赤、下衣は白の無地だから、八咫の烏と日本の国旗に準えているのであろう。 その他の神将は青、赤、水色、白、黄、紺等、無地の絹、麻、木綿等に区別されているから、諸々の国旗やその上中下三階級の国民の意味があるのであろう。 しかし、年月を降るに連れて、こういった色別は難しくなって来ているというから、これをすぐに現世に当てはめるのは早とちりであろう。 ちなみに私は黒と赤と白の組み合わせを好んで着たがるが、これも何かの縁だろうか。 霊衣もただ厚いというだけでは、その善悪を量りかねるらしい。 後光が射しているからといって、安易に崇拝するのはやめておこう。 私も霊威がはっきりと見えるわけではないが、その明暗や雰囲気や霊臭は微妙に判る。 母は好く倒れたが私が大丈夫と言えば医者が覚悟して下さいと言っても心配なかったし、医者が治ると言っても、今度は覚悟しようと父や親戚に言えば其の通りであった。 あまり嬉しいことではなかったが・・・・。 大の字が付くか付かないかで、その神格は断然違うと記されているから、国大立命と稚桜姫命では、同じ人間姿の最初の神様でも礼を弁えなければならないと言えそうだ。 エキストラの仕事をしていても、私はそんなに大きくもないし、着飾ってもいないし、特別美男子というわけでもないが、目立ち過ぎるらしく、一度画面に映ると次の仕事が減ってしまう。 エキストラは目立ってはいけないそうだ。 早く役付きの仕事がしたいものだ。 髪の毛の色は漆黒が神様直径の人間で、赤いのは堕落以降の天足彦と胞場姫の系統というから、私が原罪浄化の話しに強い関心を抱くのも、このもみあげの因縁上避けがたい事なのであろう。 尤も、現在の処、どの人種も神界より見れば体主霊従、尊体卑心の身魂に堕落しているというのだから、人類平等に甲乙判別なし難いというので、気に病んで落ち込むには及ばない。その為の霊界物語拝読である。 私の左手にダビデの水六星や、右手に火五星と一点のホチがあるのも天の一点地に降る火水の名簿印と思えば、救いの中にあるので安心である。 磐古大神塩長彦は日の大神の直径で、太陽界から降誕した神人である。 日の大神の御油断で、手の股を潜り出て、現今の支那の北方に降りたる温厚無比の正神であるというのだから、小八州中国のハルビンかチチハル辺りに降ったのは、八王大神の方で後で常世の国で悪さをした御方であろう。 救世の聖地、大八州の東京八王子で愛善苑の為に頑張っている塩津晴彦さんは真正の磐古様で正神として救いの業を為しておられるのであろう。 赤旗から愛善苑の御神旗に持ち直したのは大正解である。 それが証拠に塩津さんの名前も切神神示に出てくるし、和明さんの名前も出てくる。 大自在天神大国彦は、天王星から地上に降臨した剛勇の神様である。 いずれも皆、善神界の神であったが、地上に永住したせいで、天足彦、胞場姫の邪気に影響されて狂ってしまったけれど、地教山から遣わされた宣伝神の宣伝歌に改心して、天地の主神に全権を奉還為された潔い神様達である。 後世悪を続けたのは、皆これらの神々の偽物ばかりだから日本に生まれた事を返す返すも天地の神様に御礼申し上げねばなるまい。 常世姫は稚桜姫命の娘で、八王大神常世彦の妃となり、悪辣なる手段を用いて世界を我意のままにしようとする自由の女神である。 新約聖書黙示録にも出てくる大悪役だ。 戦争好きの偽八十の国と言えばロッキー山の偽美山彦の縄張りだ。 今は昔の物語とは云えエグイ話しである。 八頭と言えば偽ユダヤ、八尾と言えば偽キリスト、その大蛇、要するにリーダー格の国と言えば彼処しかあるまい。 そこに印度から発生したという金毛九尾の悪狐の懸かった常世姫が嫁いだというのは、印度の地を植民地としていた彼女の国である。 ヒッピー・ロック・ムーブメントの思想的発祥地が印度で、それを流行らせたのが英国のキュービット達で、それが爆発的に大流行したのが米国だったのも因縁のある事であったのだろう。 そしてその勢いを食い止めて次世代を築いて行ったのが、バッハの宗教音楽をエレキ・ギター(弦)に取り入れた米黒人のジミ・ヘンドリックスの戦争批判的米国家と紫の煙のメドレー演奏と、英国の三大ギタリスト、エリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベックの率いるバンドや、バッハをオルガンに取り入れた深紫(ディープ・パープル)とEL&P等のドラム(太鼓)を中心とした演奏だったのも素盞嗚尊様の働きに通じるものがあるのだろう。ビートルズの四大天使達も、印度にさえ行かなかったら、解散という犠牲的結末を迎えずに済んでいたであろう。しかし、彼等の残した作品が今も尚、多くの恋人達を満たしている事を思えば、その精神は受け継がれたと言うべきであろう。 母国よりも我が国で歓迎されたヴェンチャーズや、茨城出身で横浜を拠点にした寺内タケシさんや、湘南の若大将、加山雄三さんがエレキでヒッピー・ロックを吹っ飛ばしてくれたのは幸いな事であったのだ。 紫というのは貴い色である。 金毛九尾の悪狐に憑かれた高姫の権化さんが、あの玉が欲しかったんだと言って地団駄踏んだという十曜の神旗、十色の愛善苑旗の中心に据えられた顕国の御玉の色である。 こういう神妙不可思議な御縁を無視する事は私には出来ない。 一見美なるものも、その真偽はよく照らし合わさねばならない。 次稿で取り上げる美山彦でも語るべきことであろう。 聖師様がこの口述をし終わった時日が奇しくも大正十年十月十日午前十時であったのも、来る昭和十年十月十日午前十時に竹内巨麿が自ら所有する古文献を初めて開いた処、彼の大嫌いな耶蘇が出て来た。 これを嫌った竹内は獄中の人となったが、同じ日に不思議な夢を見て、キリスト日本渡来の証拠をつかみ、それを発表した山根キクが突然の悶死を遂げた事を考えると無縁の事件とは言えないであろう。 竹内文献は竹内巨麿が鞍馬に篭って仙人に授かったものであるというし、修行を終えた竹内が当時の茨城県に本陣を構えたりしたから信仰の対象にするべきものではない。 山根の見た夢に富士山(実は津軽富士十和田山)や津軽半島と下北半島らしき二つの半島が出てきた事や、そこに外国人らしい足の長い男が出てきて太陽に向かって発砲すると、黒鳥が群がって太陽の光を消してしまったという事を知れば、これが好い夢であるわけがない。 黒鳥と言えば死の使者である烏である。 八咫の烏の様な金色の鳥ではない。 聖師様は竹内文献を決して否定はしなかったが、それが善であるとは言っていないし、この文献が引き金になったと云われる二・二六事件には頑として関わらず、彼等による暗殺寸前に、宍道湖まで捕らえに来てくれた官憲に感謝さえしている。 第二巻は神界の混乱を描写したものである。 太陽に象徴される日本帝国が光を失う原因、邪神の再来の活動を描いたものである。 それが何を意味するものかは、私が記すほどの事もないであろう。 しかし、もしヒットラーがこの山根キクによる「光は東方より」の内容を日本が認めていると知っていたら、ユダヤ人虐殺を中止していたかもしれないとも思うが、そうなっては当時の日本の悪政を正す事も出来なかったかもしれない。 何とも気の毒な時代である。 山根キクも、「キリストは日本で死んでいる」の中で「十三、七つ」の唄を取り上げているが、聖師様の云うような具体性が全くなく、神秘に悪酔いしているのが感じられる内容である。 もし、聖師様の教えに出会っていたらもっと好い結果になったであろうに「縁無き衆生は度し難し」という事なのであろうか。否、かえってあれだけ気位の高い人であったから、もし霊界物語を読んでいたら己の愚かさに卒倒して狂死してしまったかもしれない。 キリスト複数説は現代も問われる問題であるが、五六七大神の御出現を知った上で探求しないと悲劇を招く事になる問題でもあろう。 第一章「攻防両軍の配置」にはシオンをめぐる攻防前夜が描かれているが、これなども後世のシオン運動に対する警告であったのであろう。 「海外の何処を探してもシオンはもぬけの殻である。 当の御本尊は大八州に志士十六の神将を従えて弥勒胎蔵経を説くこのわしじゃ。」 という声が聞こえて来そうな内容である。 現在私の方で執筆中の「とよたま愛読会御報告」の内容でも法華経に関する内容が出て来るが、全ての宗教信徒達が教えを守ってきたのは五六七大神に救われる為のものであるのだ、という事を示唆する内容だ。 「とにかくどんな道に迷っていた者でも構わないから霊界物語を一度でもいいから読んでみよ。 むしろとことん道に迷った事のある者ほど、その救いの意味を悟る事の出来るものなのだ。 吾は神に仕える者であると云う気概のある者ならば、騙されたと思ってよんでみろ。 必ず悪いようにはしないぞ。」 という火宅の長者の様な必死の呼びかけを、「序」の文面からも感じとる事が出来る。 私も全く同感である。 「嗚呼、世の心正しき者よ。 義に飢え乾く者よ。 心寂しき者よ。 心迷い自ら責め続ける者よ。 ここに集いてこの神書を開け。 一言一句を見逃さず、聖師のその透見に触れよ。 果てしなく無限大なる救いの温みにあずかれ。 濁れる目以て醜を美と観るなかれ。 真澄の眼を開きて真善美愛の実を得よ。 天国はここにあり。 ただ目を向ける時の至るを待つのみ。」 |
光と影
平成十(西暦1998)年十一月五日 旧九月十七日(木)
光があれば影がある。光が眩ければ眩いほど、影となってそれに従う影は大きくなっていく。 霊主体従丑の巻第一篇第二章「邪神の再来」では竹熊の再来棒振彦と木常姫の再来高虎姫は八王大神常世彦を謀主とし、盤古大神塩長彦の神政に覆す為に、艮の金神国常立命逐い落としの野望は竹熊時代より一層激烈を増した。 木常姫の再来高虎姫も美山彦の妻、国照姫の名を奪い大八州彦命の部下を欺く手段をとった。 正直一図の真・国照姫はついに一通の書き置きを残し紅海に身を投げる。 偽美山彦はこれ幸いと偽国照姫とともに初志貫徹を欲しいままにする。 奸知に長けた偽国照姫は小杉姫を偽美山彦の正妻に迎えるが、女の浅はかさから鷹姫に逐わせられた。 偽美山彦、高虎姫、鷹姫は三つ巴となって、陰謀成就の為に大活動を始めた。 高虎姫には猿飛彦という夫があった。 第三章「美山彦の出現」では、ロッキー山を巡って真偽の美山彦が合見える。 天使大八州彦命、真澄姫の最も信頼する神人に美山彦命という智勇兼備の神将があった。 この美山彦命が真正の美山彦である。 美山彦命の声望は大八州彦命の名とともに広く世界に喧伝された。 しかし美山彦命の風貌に接した神司は一柱もなかった。 偽美山彦命・妻神偽国照姫はこの事情を利用して陰謀を巡らしたのである。 真正の美山彦命は大八州彦命・真澄姫の内命によりロッキー山に立てこもり、魔軍の内情を偵察した。 やがて偽国照姫は竜宮城の真澄姫にロッキー山の美山彦命の危機を密告したが、真澄姫は稚桜姫命にこれを奏上し、姫命は大八州彦命にこれを報告した。 が、すでに真正の美山彦命は安泰山に第二の陣営を造りすでに出陣していたため、その密告の偽なるを看破した。数多の神司は美山彦命のロッキー山での危機を聞きつけ参集するが、大八州彦命とともに現れた真正の美山彦命の出現により、偽神の謀計は崩れ、事なきを得るに至った。 すでにロッキー山は棒振彦の手に落ちていたが、美山彦命以下の石像から発する火に敗北し、鬼城山の高虎姫の陣営に退却した。 その後真正の美山彦命・国照姫は言霊別命と言霊姫命に名を改めることになる。 ロッキー山は北米大陸の霊峰であるが、北海道の見山山地と石狩山地の合体であるなら大雪山が日本のロッキー山となるのであろう。 米国防総省ペンタゴンと江戸幕府北方警備函館奉行庁舎五稜郭が相関関係にあるのなら、世界的函館戦争はこれから起こるのであろうか。 そんなことは考えたくないものだ。 何故なら今米国は宇宙開発のリーダーであるからである。 江戸幕府が侍時代の最後になった様に、軍人時代の最後の鍵を握るのは米国であろう。 世界に偽りの天主が現れるような時代は来て欲しくないものだ。 江戸と京都、米国と西京エルサレムは見逃しがたい関係だ。 五稜郭が五星形である様に、ペンタゴンも五星形だ。 星に関係あることは間違いない。 美山彦命の言霊別命、少名彦命は、その後耶蘇として再生する。 即ち真正の耶蘇の神霊は大八州彦命の聖師様に合体し、偽キリストは偽美山彦棒振彦として再生した竹熊の再来であったといえるだろう。 前稿に記した山根キクの夢に現れた長靴をはいた足の長い外人は竹熊の部下、足長彦であろう。 西洋ではイタリア半島の事を、その長靴に似た形から、レッド・ブーツと呼んで不吉がる。 レッド・ブーツは悪魔の長靴だそうだ。 しかし、そこにローマン・カトリックの聖地がある。 今後科学は何処までも物質的に叡智を極めようとするであろうが、言霊、即ち誠の神の御意志を何処まで受け入れられるでろうか。 |
旅の徒然
平成十(西暦1998)年十一月六日 旧九月十八日(金)
面々世界を見渡せば 鬼の様なる神も在り 神の様なる鬼も在る 元来命は純にして 体は諸象に好嫌の 差別を為して躊躇わず 神の悪魔の死神の 厚い寒いと言ったとて その感覚に内外の 区別のあるを覚りなば 時の経過を満喫し 内津御国に天国の 土台を築き潔く はい左様ならと膝栗毛 土に縄張りある故に 拝借料や権利金 巡って商売風吹かし 飯の種だけ稼ぎ出す お里忘れた罪故に 人は労して食を取り 無ければ人から略奪し 地獄の沙汰も金次第 それが道理と手を反し 利口ぶっては道外れ 世を長らえる事ばかり 血道を上げる修羅の群 天は呆れておるだろか 糞にも肥しの用途在り 我が遺伝子を現界に 残し行くのは何となく 憐れに思い仕方なく 恋の道にも遠慮する 寄生虫でも何のその この世の中の肉体に 虫を持ない者はない 用在ればこそ姿在り 増してお互い虫同志 人は自分の鏡なり 責任観念持たばとて 何時の間に資本家の 思い通りの世の中に 生まれる子孫の儚さに 心悩ます暇はない そも現界の生物の 輪廻転生九割八分 成就したのでこれ以上 肉体増して魂抜けの 世界を開くに及ばない 地上に人間二分在れば 三千世界の立て直し 成就の証し末永く 続くと言えどこれ以上 人工増す意味も無し 時は熟して霊界の 燦然世界は光彩も 春爛漫と咲き誇る 諸悪は全て肉体を 守るが為の自愛にて 畜生身魂の精進の 甲斐在り人工減少し 寿命も延て行く仕組 少しは同情あれば とてこんな歌等詠いつつ 権化の地上の生活の 不備不足をば並べ立て 後の楽しき霊界の 想像超える生活を 一日なりとも待たぬ様 心の荷物の重たさを 感じさせるも情けなり 重き濁りは地に降り 物質界を形成し 清明無垢なる軽い霊 天に昇りて神となり 天地の隔てを造る也 そも混沌というものは 遥か太古の記憶にて 軽く成る程天国の 高きに至る縁となる 此の世で何程偉くても それが心の足枷や 手枷となって自縛する 大地に首迄埋りつつ 救い求める亡者達 教え諭して導きつ 歩く道路の忙しさ 一瞬たるとも油断せず 聖師への祈りを縁の橋 引導代わりに伝授して 自ら救われ昇る霊 恩着せ等は出来はせぬ 此の肉体も強固にて 大病せぬは好けれども 一度天女の美しさ 拝んだ記憶のある限り 早く御用を成し遂げて 仲良く頬を擦り合いつ 天国生活送りたい 現世は名主に預け去り 何時でも迎えを心待つ 長生きすればする程に そんな心が強くなる 聖師の宣伝する者に 生業等はまつろわぬ もういいよ充分生きたと祈れども 用は尽きざりこの身急がし 金品は五の次なれば先ず度胸 度胸度胸で世は人を待つ 働いて飯を食わぬは惟神 断食業ぞ身の清めなり 意識して我慢するのは行ならず 喰うに食えない時が行なり この言は鏡の教え真正の 宣伝使達の行と聖師説く 好まざる時に好まぬ事好み 忘れらるれば道の徹底 此の石をパンに換えよとアーリマン アンゴルモアの魔王降れる 肉体は熱しやすくて冷めやすい そう簡単に霊は判らぬ エネルギー使用料等天国に 聞いたこと無し故に払うか 天国の生活思い出した故 罪無き吾は遊び暮らさん 天国は遊ぶが仕事なればこそ 月に一度の祭日で足る |