神基宇霊真幸治カキウチマサチの琴

    
平成十一(西暦1999)年七月一日 旧五月十八日(木)


 お久しぶりで御座います。
垣内政治で御座います。
後藤喜男では御座いません。
昨日迄は虞歌裸神斎だった垣内政治で御座います。

 今は映画ショムニをレンタして観覧しておるのですが、エキストラ時代の私がしっかりと映っておりましたので喜んでおります。
 とはいえ顔は判りませんが浜田のマリさんが郵便を投げて配っている時に、ドサッと投げられた郵便の束を慌てて立ち上がって押さえようとしているのが我が輩であります。
なかなか迫真の演技であります。
 あの頃は一寸やる気あったからなあ…。
懐かしいなあ。
 えっギャラですか?そらあんた小遣い程度でんがな。
せやけどお金の問題ではおまへんにゃ。
 映ってないけど、エンクミが、
「みなさん!」というシーンでも実は演技しとってんねんで。
 もうビデオにもなったんやから公開しても問題おまへんやろ?
他の作品でも仕事してるけど未確認なので、後日あらためて御報告させて頂きます。
 さて虞歌裸神斎というペンネームをやめて人として再登場したのですが、いよいよ七月で御座います。
   巷では七の月。
   こちらでは地成る月。
というわけで久しぶりにまる一枚に言いたい放題というつもりなのですが、短い言葉で表現するのに慣れたせいか、何だか原稿用紙四枚分はだらだらと長い様に感じてしまいます。
 昨日我が輩はフジテレビの社会の窓に大窓王百万円獲得を目指してFax投稿してしまった。
何にしてもせめてテレビで、作品のどれかが放送されたらいいなあ。
(見事に没であった…T_T)
(大窓王Fax投稿ネタ……1・「ダイちゃんのアイコンおろしの素」
             2・「人呼んでたんぱく仮面」
             3・「シルクのふんどしはいかがですか?」
             4・「ご覧下さい。牛の行列です」
             5・「牛の行列」
             6・「真夏のサンタ」
結構、本人は受けてたんだけど…やっぱ、わかりにくいかね…こういうの・・;)
 欲は欲。
もうすでにネタを知っている部外者も何人かいるのだろうけど、恐怖の大王になるよりも大窓王になった方が嬉しいよね。
 えっ?俺の名前が出ているだけで没にされるって?
そこを承知で相手の懐の深さに探りを入れてるんでしょう。
 前にも花屋敷や奇跡体験アンビリバボーに投稿したけど、内容以前に我が輩の名前は要注意みたいだよ。
にもかかわらず本名で出るのかって?
本名でやらなきゃ○×▽◇も心配してるでしょう。
お金儲けをしようと思ったら実名で堂々とやらないと○○○○せないでしょう。
そのかわり出世××だけど。
 何とか仕事にならないかなあ。
○×▽◇が一緒にプロモートしてくれりゃ、我が輩の○○くらいアッと言う間に○○の○○と一緒に○○できちゃうんだけどね。
自信と才能は太鼓判押しちゃいますよ。
一緒に金儲けしたい人はこの指止まれ!
……なんてね。
 この際猿回しの猿になるのも辞さない覚悟でございます。
そういえば例の騒動のお猿さんは何処行っちゃったのかな。
実はもう善意の人に捕獲されて匿われていたりしてね。
私設猿愛護協会なんてあったりすんじゃないの?
想像だけど、こんな御時世だし・・・。
 えっ、Sッ○ー騒動ですか?
Mッ○ーさんも御苦労さんだね。
何だか芸能界の保守派対革新派みたいな騒動だね。
どっちも双方に理があるみたいで、あの年代だからこそああいう風に激しくなっちゃうんだろうね。
 やっぱり口は災いのもとだよね。
乱暴な言葉は口に出すと争いを招くから、だから一度文章化して客観的に見つめ直す方がいいですよって前から書いておいたのに。
本には本で対戦すればいいのに、口に出しちゃうんだもんなあ。
言霊は歌にして、柔らかい言葉で発射しないと恨みが残っちゃうんだよ。
 日本人なら歌垣で日頃の鬱積を浄化しないとね。
だから今の日本は神国なれど、外国身魂ばかりであるぞよなんて神様に釘刺されちゃうんだよね。
「みやび」の心を持ちましょうよ。
 日本にキリスト教式聖戦も、仏教式の無常もそぐわない事の証明だよね。
やっぱり琴の音色みたいに優雅にやりたいなあ。
保守するならもっと徹底的に掘り下げてほしいね。



梅雨明けしたの?

    
平成十一(西暦1999)年七月二日 旧五月十九日(金)


 梅雨が明ける前にはお決まりの雷がドンガラガッシャンと鳴るのが我が国の風流だよね。
魔風は治まっても雨は降るよね。
梅雨だもの。
ただ常識的に見て、地盤が緩んだ土地に雨が降るのは要注意だよね。
魔風が東上しないとはいえ台風の季節には風は吹くよ。
自然の営みを全体的に操作するのは昔からルール違反だからね。
私はただ部分的に無理を聞いて頂いているだけだから、そういうつもりで気配りしてくれないと不信感が積もるだけだと思うよ。
だから易々と公に発言は出来ないんだ。
 売り込みには見本が付き物だ。
信仰による御神徳も先ずは「汝の信仰、汝を救えり」という事を大前提に考えて頂かないと、霊界物語にあれだけたくさんの宣伝使が登場して、個別に福音を述べ伝える意味がなくなってしまうでしょう。
私の地上天国構想も「私の」と枕を置いている事を見逃さないでよね。
 俺ならああいうふうにしてみんなの生きる道を完成させるんだけどな、という構想を一案として示したのだから、私がそう示したからと言って明日にでもそれが実現するという様なあんちょこな期待は誰もしないと思っているんですよ。
でも始めからこれは無理だというのではなくて、本当にこんな事が実現できたら素晴しいから、これを実施するためにはどういう問題があるかを調査して、どうすればその問題が解決出来るかを検討して、これならやれると納得した上で、実施の段には一致協力して過去の方策には一切振り返らずに断行して行く覚悟が必要だという事を主張しているのだけれど伝わらないのかな。
だからちゃんと反抗する者や国が現われると書いてあるわけだし。
早飲み込みをされると私はただの嘘つきになってしまう。
マリアの因縁で難を受けるのならマリアを超えないとね。
 


夏の雨は避暑になる

    
平成十一(西暦1999)年七月三日 旧五月二十日(土)


 暑苦しい夏に涼風を運んで来てくれる雨は小さな扇風機一台だけが冷房設備である私にとっては天の恵である。
 龍の降らす雨は不快だけれども龍神の恵む雨には思いやりがあるので大歓迎である。
ただこれを全国的にやるのは私の望むところではないし、雨ばかり降られては困る人もいるだろうから大概は自然の営みに任せているのである。
ただそういう仕組の中にも優先順位とか、特別に融通をきかせてくれる場合があるのだが、それをあまり自慢たらたら語ると招かざる客を招く事になるから世の中は難しいのである。


安全地帯

    
平成十一(西暦1999)年七月三日 旧五月二十日(土)


 戦時中の奇蹟談の一つで、聖師さんが以前座った場所だけが大空襲の難から守られている様に無傷で残っていたという話がある。
当然他は歴史の示すとおりの結果になった。
 勿論、聖師さんは事が起こる遥か前から事態を好転させるべく活動しておられたが、時代の波は暴走を続け破滅に向かって頑ななまでに突き進んだのである。
聖師さんは当然差別などしたくはなかったろうけれども、自ら滅びを目指す者までは救いようのない非常事態に於いてはこういう形で奇蹟を示すよりはなかったのだと思う。
言うことを聞かないと怪我をするよと口を酸っぱくして忠告しても、若さというものは怪我をするまで暴走する。
 挙句の果てに怪我をしてから反省一つせず目の敵にする様になるのが正しい信仰を持てない者の常である。
力優先の時代には「鳴かぬなら殺してしまえ」式に逆らう者や国を滅ぼして来た。
しかし近代以降は自業自得式に滅びと安全が結果になって来ている。
乞う自覚。


自分が資本

    
平成十一(西暦1999)年七月四日 旧五月二一日(日)


 七四十一大神にちなむ今日は期待通り静かな一日であった。
システムの都合上マックで98を使用する事をやめて、従来通り音楽とワープロ、画像編集を主軸にした機能に戻した。
 作業環境としては最小条件なのだが、シンプルで無駄の無い環境では自分の発想が重要な役割を果たすようになる。
 大きなマイナスと小さな作業環境を最大限に活用して、そこから新しい作品を生み出して行くために何よりも必要なのは、やはり自分自身である。
 いくら神様がどうとか、国家がどうとか、政治がどうとか、経済がどうとか、科学がどうとか、宗教がどうとか、恋愛がどうとか、正義がどうとか、自由がどうとか、その他諸々にごたくを並べてみた所で、自分自身を失えば何をか言わんやである。
 今この世の勤めを終えて霊界の新天地に旅立とうという時には、正直言ってこの世の事などはすっかり無関係の事になるのだが、神様からの用があって生かされている間は誰が何と言おうと自分自身が資本である。
 社会に対して大きな働きをしようと思えば、出来るだけ多くの友を得たいものだが、志を等しくする同志を得るというのは案外これで大変な事である。
 いくら海の向こうのアメリカで今日建国記念日を祝っているとはいえ、海の向こうは海の向こうである。
 それにここはアメリカではなく日本である。
日本でアメリカの建国記念日を祝うのもピントがずれている。
 私は若い頃は勉強は嫌いであったから七四十一大神とたまたま同じ数字を二つ持つ七月四日のアメリカ建国記念日の事も、この神とつきあうようになった遥か後日に知ったのであるから、縁があるといえばありそうだが、ほとんど無縁の立場なのである。
 当時の私はどちらかというと日本の非公式の偉大な歴史のとりこになっていたのであるから、神国日本のネオ右翼的思想の中にいたのである。
 そんな私が黄色人種以外の建国記念日を敵国スパイの様にこの国で祝うわけがない。
勿論、呪いもしないけれども、私はアメリカ人ではないから当然の事である。
 将来世界が一つになる時が来て、国家という価値が記録の中にだけ学ぶ事の出来る時代になった時、日本の建国記念日も、アメリカの建国記念日も、その他万国の建国記念日も、国際統一行事として祝われる様になればよい。
 大体において国家の誕生日の様な一日を祝うよりも個人の誕生日の方が大事だし、それにもまして恋人の誕生日の方が気になるのが本音であろう。
 大きな大地に生まれたからには先ず個人を全うさせてこそ、恋愛の成就もあり、家庭の平和もあり、社会の発展もあり、国家の繁栄もあり、世界の協調もあるというものである。
 ひとの為に生きてこそ個人の幸せもあるというのが道徳や宗教の決まり文句であるが、その前に自己と生命の源との関係を全うしていなければ砂上の楼閣である。
基礎のない家は一寸の天候異変で台無しになってしまう。
 神を祭らず、地理を無視して、ただ欲望のみにかられて建てた家が津波や土砂崩れの犠牲を免れるのは難しい。
 先ずは自分が資本である。
自分自身が生命の本源である誠の神様との関係を全うしてさえいれば、この広大な大地に無一物で放り出されても、必ず自分に与えられた逆境さえも資本にして、自己の地上天国建設を成し得るものである。
ましてこれだけ物に溢れた日本である。
 その上、情け深い日本人達に囲まれていながら、あきらめる理由が何処にあるだろうか。
この世に天に通じぬ祈りがない様に、人の心を動かさない叫びはないのだ。
己一人存在すれば世界が動くのだという自覚を全人類が得れば、不可能は縮小するのだ。


みんなを生かす道

    
平成十一(西暦1999)年七月五日 旧五月二二日(月)


 みんなを生かす道というものはあるだろうか。
私はそれは唯一霊界の存在を肯定する文明だけであると思う。
霊界のみが死者も犠牲者も差別無く生かす世界である。
もしそれが地上に開花するとするならば、人類がその英知を結集して地上から一切の不平等を根絶するという事であろう。
 人類を視点の中心に置いて、大は自然環境の問題から、小は波動や細菌の世界に至るまで無駄無く必要な物であるとして活用する技術を習得する事であろう。
 見えざる神以外の物を中心に置いて世界の統一を計れば必ず不平が生ずるに違いない。
その不平を根絶するのは存在と非存在の価値を必要とする善言美詞に溢れた生活以外にない。
貧困を根絶する知恵は分配以外にない。
強奪を根絶する知恵は供給以外にない。
飢え乾いて今にも死にそうな子どもを抱えて狂気する肉親を助ける物は「働け」という言葉よりも今食えるパンであろう。
 結社や組織としての面子等どうでもよい事だが、ボスになりたい者はボスにして英雄の誉れを全うさせるのが一番よい。
 世界の支配者に等、誰がなっても構わない。
誰が小山の大将を気取っても、所詮は寿命の許す限りの事だ。
本当の大将は大神様以外の誰でもない。
しかしどんなに天地に手を合わせてもたちどころに富が現れるわけではない。
そうなる様に準備する為には技術と労力が必要だ。
その実力の最も大きな結社や団体を慕って便りにすれば、その組織も役に立ち、誰からも愛される様になるであろう。
 それが何処かの国であろうと、秘密結社であろうと、物質的な実行力があるならば、彼等を信頼して神様の仕事を全うして頂くのが、善言美詞であろう。
神様の話ばかりしていて他人の飢えをかけらも満足させる事が出来ない小さな善人でいるよりも、少々癖は悪くても多くの飢えを癒す事の出来る大きな善人に頼る方が好いに決まっている。
 家柄ばかりを看板にして、誰も救う事の出来ない小さな貴族でいるよりも、氏や育ちは悪くても大勢を喜ばせる大きな百姓である方が好いに決まっている。
 王様や支配者になりたい奴はとっととなるが好い。
私には今社会に裏切られ一家心中しようとしている人々の方が心配である。
「甘やかすな。」と言うのか。
神代からの正しい歴史が判ったのなら、誰一人虫けら一匹、癌細胞やエイズに至るまで、むざむざ無駄には見殺しに出来ない筈だ。
 結核菌だって生き物である。
ただただ敵視されてむざむざ殺されるままでいるわけがない。
結核菌にだって魂は在る。
これを敵視している間はこの戦争は永久に終わらないのだ。
 心霊治療を否定して顕微鏡ばかり覗き込んでいても彼等の叫びは聞こえまい。
メーソンがやって来た事だって一方には悪であったが、一方には善であったのだ。
ただ単に悪魔呼ばわりしたり偽物扱いにしても、双方の対立は永久になくなりはしない。
日本人がやって来た事だって一方には善であったが、一方には悪であったのだ。
 強き者、病める者を同志に導き入れ、悪しき者、病める者に活路を開き、死せる者、殺す者に命を与える事が出来ないまま、宗教がどんなに救いを叫んでも絵に描いた餅以外の何物でもない。
己に同意しない者を非難する事は宗教心がなくても出来る。
 盗人を盗人とののしるだけなら、世界はこのままでも好いではないか。
悪人が悪人でなくなる道。敵が敵でなくなる道。それを宗教が叫ばないならば、私がそれを叫ぼう。
口に天国の蔵に宝を積めと言いながら、その手でこの世の宝に執着して分配を拒むのならば神はきっと盗人にもなるであろう。
親が兄弟に平等である様に。


ノストラダムスの大本音

    
平成十一(西暦1999)年七月六日 旧五月二三日(火)


 「ノストラダムスの大嘘吐き」という企画を思いついたのは十六歳の頃だったが、これは当時ノストラダムスが終末予言者である様に世の中に誤解されているのをパロッてやりたいという主旨でこのタイトルを考えついたので、私自身はノストラダムスは類希なる大預言者であり有数の神通力者であると尊敬していたのである。
 彼は人類の未来が狂わない様にする為に、神から警告の神示を預かって発表したのであるから、我々後継者達はその真意を汲み取り、世の中の誤解を解く事こそ当面の急務の様に私には思えたのだ。
 人類には確かに世界を終末に導く狂気が潜伏している。
しかしその狂気を抑制する理性も厳然として持ち合わせているものだ。
彼はこの理性に呼びかけているのであると私は感じたのだ。
実際の「諸世紀」の中には明るい人類の未来についての預言が大半以上を占めている。
それは丁度修行者が修了者になり、その後の幸せな余生をどのように送るかというプロセスが描かれているのであり、その途中には当然逆境的試練も描かれている。
 例えるならそれはフランス版「西遊記」の様なものであり、また仏教聖典の様なもので、悟りに至る為の魔界との対決を描いているものなのである。
 悟りといっても階級があり、個人の悟り、夫婦の悟り、家庭の悟り、民族の悟り、国家の悟り、地球人類の悟り、という様に順次拡大して行くものであるから、個人レベルの悟りなら心の葛藤で済む問題も、国家の悟りに至る迄には肉弾相打ち血で血を洗う葛藤を通過しなければならない事もある。
 しかし人類は遂にその最終的な悲劇を回避する悟りに至るという事をノストラダムスは明らかに見通していたのである。
そういう意味で私は彼を類希なる大預言者であると評価しているのである。
 しかし、そういう誤解の雲を晴らす仕組みを持って現れたのは、我が国の大救世主・出口王仁三郎聖師であり、後に続いた各新興宗教であったという事が出来る。
 聖師を根幹として各新興宗教が個性に満ちた花を咲かせながら、その香りに包まれつつ、我々は終末を回避する使命感を得たのである。
 だから私は決してノストラダムスを人類滅亡の妖言を撒き散らす偽預言者だとは言わない。
「大嘘吐き」という表現は蠍座特有の親しみ故のブラック・ジョークである。
顔馴染みに、
「てめえ、バカヤロー、この野郎。」
という様な感覚で言っているだけである。
 もし私がノストラダムスで、本当に未来に絶対回避出来ない人類滅亡の時が来るのなら、強いてそれを記すこともなく、黙ってその日まで楽しい生活を送らせているだろう。
 それを敢えて誤解される様に記すのは、その一番の難関に細心の注意を持たせる為である。
その結果人類が誤解して信じた預言が外れて、嘘吐き呼ばわりされたとしても、それこそが筋書き通りの事であるとかえってほくそ笑む事だろう。
後に妙な恩着せがましさを残させない為にわざと騙す様にして警告するのだ。
そんな事が出来るのも彼がまことに天国の愛の事情に通じていたからに他ならない。
 隣人に施しをする時に決して恩を感じさせないようにするのが天の愛に通じた者の心である。
もっと簡単に言えば山羊座の人が善意を照れ隠す為にわざと悪人ぶる様な事である。
まあいちいち蠍座とか山羊座とか言わなくても、昔から男らしい男とか、騎士とか、武士は、他人への施しを気づかれないようにするものである。
 間違いなくこの十年間というものは史上最大の危機的期間だったのである。
判断を一つ誤れば今だって途端に国家の一つや二つ消滅するのだ。
その大峠となるのが今月なのだ。


七夕と神話

    
平成十一(西暦1999)年七月七日 旧五月二四日(水)


 今宵夜空が晴れ渡るなら、天の川を挟んで牽牛と織り姫が一年に一度のデートをするそうな。
ずっと子供の頃から聞いて来たこのお伽噺も、決して飽きられることもなく語り継がれ、毎年の様に心優しく素直な人々は短冊に願い事を認める。
 このお伽噺の発祥地は中国という事だが、中国はシルクロードに貫かれながら、聖書の聖地であるパレスチナ地方、仏教の聖地印度、神道の聖地日本に取り囲まれた儒教の聖地でもある。
この四つの宗教はそれぞれ主神の四魂から発祥したわけであるので、その神話も何処となく似通っている。
 七夕の話は丁度聖書のアダムとイブと神道の天照大神と素盞嗚尊を最も中世の人々に分かり易いようにミックスした物語である。
 仏教の祇園精舎には牛頭天王を守護神として祭ってあったのであるから、牛頭・牽牛・アダム・素盞嗚尊は同一の存在を四方面から描写したものである事が判るのだ。
という事は織り姫はイブ・天照大神・出家前の釈迦の后ヤショダラ姫という事になる。
つまりシッダルタがアダムの写しであり、釈迦はアダムの解脱体であるとも言える。
 思えば意外な所に四つの宗教を結びつける鍵があるものだが、川という暗号もヨルダン川、天の川、天の安河原、ガンジス川という事になる。
シッダルタ太子は苦行の為にガンジス川を挟んで后との距離を置いた。
 アダムとイブには蛇が誘惑となるが、釈迦と后の間にはダイバダッタがいた。
また牽牛と織り姫の間にもある動物が蛇の様な役割を果たしている。
 素盞嗚尊と天照大神との間にも月読命が存在するが、本当の蛇は霊界物語に登場する偽の母神である偽イザナミである。
これは父イザナギを悩ました常世系の悪神である。
これらは総て艮の金神国常立尊の御退隠に纏わる物語である。
 頭に大とか神がつくだけで全く格が変わってしまうのが神様の世界であるが、釈迦がまさか旧約聖書に記される堕落の因縁を解消する為に王位継承の位置から出家して苦行したとはなかなか信じ難いであろうが、何を隠そうエジプトのモーセもファラオと后を巡る因縁を通過して砂漠で神に出会うのである。
 男女の恋愛は神と人との正しい関係を完成させ、また破壊もする両刃の剣なのである。
そしてその罪の原因はいつも、正しい道を歩もうとする男を神から引き離そうとする女の嫉妬心であり、逆に王国の基となるのは神と夫に仕える妻を得た王という事になる。
 女の力は恐ろしいほど強いものである。
女の改神が一国の未来をも左右するものである。
 出口直開祖のお筆先に繰り返し記されるひのもとは女で無ければ開けぬ国であるという事はこういう事で、女の信仰が誠の神に改まるかどうかで地上天国が始まるかどうかが決定するのである。
 昔から多くの男が神と真理に仕える為に励んで来たが、その妨害ともなり力ともなったのが女の正邪の言動である。
 前に女は恋が命と書いたが、姫には神の娘でなければなれない。
女というのは霊が完成していない肉欲だけの未完成品である。
姫にならなければ神の子である彦(霊子)と家庭を築く事は出来ないものである。
 男というのも同様で、彦でなければ肉欲だけの約束を守る未完成品なのである。
ヤクザやマフィヤの世界は男の世界である。
だから約束を破った相手をすぐに殺す事を考え、実行する。
男のままで神を求めても蛇や龍の域までだ。
蛇の正体はこういう男女である。
 神の跡継ぎとなるものは男や女のままではいけない。
夜空の牽牛と織り姫が一年に一度しか会えないのも、まだ男と女のままだからである。
女の改神、男の精進が七夕祭りだ。


神の子の誇り

    
平成十一(西暦1999)年七月八日 旧五月二五日(木)


 信仰生活というのはある意味人迷惑かもしれない。
それはその人の生活を一日のうちにガラッと変えてしまう事があるからだ。
 しかし当の本人は、その張本人である神に対して、
「神は私をお見捨てならなかった。」
という感謝の念に包まれてしまっているから、突然生活を変えられてドタバタしている周囲に対しての気遣いに欠けてしまいがちだ。
 周囲が皆そういう経験の持ち主であるならば、その変身を神の采配とすぐに覚ってドタバタする事もないのだが、信仰の自由を認められた法治国家内では信仰しない自由も認められているから、そういう人々にとっては大変な迷惑をかけてしまったという事になる。
 もし彼等に、
「神様が今日突然私を召し上げて下さったのです。」
と事実を語ったとしても彼等は必ず、
「無責任な事を言うんじゃない。」
と非難する事になるはずである。
 現代社会で直感的に動く事は大変である。
信用問題が関わってくる。
一度はみ出してしまったら、二度と戻れない事の方が多い。
にも関わらず直感のままに行動する者は、神の御心に従ったのだから、神は特別の守護をして下さる様だ。
あちらを立てればこちらが立たず。
その突飛な行動が将来世界中の人々の生活を喜ばせる事もあるのだから、信仰というものはその本願が何処にあるかが問題になる様だ。
その辺の事情を理解してくれない人々の中傷批判には御免なさいするしかないのかもしれない。
 直感を感じたら誰にも相談しないで、誰も巻き込まずに自分で行動する事だ。
間違ってもテレビ番組の賞金など当てにしない事だ。
低予算でやってる深夜番組で賞金など貰おうとする事の方が世間知らずという事になるであろう。
ギャンブルをする時にも他人を巻き込まない事だ。
真面目にやっていようと不真面目にやっていようと、当たりは当たり、外れは外れである。
世の中には一夜にして億万長者になる人もいれば、一夜にしてどん底に突き落とされる人もいる。
その現実に翻弄されずに直感に従うのは自分だけの行為である。
 私は私としてこのプロジェクトを進めている。
私の事など誰も受け入れていないという貴方は、既に私を拒む心で受け入れたのだ。
私を寄生虫と罵るなら罵るが好い。
やがて世界は寄生虫の有難みと恐ろしさを知る事になる。
しかし気に病むな。
神は貴方を殺しはしない。
死は誰にでも自然に訪れる事だ。
世の中が変わることなど誰も望まないといいながら、世の中を自分の意志のままに動かそうとするのもおかしな話である。
 私を拒みたいなら私を覗くな。
覗いた貴方は既に私を受け入れてしまったのだ。
貴方が見たいのは私が人生の負け犬となりボロボロとなってのたれ死ぬ姿だ。
それは悪魔の心だと貴方は気づかないか。
いつの間にか貴方は私を目の上のたんこぶにしてしまっている。
それは貴方の敗北だ。
むしろ無関心でいるが好い。
それこそ貴方の勝利だ。
世の中に綺麗な金もなければ汚い金もない。
貴方は夜の町の帝王を敵に回す事が出きるのか。
むしろ貴方は彼から仕事を貰っているのではないのか。
 もっと活きる事を楽しみたいとは思わないか。
貴方は貴方自身でいなさい。
貴方には貴方の価値しかないのだ。
私は何時も言っている。
「神と共に一人で進め」と。
私は貴方を批判しない。
何故なら私が神の子であるという事は貴方も神の子であるという事だからだ。
私は仕事や組織の事を話しているのではない。
生きても死んでも活きる道を進んでいるだけだ。
貴方はそれが恐いのか。
貴方の中傷は私の助けだ。
私をこんなにも活気づけさせる。
貴方は私の友である。
私は一人であることに騙されない。
私は一人ではないのだ。
判るか。


スカッと行こうぜ!

    
平成十一(西暦1999)年七月九日 旧五月二六日(金)


 エレキを抱いたらガタガタ言うな。バーンと一発言わしてみな。くだらない事はみんなぶっ飛ぶぜ。アンプからあのキラキラと輝くサウンドが発射される時、ヤッホーって気分になるんだ。その瞬間の俺には他には何も要らなくなるのさ。
 バック・トゥ・ザ・ヒューチャーに出て来たあの過激なアンプを鳴らしてみたい気持ちも判るけど、俺にはフェンダー・ジャパンの改造ストラトキャスターと、マーシャルJCM800・50wとBOSSの選り抜きのエフェクターとヴォックスのワウがあれば言いたいことは全部言えるのさ。スカッと行こうぜ!
 マイクを握ったら思いっきりシャウトだ。
ドラムのどでかい響きに負けないつもりで、頭蓋骨の天辺から叫んでみな。天にも昇る心地になるぜ!俺の体が弾むんだ。
 泣きたい時にはギターを抱いて思いっきり泣かせてみな。甘く切ないチョーキング・ヴィブラートで全音符を思いっきり揺らすんだ。泣きながら惚れ惚れしてる時間に陶酔するんだ。もっとプレイに陶酔するんだ。仏頂面が思わずにんまりしちまうのさ。ゴメンよ。俺だけ気持ちよくなっちまって・・・。
 そこの可愛い娘ちゃん、エレキにやきもち妬くなよ。エレキは俺の分身さ。エレキにやきもち妬くのは俺に妬いてる事になるんだぜ。そんなの変だと思わないか。自分の魅力に自信があるならエレキごと俺に抱きついてみな。
 なーんて格好いい事言って決めてみたいよな。だからエレキを抱いてステージに立ちたくなるんだ。やな奴だね。キザな野郎だね。関係ねえよ。あんたもそこでヒャッホーって叫んでみな。ライブに集まりゃそれでいいのさ。スカッと行こうぜ!俺達は仲間だ。仕事だけど仕事じゃないのさ。楽しもうぜ!
 難しい事言う時にも格好良くすぱっと言い切らないと、みんな白けちゃうだろ?ねちっこく、皮肉たっぷり言ったんじゃ尾を引くから逆効果だ。エレキはそんな風に弾いたらつまんないよね。サイコーだぜこの音って言ってるのが伝わるから女の子がキャーキャー叫ぶだけじゃなく、男の子までエレキを弾いてみたくなるんだ。俺だってそうだったもんね。友達もみんなそうだった。別に友達の真似したわけじゃない。感じたんだ。勘違いだって何だっていいのさ。感じたままでいいんだ。別に薬なんかいらないと思うよ。やった事無いからわかんないけど、心のままにギターが叫べば、その音で充分酔える。
 ロックやる奴はみんな麻薬中毒患者だなんて言われてもピンと来ないよね。俺、飲んでる時もカラオケ・マイク持って、思いっきり体中でシャウトしながら歌わないと酔いが回って真っ青になって吐いちゃうんだ。シャウトすると朝まで飲んでも酔わないのさ。アルコールなんかみんなふっとんじゃうからね。お店は酒がさばけて喜ぶ。俺は気分がスカッとして朝まで楽しいから喜ぶ。周りのお客も「やれやれヤッホー」って喜ぶ。言うことなしだよね。早い話酒はただのお飾り。シャウト出来れば何でもOKなのさ。
 どろどろとした人生の迷路にはまりそうになったら、俺は先ずエレキ。それとシャウト。こうやってエッセイ書くのもシャウトだよ。
君の叫びは何?仕事?恋?遊び?不満?何でもOK。
邪魔はしないぜ。スカッと行こうぜダンナ!難しい顔ってのは今一お馬鹿さん。解決できない問題を抱えているのを言い触らしている様なもの。楽勝、楽勝。
イアン・ギランじゃないけれど「オーーーーライッ!」だよね。
「全部正しい」っていう意味だろ?直訳すると。ねちねちうじうじしてると、そのうち犯罪者になっちまうよね。盛り上がろうぜ!一気に天国気分だ。ヨシ!



次ページへ



目次に戻る